資本主義 2ch。 資本主義の欠点「企業による独占」という問題

資本主義から脱却する方法とは?

資本主義 2ch

民主主義・資本主義・社会主義・共産主義の違いとは 民主主義とは 民主主義とは、政治原理の一種にあたる言葉です。 英語では「democracy」と呼びますが、語源はギリシア語の「demokratia」にあり、「人民(demos )」という言葉と、「権力(kratia)」という言葉が結びついてできています。 民主主義は、古代ギリシアで原型が生まれ、近代になって復権されました。 そのシステムを分かりやすく言うと、「国民が主権を握る制度」となります。 王制などの一握りの人間による支配とは違い、国民が政治に参加し、民意によって国を動かすというシステムです。 民主主義には、市民が直接政治に参加する「直接民主制」と、何人かの代表を選ぶ「間接民主制」の2種類がありますが、現在では後者のシステムが一般的です。 こちらでは、国民は投票によって自身の意見を政治に反映させることになります。 資本主義とは 資本主義は、民主主義とは違い、経済システムの一種にあたります。 英語で言うと、「capitalism」となります。 資本主義のシステムは、自由競争の考えに立脚しています。 すなわち、企業や個人が自由な経済活動を行い、それぞれの利潤を追求することで、社会全体の富や利益も増大するという考えです。 その経済活動に際して、必要な土地や機械、設備などの資産は私有することができ、そうした資産を持たないものは、自身の労働力を提供して賃金を得ることができます。 資本主義でもう一つ重要なポイントが、国家が市場に介入しないということです。 商品の需要と供給を自然の流れに任せることで、市場のバランスが保たれ、最適な価格や流通量が決定するとされています。 社会主義とは 社会主義とは、資本主義に対抗する制度を掲げた思想です。 資本主義は、前述のように個人所有や自由主義経済を前提としていますが、社会主義はそれを否定する立場にあります。 資本主義が浸透した社会は、経済が活発になり、富が蓄積されるというメリットの一方で、所得格差が増大して貧富の差が広がるというデメリットもあります。 社会主義は、こうした資本主義の弊害を正そうとする思想で、私有財産を禁じ、社会による生産手段の共有を目指すものです。 そのようにして富の再分配を行うことで、全ての人が平等な社会を築こうという考えとなっています。 社会主義は共産主義と混同しやすくなっていますが、その違いは以下で説明しましょう。 共産主義とは 共産主義は、全ての財産を市民が共有することにより、平等な社会の実現を目的とした思想・運動を言います。 このような説明からすると、社会主義との違いがわかりづらいところですが、両者は同じ理想の違う段階と言うことができます。 社会主義の場合、市民に平等に富を行きわたらせるにあたっては、政府による資産の所有や管理、分配といった過程が必要になります。 それに対し、共産主義では、もはや政府は必要とされません。 各人は能力に応じて働くだけで、それぞれが必要に応じた分配を受けることができます。 つまり、共産主義は完全に平等で平和な社会が達成された状態であり、社会主義はその前段階の状態にある社会と言うことができます。 まとめ このように、「~主義」と名の付く言葉は多くありますが、それぞれ意味に違いがあります。 民主主義は政治体制の一種類で、一言で言うと、国民が政治の主権を握るシステムのことです。 それに対し、資本主義や社会主義、共産主義は、主に経済の仕組みに関するシステムや思想と言えます。 このうち資本主義は、資産の個人所有に基づく自由主義経済を認め、市場原理を第一として考える経済的仕組みになります。 それを真向から否定するのが社会主義と共産主義で、どちらも富を社会で共有することで、平等な社会の実現を目指しています。 その一方で、社会主義にはまだ政府や階級が存在しているという点で、共産主義とは異なります。 平等の実現度で言うと、より高い位置にあるのが、共産主義になります。

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資本主義では、小さな役立ちが無価値とされます。 コンビニで後ろからくる人のためにドアを開けたまま持っておくなど。 こうした小さな役立ちは、資本主義的には無価値なわけです。 しかしこういったことこそ、社会として大事だと私は思っています。 もちろん余計なお世話や、過干渉などには注意しないといけませんけどね。 この記事では、資本主義ではない価値観や生き方を扱っています。 資本主義から脱却する方法ですね。 今までの価値観体系から脱するというのは、脱洗脳に近いかと思います。 なにせ洗脳が生じやすい宗教も、1つの価値観体系であることが多いからです。 よって、難しいのですが、お金にとらわれたくない人には参考にしていただければ嬉しいです。 スポンサーリンク 目次• お金以外の価値観に注目して脱却する 資本主義からの脱却は、価値観体系の変更にあります。 好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、苦手なことなどがありますよね。 これらすべてをお金のために用いるのが、資本主義に染まった結果生じる価値観体系です。 逆に言えば、価値観の優先順位を変えればいいわけです。 お金の恐怖にとらわれている人は、資本主義からの脱却が難しくなります。 価値観の優先順位を変更できないからです。 恐怖を感じない程度に、まずお金を稼ぐなり出費を減らすなりするのが先ですね。 仏教などの宗教もワンチャンあり いきなりギョッとするかもしれませんが(笑) 例えば仏教は、お金儲けを禁止しています。 資本主義に染まる以外の生き方がわからない人向けの、人間としての生き方を提示するのが本来の宗教です。 しかしご存知の通り、宗教は金、権力を求め、果ては戦争をするなど、本来の役割を失っています。 まともな宗教ももちろんあるとは思いますが、宗教そのものが1つの価値観体系にもなっています。 1つの価値観体系に染まることは、実質洗脳といっても過言ではないでしょう。 現実には宗教に触れる場合は、気をつけないといけません。 ただまともな宗教さえ見つかれば、宗教も生き方の指針になり得ます。 好きなことを優先する 好きなことを、お金とかよりも優先するわけです。 嫌いなことや苦手なことを、お金のためにすることはなくなります。 お金を稼ぐのは、資本主義だからというだけの理由になります。 要するに「ついで」です。 好きなことをするだけで幸せという人向けです。 お金に困る可能性は当然高まります。 また、不安定になりやすい価値観、生き方です。 人の役に立つことを優先する 人の役に立つために、得意なことや好きなことをするという考え方です。 嫌いなことや苦手なことをするとしたら、お金のためでなく人の役に立つためというわけですね。 これは健全な価値観ながら、資本主義とも相性がいいです。 なにせ需要がないと、ビジネスは成立しませんから。 ただし、人の役に立つために嫌いなことや苦手なことをするというのは、お金のためにするのとあまり変わりません。 人の役に立つことを最優先できるならそれに越したことはないでしょうが、現実には難しいです。 死ぬほど好きじゃなくていいです。 めちゃくちゃ人の役に立たなくていいです。 そういう意味ではYoutuberもブロガーも、ゲームで稼ぐのも、ここに入ると思います。 衣食住みたいに必須なわけでもなく、ゲームを作るみたいにオリジナリティある生産をしているわけでもありません。 それでも、好きなことをしてある程度の付加価値を作れば、人の役に立てます。 好きなことをたくさんやって、人の役に立つことを見つけるか。 人の役に立つことを先に知って、好きなことをそのレベルに鍛えるか。 Advertisement 神への祈りという生き方 1つの生き方、価値観体系の参考として紹介します。 神への祈りというのは、実はかなり本質的に意味があります。 私も自分なりに実践してみた経験談です。 まず1つは、自分の中に神を呼び起こす意味がありそうという点です。 これは換言すれば、自分で考え自分で行動するようになります。 よく神はその人の中にあると言われます。 これは要するに、自分の神性が目覚め、自ら親切とかするようになるということです。 でも人は、自分を信じることが難しいです。 その場合、まずは外部に神を投影(偶像化)して、信仰することで、自分の神性を目覚めさせるのが本質ではないかなと。 すなわち自分で考え、自分で行動するようになることがある意味では真の目的です。 神への祈りで資本主義的価値観から抜け出す もう1つは、資本主義的価値観からの脱却です。 お金のためという価値観から、神(への祈り)という価値観になります。 嫌なことがあったとしたら、一般的にはどうするでしょうか。 ふつうは怒ったり憎んだり、仕返しをしたりします。 金銭を損したら、賠償させるのが法も含めた資本主義的価値観です。 でもそこで神への祈りをするのは、どういった意味があるでしょうか? 私は自主的な行動が入っていると思います。 怒りや憎しみなどの反応および反発の前に、自主的な行為が入ります。 依存か主体性かは本人次第 これは主体性とか、自立性が育つように感じます。 これにより、資本主義の価値観からの脱却にもつながるように思えます。 お金のためというとらわれから、神への祈りで主体性を取り戻せるということです。 悲しい時も怒りを感じた時も苦しい時も、神への祈りは少なくとも、反射的に何かをしていません。 悲しかったり苦しかったりすると、やけくそになったり、他人を傷つけたりしやすいです。 そこに神への祈りという行為が入ることで、踏みとどまるわけです。 わりと主体的な作用はあると思います。 一方で依存している場合、どうして救ってくれないんだという風になりやすいですね。 しかし例え依存があっても、神への祈りを続けていれば、主体性が生じてくる可能性があります。 宗教では人間が神をかたります。 「〇〇という神が、人を傷つけろとおっしゃったのだ」 みたいな感じです。 こういうのは洗脳ですから、注意しないといけません。 神を信じるとは、本質は自分の中にある神性を信じるということです。 ですから、人が作った神を信じるのには細心の注意を払うべきです。 ましてや人が言ったことを、絶対に鵜呑みにしてはいけません。 神を信じるとは人を信じることとは言われますがしかし、鵜呑みにせよという意味ではありません。 まとめ お金以外の価値観はいろいろありますが、結局汎用性のあるものは多くはありません。 好き嫌い、得意苦手、人の役に立つかどうか、神とか人間性あたりですね。 資本主義的な価値観に染まりすぎると、日常の中にある小さな恵みや役立ちを、軽視しがちです。 小鳥のさえずりや、川のせせらぎ、風のなびく音に耳を傾けることも、しなくなりやすいです。 太陽の光や、雨という水の源などの恵みも、忘れがちです。 自己責任とか、私有財産制はある程度いいとは思うのですが。 あまり過剰になりすぎると、社会としてかなり不健全になるかなと。 利益が少し減っただけで、鬼の首を取ったように怒ったり。 寛容さとか寛大さも、失われやすくなってしまいますね。 資本主義的価値観から脱却する人が増えると、よりいい社会になるでしょう。 ただそれは、お金とか効率を無視するという意味ではなく、過剰に重視しないという意味ですけどね。 Advertisement 関連する記事• 2018. 05 「学校や嫌なことから逃げるのは悪いことか?」 といったテーマは、ホットですね。 昔はいじめられるほう […][…]• 2017. 19 私たちは、世の観念から影響を受けていたり、洗脳されている部分があります。 強迫観念や固定観念、先入観 […][…]• 2018. 11 収集の資質というのは、一般的には微妙に思われるかもしれません。 しかし私にとっては、なかなか良い資質 […][…]• 2018. 23 引きこもりでもできる仕事って、なかなか見つかりません。 コミュニケーション不要で、完全在宅の仕事なん […][…]• 2018. 14 「ブラック企業にいると副業なんてできない」 と言われることがあります。

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『プロ倫』要約と解説|ウェーバーの言いたいことはコレだけ!

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倫理の尺度を人におくってどういうこと? まず「尺度って何?」って話から書きます。 例えばm(メートル)は尺度ですよね。 長さを測る尺度です。 1メートルがなぜこの長さなのかは、光が真空中をドウタラとか難しいので置いておきますが、とにかくコレって絶対的ですよね。 つまり 時と場合によって、1メートルの長さが変わることはないワケです。 ここまでは誰でも納得する話だと思います。 しかしココからが日本人にはフィットしにくく「はあ?何言ってんの?」となる話のようです。 なので「はあ?」と思った方は、ある意味健全な日本人なのかもしれません。 フィットしにくい話というのは、 実は倫理観や宗教も尺度だということです。 つまり さっきのメートルと同じです。 ホラ、だからキリスト教とかイスラム教とかって、めちゃめちゃ厳しい決まりがあるでしょ。 あの決まりってメートルと同じで、時と場合によりませんよね。 いわゆる「戒律」ってヤツです。 そしてキリスト教やイスラム教を見れば分かりますが、コレらの 宗教の戒律(決まり)を作っているのって、人ではないですよね。 神です。 つまりさっきのメートルと同じで、 人間ではないものによって尺度が決められているワケです。 ところが日本人の場合、倫理の尺度って宗教じゃないですよね。 一応仏教国となっていますが、仏教の戒律とか知ってます?そもそも戒律って考え自体がハテナな人も多いかと思います。 じゃあ何なの?って話ですが、 日本人の場合、倫理の尺度は人ですよね。 だから時と場合によって、正しいとされることが変わるのです。 小難しいので、かけっこの例で柔らかくしてみます んー難しいので、分かりやすくするために例を出してみます。 いつでしたかケッコウ前に、運動会のかけっこ競争で順位をつけないことが問題になりました(ゆとりの頃でしたっけ?)。 つまり足が速くても遅くても、みんな1番。 みんな同じ。 もともと特別なオンリー1なワケです。 コレはあまりにも極端すぎたので問題になりましたが、極端というだけで、 日本的な平等という意味では実に理にかなっています。 だって「尺度が人」であれば、みんな同じになるのは当然です。 だって、みんな人ですから。 だから「人という尺度」で「足の速さ」を測ったら、みんなが一緒の順位になるのは、当たり前のことなのです。 ところが海外の場合は、こんな発想はナカナカ出てきません。 いや出て来てもナカナカなじめないというのが正確な表現でしょうか。 だって彼らにとっての尺度は、人間でははないですから。 さっきのかけっこ競争の例でいうと、彼らにとっての 平等とは、秒数という正しい尺度で正確に人を測るということなのです。 だから秒数という尺度で測ったときに、足が速いとされる人も遅いとされる人も出て当然。 個人個人で差が出て当たり前だし、むしろ差をつけないことは公平ではないワケです。 日本人はもともと社会主義 と、ようやくここで冒頭に戻ります。 社会主義です。 「人が尺度」という日本人の思想は、「社会主義」という言葉が生まれるよりもズット前から根付いているものだと思いますが、コレってもうすでに社会主義じゃないですか。 だって 社会主義国の「どれだけ働いても皆同じ賃金」というのも、尺度が人なら当然の話ですよね。 さっきのかけっこ競争と同じです。 みんな人という点では同じなんだから、同じお金をもらって当然なのです。 まあもちろん、実際はもっとゆるい感じになると思いますよ。 宗教が強い国なんかを見ても、なんだかんだ理由をつけて、自分たちに都合の良いように解釈しようとしてますよね。 あくまで古くから根付いている根本的な思想の差だと思います。 ただなんにせよ、こういった視点で世の中のできことを見たとき、なんとなく納得いくものがないでしょうか。 例えば世界では格差が深刻な問題になっていて、もちろん日本でも叫ばれているんですけど、日本の中の格差って世界的には小さいですよね。 そういったこともこの日本人特有の考えによるものが大きいのではないかと思うワケです。 毎回書いているような気がしますが、だいぶ前の本ながら今でも十分すぎるほど通用するのではないかと私は思っているワケでございます。 コメントありがとうございます。 なるほどですね。 一度ちゃんと読み返す必要があるのですが、天皇陛下に関しましては、まさに山本七平氏の著書の中にもよく記載されていて、明治~敗戦までの間、日本は現人神である天皇陛下を絶対として統治を行おうとしていたようです。 ただ、いまばりさんはそうではないものと存じますが、戦後~現在においては、天皇陛下を絶対的な倫理の尺度におく日本人が大半を占めているとは思えません。 またヒドい主義と書かれていますが、具体的にはどういった点をヒドいと感じられているのでしょうか。 個人的には、このような日本の価値観はもちろん問題は多いものの、しかし世界的に見た場合、そんなに悪いものでもないんじゃないかと感じております。

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