ジブリ 透明 人間 意味。 山下明彦監督『透明人間』|Real Sound|リアルサウンド 映画部

千と千尋の神隠しの後にやってた透明人間って、どういう意味があるんで

ジブリ 透明 人間 意味

スタジオポノック『ちいさな英雄』が公開! 豪華製作陣による「本気」のアニメ 8月24日 金 、スタジオポノック初の短編映画集『ちいさな英雄—カニとタマゴと透明人間—』が公開された。 同作は、米林宏昌監督の「カニーニとカニーノ」、百瀬義行監督の「サムライエッグ」、山下明彦監督の「透明人間」の短編作品三本立て。 「ポノック短編劇場」の第一弾とされており、一作品辺り15〜20分ほどの計54分と、小さな子ども連れの方でも鑑賞しやすい時間設定となっている。 小さなお子さんを持つ「Youtube世代」の親御さんも鑑賞しやすいだろう。 それでも、スタジオジブリで『借りぐらしのアリエッティ』 2010 などを手がけた米林監督、かつて高畑勲監督の右腕と呼ばれた百瀬監督、『ハウルの動く城』 2004 で作画監督、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』 2009 で原画を務めた山下監督と、豪華な布陣による「本気」のアニメーション作品が詰め込まれた短編集となっている。 「透明人間」といえば、H・G・ウェルズが1897年に著したSF小説の『透明人間』。 様々な疎外や無関心で溢れる現代社会に相応しい内容の作品となっている。 — スタジオポノック StudioPonoc 主人公・透明人間役にオダギリジョー また、主人公・透明人間の声を、俳優のオダギリジョーが担当している点にも注目だ。 オダギリジョーといえば、SFファンにとっては、『仮面ライダークウガ』 2000 でお馴染みだろう。 現在、「平成仮面ライダー20作品記念」として、オダギリジョーの初主演作品である『仮面ライダークウガ』がYoutubeの東映特撮公式チャンネルで公開されている。  今回は声優、それも透明人間の役に挑んだが、実は今作の透明人間には(短編ということもあり)セリフらしいセリフは多くない。 ため息や、「あっ」という感嘆詞がほとんどで、なおさら演技力が求められる役どころとなっている。 来年で俳優デビュー20周年を迎えるオダギリジョーだが、今もなお挑戦し続ける彼の姿も要チェックだ。

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小野寺系の『ちいさな英雄』評:監督たちの才能とスタジオポノックの未来を読む|Real Sound|リアルサウンド 映画部

ジブリ 透明 人間 意味

透明人間は、映像では「透明」な人が服を着ているのですが、あれはメタファー(暗喩)で本当の意味は「存在が薄すぎて、居るか居ないか分からないぐらい、人に無視される人間」です。 そして、車を見にやってきた新規の客に(たぶん)上司の人が「誰を担当に付けるか」と見回す時に、透明人間さんは立ち上がってアピールするのですが、それと同時に上司はほかの人を指名してしまうのです。 同様にコンビニでパンを買おうとしたときも、透明人間さんは無視されました。 お店の人が「そこに居るのに気がつかない」のです。 だからコンビニの出口で作業服を着た一段とすれ違った時も彼を意識する人が誰もいないし、店員さんが忘れ物を渡す時にも完全に無視されるわけです。 それぐらい「居るか居ないか分からない『まるで透明人間のように』影が薄い人を透明人間にした」というメタファーで、最後自分が助けた赤ちゃんは、助けてくれた人=透明人間さんを人間として認識したので、彼の顔が見え笑顔になったのです。 赤ちゃんにとって透明人間は「たしかにそこに存在し、自分を助けてくれた人」だったからです。 「透明人間」は、自分の存在意義を見失っている人間の象徴。 よくあるメタファーではないかと。 そう考えると、意味が見えてくる部分ありませんか? 主人公の透明人間が、自分のやるべきことを見つけて「存在意義」を見つけ始めるところで、話は終わり。 ・・・ただ、話自体はストレート過ぎるというか見え透いているというか新鮮味無いというか、微妙だったと思います。 映像がかなりよく出来ていた 映像表現の高度さだけなら千と千尋を上回っていたと思う ぶん、どうしても「見せたいアニメーション」を見せる為に無理矢理用意した脚本のようにも感じました。 宮崎駿作品はどうのこうの言っても脚本の中に「人の心」を表現しているぶん、エモーションがあります。

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スタジオポノック

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『ペンギン・ハイウェイ』を今夏に公開したスタジオコロリドは、2015年に『台風のノルダ』という短編を限定的に劇場公開しており、スタジオごとに特色を感じられる作品の鑑賞機会も確保されている。 また、近年のディズニー作品も多くは本編上映前に短編アニメを上映していることは周知の通りだ。 とはいえ、多くの子供向け映画だった映画が単独作となる中で、『ドラえもん』や『ポケットモンスター』などの老舗シリーズなど、短編の同時上映を行わない映画も増えてきている。 そういった意味で、短編アニメーションは、「アニメファンが求めればそれなりに鑑賞機会が得られるもの」でありながら、「子供が劇場で見る機会は、長編ものに付随するシチュエーションがもっとも一般的だが、徐々に減りつつある」という状況にあると言える。 それがIPに紐づけられたものや原作ものでない作品なら、なおさらだろう。 3本の短編アニメ作品の併映プログラムで、当初は高畑勲の作品を含めた4作品の上映を予定していたが、同氏の逝去によりそれが叶わなくなってしまった経緯がある。 非常に優れたアニメーションの技術を有したスタジオが、既存IPや原作を用いずに短編アニメーションだけで組んだプログラムを全国配給するというのは現状を鑑みるとなかなか挑戦的な試みであると言える。 オープニングアニメも木村カエラの歌うテーマソングもオーバーなほどにポップで、ポノック短編劇場というひとつの括りが子供向けの作品集であることが感じられる……のだが、実際に上映される3作品は子供向けとも大人向けとも言いがたいものとなっている。 以下、作品ごとの個別の評価を述べていく。 『カニーニとカニーノ』 『メアリと魔女の花』の米林宏昌監督作品。 擬人化されたカニの兄弟、カニーニとカニーノが、嵐の夜に流された父親ガニを助けに行くというストーリー。 監督自身、特にこだわったという水の動きがとにかくリアルで、実写と見紛うほどの躍動感や透明感は一見の価値あり。 ちいさなカニとおおきな川の中の世界の対比も楽しく、「アニメーションならではの表現でわくわくさせよう」という演出意図も読み取れる。 しかし、宮沢賢治の『やまなし』を下敷きにした水中の風景は、米林監督のハッキリとした筆致では身も蓋もなく具象化されてしまい、川の中の雰囲気や世界観よりも、キャラクターの行動やおはなしの意味が前面に出てしまう……のだが、そちらに注目してみると今度は読み切れない設定(母親の存在や擬人化されたカニ仲間と擬人化されないカニ仲間の違いなど)と、シンプルすぎる冒険の内容が目につく。 また、カニの兄弟はカニ語を話しているという設定なのだが、発語のルールがいまいち分かりにくく中途半端で、カニ語の意味やカニ達の感情よりも、何か未完成のものを見ているような違和感が残ってしまった。 『サムライエッグ』 『かぐや姫の物語』で、捨丸との飛翔など、描線や躍動感が印象的な一部のシーンのコンテを担当した百瀬義行監督による一編。 卵アレルギーの少年と母親の日常生活を描いた作品で、アレルギーを持つ子供の生活のディテールがリアリティと情感豊かに描かれており、アレルギーを持った子供たちが集まってアレルゲンを少しずつ摂取する病室の様子や、給食の配膳が終わるまで廊下で待っている主人公の様子など、柔らかな描線のアニメーションで描かれるからこそハッとする描写は、映像作品としての魅力と同時に啓蒙的な意義も感じられるものとなっている。 実際、私も「こんなこと知らなかった」と思うようなシーンが何度もあった。 アイスに刺したスプーンがゆっくりと倒れる様子や、描線が融解して動きの象徴部分だけを取り出したようなアニメーションになるダンスシーンなど、演出意図とアニメーションのアウトプットが綺麗に一致するシーンが濃い密度で何度も見られるのは、短編アニメならではの贅沢な体験だ。 「卵」、「歯」、「スポーツテスト」など、少年に成長に寄り添うキーワードがやや過多な上に場面転換や状況説明が丁寧すぎてストーリーは散漫な印象を与えるが、話の運びやアレルギーの扱いなど、様々な点で真摯な作りの作品となっている。 『透明人間』 多くの米林宏昌監督作品で作画監督や作画監督補を務めた、山下明彦監督作品。 透明人間として生きる男のある1日を描いた物語。 主人公は透明人間の男なのだが、彼が服を着てカーディーラーに出勤する様子からは、彼が文字通りの透明人間というよりは、「世界から無視されている、見えないことにされている人」の象徴としての透明人間であることが冒頭から示唆される。 この透明人間は透明人間であることに加えて重力の影響を受けないという特徴があり、その設定を生かした、重しを失って空へと放り出されていく浮遊感のあるシーンや、重しを手に入れてそこを中心に落下していくアニメーション、重心がずれて走るスクーターの傾きなど、透明人間の透き通るアニメーションの面白さだけでなく、重力に関わるワンダーに満ちた映像が繰り返される。 しかし前2作と同様に、お話としてのまとまりは疑問が残る点も多い。 透明人間の一挙手一投足の描写には非常にリアリティがあるために、設定と寓意の整合性を見つけられずに、ある種のカタルシスを狙ったはずのクライマックスにも消化不良の感が残った。 短編アニメをパッケージする難しさ いずれの作品にも共通しているのは、短い上映時間に比して過多なセリフや設定の情報量がアニメーションの面白さのノイズになっていて、作品そのものの主題や完成度が中途半端になってしまっている点だろう。 アニメスタジオとしてのポテンシャルを見せようとしたシーンと、子供にも伝わるようなストーリーを構築しようとしたシーンがバッティングして、一本の作品としてはチグハグな印象になっているのだ。 加えて、それらを3つ集めた一つの劇場作品となるとあまりにもまとまりがなく、『ちいさな英雄』というテーマだけでこの3作品をうまく束ねられているとは言いがたい。 子供向けの短編アニメ作品集という挑戦的な試みは、現在の劇場の状況に一石を投じるというよりは、結果的にそうなってしまった形式でしかないように思え、スタジオポノックの表現したいアニメーションやテーマ、それらを伝えたい客層の輪郭を今作で確かめることは叶わなかった。 短編アニメーション発表の場を、子供も気軽に見られる劇場作品という形で用意するという志には非常に共感するし、今後も続いてほしい試みであることは確かなのだが、1,400円という特別料金を差し引いても、パッケージする側、興行を成立させる側の課題を感じる鑑賞体験となった。 総評 複数の短編アニメーション作品を子供向けに上映するというプログラムは応援したいが、いずれの作品も20分弱という短さに見合った作りをしているとは言いがたく、アニメーションとしての面白さを随所に感じることはあっても、1つの映画作品としては物足りない。

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