この世 は 無常。 無常と無情の意味の違いとは?わかりやすく解説

諸行無常の意味(本当は怖い)をわかりやすく簡単に解説

この世 は 無常

諸行無常とは「この世の万物は常に変化して、ほんのしばらくもとどまるものはないこと。 人生の無常をいう仏教の根本的な考え。 この世は諸行無常、恐らくはその通りだと思われます。 実際に自分自身も、そして周囲も変化していることは実感済みでしょう。 変わるのが当たり前 この世はずっと変化し続けています。 そんなことは当たり前だろ、と言う人もおられるでしょう。 その通り、そんなことは「当たり前」なんですね。 当たり前すぎて気にもならないことでしょう。 咲いていた花は枯れますし、動物は必ず死を迎えます。 細かいことを言い出すとキリがありませんが、 変わろうと思ってなくとも勝手に変化しているのが「当たり前」の世界で生きています。 世の中も変化し続けています。 昭和は「十年一昔 じゅうねんひとむかし 」と言われ、10年前は昔だ、という感覚でした。 しかしこの「十年」が段々と短くなり、 今や「三年一昔、一年一昔」などと言われるような恐ろしいまでの変化スピードです。 変化のスピードに乗り遅れぬように こういった変化についていけるか否か、はとても重要なことです。 年齢を重ねるほど、この変化への感覚を大切にしておかねば、あっという間に取り残されてしまいます。 そういう感覚・感性が鴨長明の「方丈記」冒頭文に見られます。 「 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある人と栖 すみか と、またかくのごとし。 」 これは 「川の流れは絶えることがないが、水は常に入れ替わっている。 流れが滞っているところに浮かぶ泡は、消えたり現れたり、と長く同じであり続けない。 世の中に存在する人や家も同じようなものだ。 」 という意味です。 本当に素敵な感性です。 この 変化に気付いたり感じたりする感性を養うには、日頃から情報収集をし、勉強を怠ることなく努力を続け、常に観察することをやっていなければ身に付きません。 子どもの頃、勉強が嫌いで早く大人になりたいと思っていましたが、残念ながら今の方が責任重大で、毎日課題をこなさねばならない日々となってしまいましたね。 日々努力で日々勉強です、頑張りましょう。 スポンサードリンク 投稿ナビゲーション.

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この世 は 無常

無常の意味 まずは、「無常」の意味からです。 この世の中の一切のものは常に生滅流転 (しょうめつるてん) して、永遠不変のものはないということ。 特に、人生のはかないこと。 また、そのさま。 出典: デジタル大辞泉(小学館) 「 無常」とは、 「 この世の全てのものは、移り変わっていくこと」という意味です。 「この世の全て」とは、 「形があるもの・ないもの全てのこと」だと思ってください。 例えば、私たちが使っているテレビやパソコンもそうですし、 人や犬、自然現象まですべて当てはまります。 テレビやパソコンは、いずれは故障してしまいますよね。 永遠に使える家電製品など存在しません。 また、人間や犬などの生物も一緒です。 人間なら100年、犬なら20年もすれば、 たいがいはこの世から亡くなってしまうでしょう。 つまり、 「 世の中にあるすべてのものは、常に変化し続け、 移り変わっていくもの」だと言えます。 このことを、 「 無常」と呼んでいるわけですね。 この場合は、「人生のはかなさ」を 強調するような時に使うと考えて下さい 無常の語源 「無常」という言葉は、仏教の用語からきています。 簡単な例が、 『 平家物語(へいけものがたり)』です。 『平家物語』の最初に、 「祇園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり」という一文があります。 この「 諸行無常(しょぎょうむじょう)」 というのは、実は仏教用語です。 「 諸行」は「 この世の全て」、 「 無常」は「 移り変わっていく」という意味です。 すなわち、 「この世の全てのものは、常に変化していく」 ということを言っているわけですね。 仏教というのは、ブッダが始めました。 ブッダは、 「 人の苦しみは、いつまでも変わらないことから来る」 と主張したことで有名です。 例えば、 自分にとって大事な人が亡くなった場合、 誰もが悲しい気分になるでしょう。 人間として当然の感情ですよね。 しかし、もしも人の命が 永遠に続くとしたらどうでしょうか? なにか命の重みが軽くなってしまうような気がしますよね。 モノにしても一緒です。 いつか壊れてしまうからこそ、普段から大事に使うのです。 ブッダは、「諸行無常」を受け入れると、 不安や悲しみが軽減すると言いました。 その後、仏教は多くの人に影響を与え、 普段の生活でも「無常」が使われるようになったのです。 「無常」という言葉が普及したのは、 このような背景があったわけですね。 スポンサーリンク 無情の意味 続いて、「無情」の意味です。 思いやりのないこと。 また、そのさま。 精神や感情などの心の働きのないこと。 また、そのもの。 草木・瓦石・国土など。 出典: デジタル大辞泉(小学館) 「 無情」とは、 「 情けや思いやりがないこと」を言います。 「 無情」は文字通り、 「 情(なさ)けが 無(な)い」と書くので比較的分かりやすいでしょう。 この場合は、植物や土など 心がないものに対して使うのが特徴です。 思いやりがない」 という意味で使われることが多いですね。 ちなみに、 「無情」と間違えやすい言葉として 「 薄情(はくじょう)」があります。 両者の違いは、 「薄情」は、人を思いやる気持ちが薄いのに対し、 「無情」は、人を思いやる気持ちが 全くないという点です。 つまり、 無情のほうが、より冷酷ということですね。 例えば、風邪を引いて寝込んでいる人に対して、 看病を一切せず、かわいそうとすら思わないような人を 「無情」と言うのです。 無上の意味 最後は、「無上」の意味です。 最もすぐれていること。 また、そのさま。 出典: デジタル大辞泉(小学館) 「 無上」とは、 「 この上ないこと・最もすぐれていること」などを意味する言葉です。 「無上」は、 喜びや幸せなどが最高潮に達したときに使うと考えて下さい。 「無上」も同様に、仏語を由来とします。 元々は「無上菩提(むじょうぼだい)」からきた四字熟語で、 「無上」は「仏の悟り」を意味する言葉でした。 スポンサーリンク 無常・無情・無上の違い ここまでの内容を整理すると、 「 無常」= この世の全てのものは、移り変わっていくこと。 「 無情」= 情けや思いやりがないこと。 「 無上」= この上ないこと・最もすぐれていること。 ということでした。 冷静に比較すると、 それぞれ全く違う意味なのが分かるかと思います。 まず、「 無常」は「 常に 無い」と書くので、 「全てのものは 常にあるわけでは 無い( 変化していく)」と記憶するとよいです。 そして、「 無情」は、 「人情」や「感情」などのように、 そもそも 人の感情にスポットを当てた言葉です。 したがって、 「感 情が 無い」ので、「 無情」=「 思いやりがない」 と覚えるのが分かりやすいです。 最後の「 無上」は「この 上無い」と書くので、 「最もすぐれている」と覚えておきましょう。 ちなみに、 それぞれの「類語」は以下の通りです。 【無常の使い方】• 日本人が桜を好きなのは、咲いてもすぐ散る様子が 無常観を示しているからだ。 四季の変化を目の当たりにすると、自然というのは 無常であることを感じる。 彼は世の中の 無常を悟り、出家することになった。 この古典作品は、私たちに 無常観というものを教えてくれる。 ビジネスに絶対はなく、 無常のように変化していく世界と考えた方がいい。 【無情の使い方】• 勉強しない子供に腹を立て、母親はゲーム機を破壊するという 無情な行動にでた。 試合は一方的な負けゲームとなり、さらにグラウンドには 無情の雨が降り注いだ。 遭難者たちは山の中で助けを待っていた。 しかし、 無情にもヘリは上空を飛び去って行った。 彼のプロ野球選手になるという思いは、 無情の夢と散りそうだ。 音楽の世界は楽しい反面、非常に厳しいです。 ある意味、 無情の世界と言ってもいいです。 【無上の使い方】• 大学合格という結果を受け、今は 無上の気分です。 退院して自由に動ける生活に、 無上の幸せを感じています。 社長と一対一で話せるなんて、 無上の光栄です。 補足すると、 「無情」は「(人の)感情がない」という意味ですが、 場合によってはモノに対して使う場合もあります。 例文だと、 「無情の雨」や「無情にもヘリは~」などの文ですね。 このあたりは、臨機応変に 文脈から判断するようにしてください。 関連: 関連: まとめ 以上、内容をまとめると、 「 無常」= この世の全てのものは、移り変わっていくこと。 「 無情」= 情けや思いやりがないこと。 「 無上」= この上ないこと・最もすぐれていること。 ということでした。 どれも似ていて紛らわしい言葉です。 特に、「無常」と「無情」は間違えやすいので、 違いをしっかりと整理しておきましょう。

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『この世は無常迅速というてあるその無常の感じは若くてもわかるが迅速の感じは老年にならぬとわからぬら』の意味と定義(全文)

この世 は 無常

この記事には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 によるの参照が不十分です。 ください。 ( 2017年7月)• が含まれているおそれがあります。 生滅変化してうつりかわり、しばらくも同じ状態に留まらないこと。 非常ともいう。 あらゆるもの()が無常であることを といい、の1つに数える。 概略 [ ] 釈尊がして悟った時、衆生の多くは人間世界のこの世が、無常であるのに常と見て、苦に満ちているのに楽と考え、人間本位の自我は無我であるのに我があると考え、不浄なものを浄らかだと見なしていた。 これを四顛倒(してんどう=さかさまな見方)という。 この「無常」を説明するのに、「刹那無常」(念念無常)と「相続無常」の二つの説明の仕方がある。 刹那無常とは、現象は一刹那一瞬に生滅すると言う姿を指し、相続無常とは、人が死んだり、草木が枯れたり、水が蒸発したりするような生滅の過程の姿を見る場合を指して言うと、説明されている。 この無常については、「」として・の筆頭に上げられて、の根本的な考え方であるとされている。 なお大乗仏教では、世間の衆生が「常」であると見るのを、まず否定し「無常」であるとしてから、仏や涅槃こそ真実の「常住」であると説いた。 これをと言うが、これについては大乗のに詳しい。 日本人と「無常」 [ ] 「祇園精舎の鐘の声」で始まる軍記物語『』、の「願はくは花の下にて春死なん その如月の望月の頃」に代表される散りゆく桜と人生の儚さ、の随筆『』、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」で始まるの『』など、仏教的無常観を抜きに日本の中世文学を語ることはできない。 単に「花」と言えばのことであり、今なお日本人が桜を愛してやまないのは、そこに常なき様、すなわち無常を感じるからとされる。 「永遠なるもの」を追求し、そこに美を感じ取る西洋人の姿勢に対し、日本人の多くは移ろいゆくものにこそ美を感じる傾向を根強く持っているとされる。 「無常」「無常観」は、中世以来長い間培ってきた日本人の美意識の特徴の一つと言ってよかろう。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• Thomas William Rhys Davids; William Stede 1921. Motilal Banarsidass. 355, Article on Nicca. Richard Gombrich 2006. Routledge. , Quote: "All phenomenal existence [in Buddhism] is said to have three interlocking characteristics: impermanence, suffering and lack of soul or essence. Robert E. Buswell Jr. ; Donald S. Lopez Jr. 2013. Princeton University Press. 42—43, 47, 581. 朝日新聞社. 2017年8月2日閲覧。 参考文献 [ ]• 『無常』<>、1998. 『仏教入門』<>、1990. 『モオツァルト・無常という事』、1961. 2、 関連項目 [ ] に関連の辞書項目があります。

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