地球 温暖 化 懐疑 論。 地球温暖化懐疑論とナオミ・ザイプトの「反グレタ」論

地球温暖化に対する懐疑論

地球 温暖 化 懐疑 論

そもそもの地球温暖化脅威論 そもそもの地球温暖化脅威論はそんなに昔の話ではありません。 地球温暖化脅威論の 発端は1988年 NASA(米航空宇宙局)のハンセンは、1988年の議会証言で地球温暖化について警告し、この問題に初めて世界の注意を促しました。 「人為起源CO2が地球を暖めている」という地球温暖化説は、1988年国連傘下の組織「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」が報告書で改めて指摘。 報告書は、温暖化を自明の事実とみた上、「温室効果ガスをこのまま大気に排出し続けると、生態系や人類に重大な影響を及ぼす気候変動が進む」と警告しました。 この直後から、科学的賛否の議論は起こらず一気に政治問題化しました。 しかし、地球物理学者をはじめとして地球温暖化問題をを懐疑的にみている学者は多いようです。 北極熊 その後の、世界各国の地球温暖化対策の取り組み 1997年12月、地球温暖化に対する国際的取り決めのための会議 COP3が京都で開かれました。 ここで決められたのが 京都議定書です。 京都議定書は先進国に、「2008~2012年に温室効果ガス(二酸化炭素、メタン、一酸化二窒素、フロンなど)を1990年比で約5%削減」を要求しました。 このとき、国ごとの排出削減目標として、EUは 8%、アメリカは 7%、カナダと日本は 6%の削減を課せられました。 日本は排出量取引などの「数字合わせ」で目標を達成します。 ですが、アメリカは2001年3月末に議定書から離脱。 カナダも2007年4月に「6%削減の断念」を発表し、2011年12月に離脱を表明。 国連の意図は、温暖化問題を口実に、先進国から途上国への財政支援を促すことにあった。 京都議定書の中で中国は、排出削減義務のない「途上国」に分類された。 中国は、1980年代の排出量は少なかったが、今では日本の8倍もCO2を出して世界最大の排出国になっている。 この中国は野放しになっています。 2015年12月には、地球温暖化対策の新ルール「 パリ協定」が発効しました。 京都議定書が先進国だけに温室効果ガス削減を求めたのに対し、パリ協定は途上国を含むすべての締約国が対策を実施することとなりました。 ただし、今なお「途上国」に分類される中国は、「2030年まで実質的な排出削減はしない」という趣旨の発言をしています。 日本の8倍もCO2を出している国中国は、やはり野放しです。 一方日本は、2013~30年の18年間で、CO2を13年度比で26%削減目標。 その内訳は『エネルギー起源CO2』が21. 9%、『その他温室効果ガス』が1. 5%、『吸収源対策』が2. 6%)の削減を目標に掲げています。 気候変動の現実主義者ナオミ・ザイプトの登場で地球温暖化議論のきっかけに 今まで少なくとも日本では、政府もマスコミも地球温暖化問題ありきでした。 ここ日本では、マスコミで温暖化懐疑論者も出てこなかったし、全く議論がなされず、膨大な補助金がだされ、もはや温暖化利権が出来上がっています。 ここにきて、気候変動の現実主義者のナオミ・ザイプトの登場は、日本や世界に 温暖化問題の議論が巻き起こるきっかけになるでしょうか? ナオミ・ザイプトは、クレタ・トゥーンバーグの「パニックになってほしい」に対して、 「パニックになってほしくありません。 考えてほしいです。 」と訴えています。 CO2排出 地球温暖化懐疑論 そもそも人為起源CO2を温暖化の主因と見る前提そのものが疑わしいという意見が専門家の中にもあります。 著書に『「地球温暖化」狂騒曲』(丸善出版)と訳書『「地球温暖化」の不都合な真実』(日本評論社)がある東京大学名誉教授の渡辺正氏の主張を紹介します。 気温が上がっているのは 都市部 しかし、そもそも地球の気温と大気中のCO2濃度に相関関係はほとんどない、と東京大学名誉教授の渡辺正氏は主張しています。 渡辺教授は、次のように述べています。 「地球温暖化脅威論者は、『気温上昇の主因は人為的CO2の増加』と主張しますが、いろいろな気温データを見るかぎり、とてもそうとは思えません。 人為的なCO2の排出が激増したのは1940年代以降ですが、過去150年ほどの気温は、1940年代より前にも、昇降を繰り返してきました。 つまり地球の気温を変える要因として、人為的CO2以外(主に都市化と自然変動)が随分大きいのです」 「たとえば、1910~40年には最近とほぼ同じ勢いの昇温が起きたし、1940~70年代の地球は寒冷化し、 氷河期の再来を警告する科学者が随分いました。 それだけでも、CO2と地球温暖化の相関関係は小さいとわかります」 年配者は、「子ども時代の夏はもっと過ごしやすかった」と語る向きも少なくない。 しかし渡辺氏によれば、それは主に都市部で起きた現象にすぎず、非都市部(田舎)には気温がほぼ横ばいの場所も多いといいます。 「走行中の乗用車1台は30キロワットのヒーターですから、これほど車が増えた東京なら暑くなって当然。 また、東京の気温は100年以上、大手町のビル街、気象庁の構内に置いた1本の温度計で測ってきました。 ビルの建設が風通しを悪くし、周囲を走る車も増えたため、温度計の読みが上がっても当然です。 その証拠に、2014年の暮れに温度計を北の丸公園へ移したところ、年平均気温が1. 同じ東京都でも、三宅島の気温はほぼ横ばいですから、やはり都市化の寄与はそうとう大きいでしょう」 「ちなみに、種々の世界気温データを総合すると、温暖化が問題にされ始めた1988年から30年余の温度上昇はせいぜい 0. 体感もできないその昇温が、異常気象を引き起こすとは思えませんね」 と述べています。 この渡辺教授の考えは、そもそも、太陽活動は活発な時とそうでないときがあって絶えず地球の気温は変動している。 全てが、CO2排出による人為的な原因で温暖化が起こっているわけではないというもの。 考えてみれば、この先、多少地球が温暖化しても、地球上の生命種の絶滅はほとんどないでしょうが、地球が歴史的に何度か見舞われた寒冷化は、生命が生存できない環境がやってきます。 それで、今の温暖化問題を「 真冬の前の小春日和」と例える物理学者もいます。 緑に囲まれた地球 CO2増加は 食物や緑を豊かにする さらに、渡辺教授は次のように言います。 「大気中のCO2増加と地球温暖化にきれいな相関がないのは、素人目にも明らかだ。 メディアはCO2を悪者扱いにするが、CO2増加のメリットは計り知れない」 「植物は光合成でCO2を物質に変えます。 少し考えてみればわかるとおり、私たちの食卓に上るもののうち光合成と縁がないのは、水と食塩の2つだけ。 増えるCO2が植物の生育を促す結果、作物の収量が増えて緑化も進み…と、いいことずくめです。 そのプラス面をメディアがまったく報じないのは不思議ですね。 脅威論を叫ぶ人々も、この話には口をつぐみます。 到底科学者とは思えません」 実際ここしばらく、農作物の収量は全世界で増え続けている。 米国農務省が発表したデータでも、2000年度に18. 5億トンだった世界の穀物生産量が、2019年度には26. 6億トンまで増えた。 もちろん農耕技術や肥料、農薬などの進歩も大きいとはいえ、大気に増え続けるCO2がかなり効いていると考えてもおかしくはない。 北京大学の朱再春ほか31人が2016年4月の『ネイチャー・クライメート・チェンジ』誌に出した論文によると、1982~2012年の32年間に及ぶ衛星観測の結果、「地球全体で植物の量は10%ほど増え」、「緑を増やした要因のうち、大気に増えるCO2がほぼ7割と推定される」という。 植物にとっては、CO2をエネルギーに変えているのでCO2は大切なエネルギー源なんですね。 地球の大気中の二酸化炭素濃度は、昔はもっと多く、ここ10億年で 1000分の1に減少しています。 このまま減り続けたら植物が生きられないという理屈もなり立ちます。 もう一人別科学者の意見もご紹介します。 中部大学 武田邦彦教授の意見です。 地球温暖化詐欺_武田邦彦 地球温暖化の不都合な真実 温暖化対策は、竹やりでB29爆撃機に立ち向かうようなもの 日本政府は今後 100兆円を温暖化対策に使っても 効果は微々たるものです。 日本政府は温暖化対策の名目で現在、国税・地方税などもろもろ合わせて 年間5兆円以上も使っているといいます。 渡辺教授は言います。 「 CO2地球温暖化説は、妄想やファンタジーです。 研究者の内輪話なら何も言いません。 けれど、CO2削減策だと称し、京都議定書時代の2006年から、パリ協定時代の2030年へと至る25年間に、日本は 100兆円も使うことになるのです。 その100兆円には、2012年の民主党政権が導入した『再生可能エネルギー発電促進賦課金』が40兆~50兆円ほど含まれます。 家庭が払う電気料金の約1割に上り、昨年の実績だと年2兆8000億円に上りました」 「世界の3. 5%しかCO2を出さない日本が、人間活動による21. 9%を減らした場合、0. 219という計算から、たったの 0. むろん、気温上昇の大部分が都市化や自然変動のせいなら、その0. 「 要するに温暖化対策は、竹やりでB29爆撃機に立ち向かうようなもの。 いや、それだけなら笑い話で済みますが、巨費を防災や感染症対策など大事な用途に回せなくなるわけだから、勢い余って竹やりで戦友を刺し殺すような自滅行為、というのが素顔ですね」 と渡辺教授は指摘します。 今のところ、アメリカ、中国は、温暖化対策を行いません。 日本が国家破産までして頑張っても温暖化問題は効果なしという所でしょうか。 ここで、ナオミ・ザイプトの主張です。 彼女は、「パニックになってほしくありません。 考えてほしいです。 」と言っています。 いま、日本人は、異常なほどの予算を温暖化対策に使おうとしています。 日本人は、 静かなパニックに陥っているかもしれません。 まとめ 今回は、「地球温暖化懐疑論とナオミ・ザイプトの「反グレタ」論」という内容でお送りしました。 最後まで読んでいただきありがとうございました。 なお関連記事もご覧ください。 「」 「」.

次の

地球温暖化に対する懐疑論

地球 温暖 化 懐疑 論

「我ら」対「彼ら」のドラマは、私たちの文化が自動的に繰り返し発動させるものですが、「気候変動に対する戦い」だけでなく、目に見える敵を探す中でも見られ、気候変動が真実だということを疑ったり否定したりする人々に対する戦いとして現れます。 この考えは次のように進みます。 化石燃料関連企業と、資本家や投資家、政治的盟友、一握りの賄賂がらみの学者らが作る、不埒(ふらち)な同盟を、もし打ち負かすことさえできれば、私たちは気候変動を止めるため有意義で迅速な行動を取ることができるでしょう。 敵の正体ははっきりしています。 私たちはいつもの戦闘態勢に落ち着くことができます。 戦争のほぼ普遍的な戦術は敵の非人間化です。 したがって、気候変動反対運動の「標準的な物語」が訴えるのは、人為的気候変動を信じない人々は精神的・道徳的な能力が足りないに違いないということです。 彼らは強欲で、性根が腐っていて、妄想に取り付かれていて、現実から目を背けている。 彼らは偽善者で、嘘つきで、サイコパスだ。 そんなことを考えるなんてあり得ない、言語道断だと思えてきます。 私自身は偽善者、嘘つき、サイコパスではなくて、精神的・道徳的な能力を少なくともいくらかは持っていると信じていますから、気候懐疑論者の物の見方をもっと深く探求してみることにしました。 気候懐疑論の陣営は、上の非難をひっくり返し、主流の気候科学者は無能で腐敗していると言います。 (もっと教養のある信奉者が強調するのは、集団思考、出版や研究資金の偏り、政治的圧力を主な手段として正統論を押し付けていることです。 )懐疑論者は「気候否定論」という烙印に対し、主流の考えを「気候脅威論」と呼びます。 ここまでに書いたことから、気候変動を信じる人から見ると誤った等価関係[似ているように見える部分が両者にあるからと言って同じだと見なすこと]のようなものを引き合いに出している点で、私は懐疑論者の側に寄っているように見えるかもしれません。 結局のところ、第二次世界大戦ではナチスと連合国もお互いを悪魔扱いしていましたが、だからといって両陣営が同じだということにはなりません。 あの戦争を戦ったのは悪玉と悪玉でした(よね?)しかし、ますますその傾向が強いこの戦争には、人類の生存がかかっています[2]。 敵の立場の正当性を少しでも擁護したり戦争の根拠を批判したりするのは、もう裏切り行為です。 ブッシュ政権の対テロ戦争では「敵に塩を売る行為」だと言われました。 同じように、どちらか一方を支持しないのは裏切り行為です。 それが戦争のメンタリティーというものです。 戦時になると、平和主義者が引き寄せる敵意や侮辱は、敵国に向けられるものよりも強いのです。 なぜでしょう? それは、人々が自分を重ね合わせる役割や、その中に生きている物語の正当性を、平和主義者が疑問視するからです。 平和主義者によって脅かされるのは、生存ではなくアイデンティティー[つまり、自分は何者であるかという信念]です。 私が懐疑論の立場を探索するに当たって、私は一種のばか正直をわざと装うことにしました。 両側が互い対して下している評価を棚上げし、今のところは議論の参加者のほとんどは、完璧ではないにしても、有能で、知性があり、誠実な人たちだと想定しました。 私は標準的な気候の物語から様々な主張をかいつまみ、つぎに私が見つけた中で最も良い懐疑論のブログやウェブサイトを徹底的に読んで、地球温暖化の圧倒的な証拠と見えるものについて彼らが実際に何を言っているかを観察しました。 懐疑論者の主張への反論も、私が見つけた中で最も丁寧な粘り強い反論も読みました。 それでは私の冒険の代表例をお目に掛けましょう。 私の反応は劇的効果のため適切に誇張してありますけど。 まず私は人為的地球温暖化の動かしがたい証拠のように見えるものから取りかかりました。 それは、20世紀に地球気温の上昇が急加速したことを示すマイケル・マンの「ホッケースティック」曲線です。 その曲線には、比較的安定した気温が何世紀にもわたって続いた後、大気中の二酸化炭素の増加にぴったりと歩調を合わせて急速な温暖化が進んだことが描かれています。 その数値に議論の余地はありません。 確かに、相関関係があるからといって因果関係の証明にはなりませんが、特に二酸化炭素の温室効果を考えれば、これほど極端で過去に例のない上昇の因果関係をうまく示せるような他の説明がありません。 知性ある人がこんなに強力な証拠をどうして疑うことができるのでしょう? 私はそれを明らかにしようと決心しました。 ホッケースティック曲線を描くのに使った統計手法には重大な欠陥があると、気候懐疑論者は主張します[3]。 現在のデータも過去のデータも、信頼できず不完全で大幅に「修正」されたものだと批判します。 最近の温暖化を立証するため常にバイアスがかかり、過去の値は低く、最近の値は高く修正されているのです。 彼らによれば、木の年輪を気温の代理データに使うことは、木の成長が遅い理由は低温ではなく低い二酸化炭素濃度や少ない降水量かもしれないことが考慮されていません[4]。 現在のデータも都市のヒートアイランド効果のため信頼できず、昔に比べると現在はとんでもない数の測候所がエアコンの排気口や駐車場、空港、水処理施設など熱源の近くに設置されているとも主張します[5]。 さらに、生データは均一化という処理で上向きに修正されます[6]。 ある測候所で近くの測候所と一致しない観測結果を示している場合、データは測定器の誤動作か微気候の影響を受けていると仮定して均一化されますが、普通は低い測定値を示す測候所を上向きに修正し、ビルやアスファルトがあって温度が高くなっている測候所と比較してそちらに合わせることが多いと懐疑論者は言います。 この問題があるため、研究者の中には人工衛星で観測した別の気温データに注目する人もいて、これなら大きなばらつきのある気まぐれな地表気温測定値の影響を受けません。 結局のところ、温室効果の理論モデルが予測するのは対流圏全体の温暖化です。 何種類かある人工衛星のデータは、互いに良く一致していて、ホッケースティック曲線が最近になって急上昇している部分を描くのに使われた地表気温データより、ずっと遅い温度上昇を示していると懐疑論者は言います。 いずれにしても、現在の気温は中世の温暖期よりまだ低く、これを無かったことにするため度重なる企てにさらされてきました。 さらに、過去の二酸化炭素濃度の変化は気温上昇に先だって変化したのではなく気温上昇の後で変化しており、全く関連しないことも多いと懐疑論者は言います。 氷床コアによる二酸化炭素濃度の再現に使われたデータは、標準的な物語と矛盾する値がある場合、サンプルが汚染されているはずだという理由で削除したものです。 何ということでしょう。 巨大科学が広めた公式見解を信じるなんて、私は何と愚かだったのでしょう。 私は他の人たちと同じように正統論を信じるよう騙されていたのです。 こんなガセネタを掴まされるなんて、私は一体どうしてしまったのでしょう。 念のために、主流の気候学者がこれに対して何と言っているかを見てみました。 見て下さい、事実は懐疑論者の主張とは違っています。 ホッケースティック曲線を批判する人は、1つか2つの小さな間違いをあげつらってこの論文全体を打ち捨てようとしますが、その間違いは2008年版の論文では訂正されています。 元の論文が発表されてから、同業者による査読を受けた他の研究で、別の数々の気温代理データを使って、最近20年間の気温は過去2千年で最も高いことが何度も確認されました[7]。 今ではいくつもの古気候データが「ホッケースティック」曲線を再現していて、全てマイケル・マンの曲線に概ね一致しています。 衛星データについては、衛星の軌道減衰のため見かけの冷却効果が現れ、これを補正する必要があることを、懐疑論者は分かっていません。 温度の生データは信用できないのです。 第二に、温度データは「日周的変動」による歪みを受けます。 第三に、衛星は実際に温度を測っているのではなく、大気中の酸素が放出するマイクロ波を測っていて、それは間接的に温度の関数となっているに過ぎません。 第四に、私が見ていた図は対流圏内の様々な高度の加重平均を基にしていて、これは寒冷化を誇張しかねない方法で重み付けされた値なのに加えて、異なる種類のセンサーで測ったデータを気温という一つの尺度に組み合わせなければなりません。 いずれにせよ、科学者はこの食い違いを深刻にとらえましたが、その理由を調査してデータを補正した結果、衛星データは地表気温データや理論モデルと極めて良く一致しました。 さらに、実際の衛星データは5種類あって、懐疑論者がいつも見せるのは最も小さい温暖化を示すデータですが、これはもう一つの対流圏気温測定法である気象観測気球のデータとの不一致が最も大きいのです[8]。 二酸化炭素濃度の推移が必ず気温上昇の後で起こるように見えるのは、気温の上昇によって正のフィードバック循環が始まり、小規模な温暖化を増幅するからだと主流科学者は言います。 ヒートアイランド効果とデータ補正については、生データの歪みを除去するため綿密に行っていると主流科学者は言います[9]。 さらに、村落部と都市部の測候所は一致した温度の上げ幅を示しています[10]。 同じことが氷床コアの二酸化炭素濃度にもいえます。 二酸化炭素濃度がそのような値だったと説明できるメカニズムが存在しないので、科学者は非常にもっともな科学的な理由で、正確ではあり得ない異常値のデータ点を除去しました。 科学者コミュニティー内の長々としたやり取りを無視し、何らかの「意図」に基づいて測定結果の操作を黙認したなどと机上の空論で意見を言うことは、科学者に対する侮辱であり、実際に科学がどのように営まれているかについて深刻な理解不足を露呈するものです。 わぁ、化石燃料産業に雇われていない本物の科学者の反論を、気候否定論がこの本に忍び込む前に読めて本当に良かった。 うっかり否定論者に丸め込まれるところでした。 何十年もこのテーマを研究してきた気候科学者より私のほうが良く知っているなんて、いったい私は何様のつもりだったのでしょう。 たった2〜3週間インターネットで「研究」しただけで、科学者が間違っていて頭脳や物の見方に問題があると明らかに分かるような証拠が見つかるなんて、何という思い上がりでしょう。 科学者を疑ったことを恥ずかしく思います。 配慮を怠らないために、懐疑論者がこれに反論しているかどうか見てみましょう。 反論はあります。 2008年版のマンの論文には元の論文と同じ基本的な欠陥があり、他の「ホッケースティック」曲線の研究も問題のある同じ代理温度データを使っていると懐疑論者はいいます。 村落部の測候所が都市部と同じ上昇傾向を示す理由は、村落部と分類されていても、その多くは著しい都市化の影響を受けているからだと主張します。 じつは軌道減衰の要因は20年前に補正されたもので、どちらにしても下部対流圏の測定値にだけ影響するもので、ここでは問題にならないといいます。 日周的変動も補正済みです。 マイクロ波放射は地表気温の測定に使われる電気抵抗法よりも優れた温度測定手段です。 気候問題の支配者集団は物語やモデルに合わないデータを見つけるたびに何度も「データ修正」していて、どれも高い方への「修正」なのはもちろんのことです。 気象観測気球測定値と一致し、より大きい温暖化を示すデータがあるのは、校正ドリフトの補正をしていない衛星のデータを使い、実験データではなく気候モデルに基づいて日周的変動を補正したためです[11]。 またしても丸め込まれるところでした。 背後にある科学を本当に理解することなく少数意見を却下した判断の権威は見せかけだったのです。 この行ったり来たりから見えてくることは、純粋に証拠に基づいて私が何を信じるかを選ぶのは、結局おそらくは不可能だということです。 温度測定値の問題をもう少し深く追求しようとしたとき、大気物理学や統計手法など私の科学的経験が足りなくて簡単に理解できない専門的詳細の泥沼に陥ってしまいました。 念のため言っておきますが、私には科学の教養があり、エール大学から数学の学位も受けています。 私が論点の是非を判断できないのに、どうして一般市民にできるでしょうか。 さらに、科学的経験を持つ人のあいだにも意見の不一致があることから分かるのは、私がもう少し勉強したところで問題が解決するわけでもなさそうだということです。 私が誰を信頼するかは証拠によらないで選ぶ以外になくなりました。 あなたが気候学者、気象学者、大気物理学者でなければ、私と同じ立場です。 人為的地球温暖化を信じるかどうかは、学術出版の健全性、査読と研究資金の公平性、科学者個人や研究機関が確証バイアスに抵抗する姿勢など、科学支配者層の権威と誠実さを受け入れるかどうかに、ほとんどかかっています。 多くの人々、とくに自由主義者と進歩主義者にとって、科学は私たちの社会に残っている唯一の信頼できる制度です。 人為的気候変動を疑うことは私たちの文化における正当な真実の源を疑問視することに他ならず、科学を正当性の拠り所とする他の制度を疑問視することでもあります[12]。 これが理由で、とくに米国では、気候変動を信じない人々は他のさらに根本的な科学理論も信じない宗教右派に属しているのが普通なのです。 もしあなたが進化論は聖書の天地創造物語を否定するための巨大で不道徳な陰謀だと信じているなら、気候変動を信じないのも無理なこじつけではないでしょう。 気候変動を疑う人を、地球は平らだと信じている人に嘲りを込めて結び付けるのには、一片の真実が含まれています[13]。 真実は嘲りの方ではありません。 彼らが愚かで間抜けということではないからです。 真実なのは、大きな勢力を持った文化における知識の最大の権威に反逆しているということです。 気候変動を信じない気持ちにさせる別の要因は、深く根ざした経済的、社会的、政治的な見方と相容れないからというものです。 意外でもないでしょうが、気候変動を疑う人のほとんどが保守的な政治的意見を持っています。 ふつう彼らは政府がビジネスを規制することに反対し、気候変動は規制強化の正当化につながる危険な理由だと見ます。 何の抑制もない「天然資源」の搾取に賛成することが多く、人類の成長には技術で乗り越えられない限界が自然によって与えられているという考えをあざ笑います。 原子力賛成、フラッキング[岩盤破砕による石油天然ガス採掘]賛成、海上石油掘削賛成、石炭採掘賛成で、産業開発を地球の隅々にまで押し広げることに賛成するのが普通です。 私たちは気候に害を及ぼすようなことはしていないという彼らの立場は、一般に環境を害するようなことはしていないという立場と一体のもので、遺伝子組み換え生物、化学廃棄物、核廃棄物、海を漂うプラスチック、殺虫剤、製薬廃棄物、生息地の破壊などはあまり気にすべきではないと主張することが(常にとは言いませんが)ひじょうに多いのです。 さらに、気候変動懐疑論のブログと、特にそのコメント欄には、イスラム嫌いの感情(政府は気候変動のデマを使ってイスラムという本当の脅威から目を反らそうとしているのだ!)や、その他のオルタナ右翼の作り話がちりばめられていることがよくあります。 人為的気候変動を信じるのには、証拠に基づかない理由が、手短に言って2つあります。 科学という制度への信頼と、気候変動が起きていることを疑う人々に悪い仲間が連なっていることです。 では、私が気候懐疑論の世界へと降りていった結果、最後に何が分かったのでしょうか? あなたがまだ「私がどちら側に付いているのか」という問いへの答を待っているのなら、もう少し(この章の終わりまで)お待ちいただかなくてはなりません。 しかし、私の探求で一つ分かったことは、どちらの側も相手方の特徴を誤って評価しているということです。 懐疑論者の側は、無知や疑似科学などの悪い影が付きまとうものの、異端の考え方を公表したばかりに激しい敵意に耐えている、理性と科学的素養のある人々が多くいます。 気候懐疑論者と戦うために(まず「気候否定論者」という不快な中傷を浴びせることから始まる)「悪に対する戦争」のアプローチを取るのは、誤った前提に基づいています。 彼らの立場に合わないデータを見過ごしたり矮小化したりすることはあると思いますが、ジュディス・カリー、ジョン・クリスティー、ロイ・スペンサー、ジム・スティール、スティーブ・マッキンタイヤーのような著名な反主流派は、腐敗していないし、愚かでも不誠実でもなく、少なくとも何人かは熱心な環境保護主義者でもあり、自然の荒廃が進んでいることを心から心配しています。 さらに、少なくとも一般人の視点から両側を見渡すと、懐疑論者の批判の中には的を射たものもあります。 主流の見方が正しくても正しくなくても、尊敬を持ち独善を排して懐疑論者と関われば、科学と一般市民は恩恵を受けることでしょう。 懐疑論者が支配層科学者に向ける冷笑するような見方も間違っています。 気候科学者と話したり科学論文を読んだりすれば、この人たちも一般的に言えば地球のことを深く気にかける慎重で良心的な科学者だということがよく分かります。 懐疑論のブロガーが悪の陰謀への加担や、犯罪的な怠慢、資金的な腐敗、隠れた「政治目的」のことで科学者を非難し、「環境屋」や「活動屋」のような軽蔑語で不用意に茶化すなら、懐疑論者がいくら筋の通った批判をしても信ぴょう性を失うでしょう。 さらに、研さんを積んだ科学者ではない多くの懐疑論者は、しばしば臆面もなく堕落した知性をさらけ出し、彼らこそが政治目的を持っているのではと疑いたくなります。 彼らは自分が望む結論を支持する説得力のない証拠や主張を無批判に受け入れます。 代表的な例を紹介します。 私は権威ありそうな氷床コア代理温度データのグラフを見つけました。 一見すると1万年前から現在までを表していて、ミノア温暖期、ローマ温暖期、中世温暖期には現在の気温よりずっと高かったことを示しています[14]。 それは右派のブログに掲載され、そこには「気候問題の支配層はバカか腐敗しているかどちらかだ、現在の気温は過去の時代よりずっと低いことを自分のデータが示しているぞ」というようなことが書かれていました。 コメント欄は同意の大合唱でした。 とても印象的なグラフだったので、私は情報源を当たってみたところ、R・B・アレイが書いた査読論文でした[15]。 それを読んで分かったのは、ブロガーが作ったグラフは非常に誤解を招きやすいものだということでした。 グラフを描くのに使ったデータは1905年までしか無かったのです(氷床コアはごく最近の気温には有用な代理データとはならないので、これは理解できます。 )しかしグラフの目盛りは現在までを表示しているかのように振られていました。 つまり、過去の時代の気温は、現代の炭酸ガス排出による温暖化が始まったと考えられるより前の、1905年当時よりはずっと高かったということです[16]。 もちろん、科学の経験がなく政治目的を持った一握りの支持者の振る舞いによって、懐疑論者の主張が無益だということにはなりません。 それは、私たち自身のも他者のも含め、確証バイアスに注意して慎重に進むよう警告していると受け取るべきです。 確証バイアスとは、既存の信念に一致する証拠を好み、その信念を支持するように証拠を解釈する傾向のことです。 ですから、背景データを一通りチェックするだけで偽りだと分かるのに、右派ブロガーはまったく吟味することなくそのグラフを受け入れたのです。 自分の意見に自己執着すればするほど、確証バイアスの可能性が高まります。 この自己執着の兆候には、独り善がり、自惚れ、意見が合わない人への軽蔑などがあります。 残念ながら、この3つ全てがどちらの側の文章にも数多く見られ、私はどちらの側も信頼することができなくなってしまいました。 皆さん自身で両側のブログとコメントをお読みになって、この人たちが自分の誤りを進んで認めることができるだろうかと自問してみて下さい。 ここで、読者の皆さんは自分には確証バイアスはあまり無いと思うかもしれませんが、気候変動についてあなたの立場に批判的な意見を読んだらどう反応するか気付いて下さい。 あなたの立場を支持する意見を読んだときよりも深く吟味しませんか? 書いたのは誰でしょう? 査読付きの学会誌に発表されたものでしょうか? 石油会社から資金提供を受けているでしょうか? 偽りだと証明する証拠を探そう…。 そういう物の見方からは、表面的な反論、誹謗中傷、根拠のない非難ぐらいしか出てくることはなく、相手方を信じる人は批判を無視するでしょう。 同様に、あなたの立場と一致する記事をあなたは無条件で受け入れるでしょう。 わざわざ修正前の生データを見ることも、代理温度データの忠実度を疑うことも無いでしょう。 この傾向が一般化すると、私たちの社会は隠れた合意を吟味することなく、共通の利益をないがしろにしたまま、ますます隔絶された現実バブル[泡、つまり閉じた空間]の中に閉じこもり、お互いに争いを続けることになります。 注: [2] 私はここで第二次世界大戦の標準的な物語を引いています。 現実には明らかに悪玉がいましたが、悪玉がいたかどうかはそれほど明らかではありません。 枢軸国に対する戦争は、その歴史的起源とアメリカ帝国の野望の実施に密接に結びついていて、さらに悪質な帝国勢力の敗北は幸いな副産物でした。 [3] たとえばムラー(2004)を参照。 反論についてはクルーガー(2013)を参照。 基本的な統計の批判について簡単なまとめは、モリアーティ(2010)を参照。 [4] モリアーティ(2010)。 [5] ワッツ(2009)を参照。 [6] この論争のわかりやすい説明は、スティール(2013)を参照。 [7] モリアーティ(2010)。 [8] フォスター(2016)。 [9] これがどのように行われるかについて部分的な説明はハウスファーターとメン(2013)を参照。 [10] ブログ「Mothincarnate」(2015)。 [11] スペンサー(2016)。 [12] 私がここで科学というのは、科学の方法そのものを指しているのではなく、科学という制度がそれを誠実に擁護しているかどうかだけを問題にしています。 誠実な擁護に失敗したことが、より深い認識論や存在論の問題を反映したものかどうかは別の問題です。 科学の方法は暗黙の形而上学的仮定を含んでいて(観察者から独立した客観的な現実など)、それは仮定の中からは検証不可能です。 制度内で客観的な真実の追求に明らかに失敗していることは、査読、学問の実践、より厳格な実験の再現などの改革によって原則として排除できる条件付きの弱点ではなく、形而上学的な基礎の限界を回復不能な形で反映したものかもしれません。 [13] 何人かのとても知性ある人々が地球は平らだと信じているのを私は知っています。 最近になって地球平面説を信じる人が増えてきたのは、一般人が主流科学者からますます疎外されるようになったことを反映しています。 多くの評論家はこれを、科学者の傲慢さと意思疎通能力の低さ、高度に専門化した科学用語が理解不可能なこと、一般市民の無知と愚かさのいずれかが原因であるとしています。 しかし別の可能性があって、経済的であれイデオロギー的であれ、支配層全般との同盟関係によって、主流科学者は不信感を持たれるようになったというものです。 付言しますが、地球は丸いと私は思います。 さらに付言しますが、「丸い」という形容詞が存在論的に見て正しいという限りにおいて、そう思います。 [14] 文脈を無視して使う人がいるかもしれないので、そのグラフをここに載せたくありません。 インターネットで「GISP2 氷床コア 気温データ 過去1万年」と検索すれば簡単に見つけることができます。 [15] アレー(2000)。 [16] この堕落した態度のために、ミノア、ローマ、中世の温暖期が現在よりおそらく温暖だったという事実が見えなくなってしまいます。 (原文リンク) 次> > 前< 著者: 翻訳:酒井泰幸.

次の

地球温暖化CO2犯人説は眉唾?懐疑論者が語る「信憑性に欠ける証拠」(ダイヤモンド・オンライン)

地球 温暖 化 懐疑 論

地球温暖化への懐疑論に関する考察 地球温暖化への懐疑論に関する考察 Critical comments on several skeptic views about global warming 増田 耕一 Kooiti M ASUDA, 海洋研究開発機構 地球環境フロンティア研究センター, グローバル水文気候学 明日香 壽川 Jusen A SUKA, 東北大学 東北アジア研究センター, 環境エネルギー政策論 吉村 純 Jun Y OSHIMURA, 気象研究所, 気象学・気候モデリング 河宮 未知生 Michio K AWAMIYA, 海洋研究開発機構 地球環境フロンティア研究センター, 炭素循環モデリング・海洋物理学 この文章は日本科学者会議の雑誌「 日本の科学者」に発表されたものです。 著者の所属は発表当時のものです。 引用する場合は、この出版物を参考文献としてあげてください。 増田 耕一, 明日香 壽川, 吉村 純, 河宮 未知生, 2006: 地球温暖化への懐疑論に関する考察。 日本の科学者, 41, 492 - 497. 要旨 人為起源の二酸化炭素が地球温暖化を起こすことについては、 多くの科学者の間で合意が得られたと言える。 しかし、少数ながら、それを否定したり強く疑ったりする議論もなん通りか聞かれる。 ここでは、いくつかの懐疑論が人為起源温暖化論のどの部分を疑っているかを 紹介し、それぞれについて簡単ながら批判を述べる。 人為起源温暖化論と温暖化懐疑論 地球温暖化と言われる問題は、次のように整理できると思う。 温暖化原因物質はCO 2だけではないが、 ここでは便宜上CO 2以外の物質の寄与は省略して論じる。 a 人間活動、とくに化石燃料の燃焼によって 二酸化炭素 CO 2 が大気中に排出されている。 その約半分以上は百年以上の時間スケールで大気中に残る。 b 大気中のCO 2は赤外線を吸収・射出するため、 それが増加することは地上気温 地表に近い空気の温度 を 上げようとする働きをする。 c その結果として、全球平均地上気温の上昇を含む、しかしそれに限られない、 気候の変化が起こる。 d この気候変化には、生態系および人間社会にとって有害な影響がある。 e 人類が健全に 大惨事を招かずに 生き続けるためには、 気候変化への適応策と、CO 2排出を減らす策の両方が必要だと考えられる。 このうち、ここでは a から c までの科学的認識を中心に論じ、 これを「人為起源温暖化論」と呼ぶことにする。 IPCC 気候変動に関する政府間パネル の場合で言えば第1作業部会の課題である。 この科学的認識に関しては、2001年のIPCC第3次報告書までに至る過程で 気候に関係する専門家の多くの合意が形成されてきたと言える。 科学史家Weart は、 これによって、いわば地球温暖化という事実の発見が完成したと見ている。 しかし、全員が合意しているわけではない。 少数ではあるが、人為起源温暖化論を構成する科学的主張のいずれかに対して、 対立する科学的主張をする人もいるし、 また、それは根拠が弱いので確かな事実あるいは予測と言えないと論じる人もいる。 本来は、前者を人為起源温暖化論への否定論、後者を懐疑論と呼ぶのが適切であろう。 温暖化問題の話題では、 この両者を含め、さらに d あるいは e への否定論や懐疑論も含めて、 「懐疑論」と呼ばれることが多い。 それは、次の事情によると思われる。 それらの説は、主張する本人の意図はともかく、 e の対策 とくにCO 2排出抑制策 をとる政策決定を遅らせる効果をもつ。 その効果をねらう人が根拠として利用することもある。 とくに、アメリカ合衆国には、 石油・石炭業界がスポンサーとなり「懐疑論者」の科学者が執筆している 出版物やウェブサイトが多数ある。 「懐疑論」とひとくくりされる主張は、実は相互に一致していない。 それぞれの論者の主張について系統的に論じることは限られた紙面では不可能である。 ここでは先に述べた人為的温暖化論の構造にもとづいて、 どの部分を疑う「懐疑論」が存在するかを述べ、 それぞれに簡単な反論を試みることにする。 影響および対策に関する議論 先に、 d あるいは e への否定論や懐疑論について簡単に論じておく。 温暖化はよいことだ、という議論がある。 しかし、人間社会は現在の気候に適応しながら形成されてきたので、 気候変化がどの方向であれ大振幅であれば、 その影響は、人間社会に損失をもたらすものが多くなるはずである。 小振幅の気候変化では、有益な影響もあることは確かだろう。 しかし、被害者と受益者が違い、それを埋め合わせる現実的な方法はないことが多い。 大きな被害をこうむる人が出ないようにするには、 変化を小さくすべきだという議論には正当性がある。 人類社会には貧困などの重要な問題があり、 温暖化問題の優先順位は低いという議論がある。 確かに人類のもつ資源は有限であるが、 温暖化対策に投入するぶんを貧困対策にまわすような政策決定ができるか、 またそれが有効かは疑問である。 両方とも必要だというべきではないか。 さらに、気候変化の影響は貧困な社会で大きく、貧困を強めると考えられるので、 気候変化を小さくとどめることは貧困対策の一環とも考えられる。 温暖化問題は、排出権市場や対策事業によって利益をあげようとしている人々に よってつくられた問題ではないかという批判をする人もいる,。 資本の行動に対する批判にはもっともなところもある。 しかし彼らは温暖化の科学的認識に関して 以下5〜7節で論評するような「懐疑論」を重視しすぎているように思われる。 科学的認識の不確かさについて 科学的認識が確かになるまでは政策の根拠とすべきでないという議論があるが、 不確かさを全くなくすことはできない。 科学的認識は、絶対的真理であることはまずない。 数学の定理でさえ、いくつかの公理を前提としての条件つきの真理であり、 公理を認めることによって論理的に論証できる。 自然科学で正しい理論だと考えられているものは、論理的には仮説であり、 それにもとづく未来の予測は、論理的には推測である。 しかし、すべての仮説、すべての推測が同様に不確かであるわけではない。 不確かさの度合いを客観的に示す絶対的な指標は残念ながらないが、 相対的な大小を論じることはできる。 きびしい検証にたえている説が相対的に確かであると言える。 社会的意思決定のための判断材料として科学を使う際には、 科学の内的基準ではまだ決着がついていないことも使う必要が生じる。 不確かさを認識したうえで使うのである。 温暖化については、IPCCなどで科学者の知見を集約したことによって、 当初は大きかった不確かさがだいぶ狭められた。 残る不確かさを理由に対策をこれ以上遅らせるべきではないだろう。 科学者の態度に関する批判 広い意味の温暖化懐疑論のうちには、 議論の内容よりも科学者の態度のほうに関する批判がある。 批判の第1は、科学には懐疑的態度が必要であり、 合意を求めるのは科学者の考えを画一化するまちがった方向だというものだ。 この批判にはもっともなところもある。 ある説が定説となったとき、科学者の活動が、それを疑う証拠よりも、 それを支持する証拠を集める方向に偏り、検証の効果がにぶる心配はある。 しかし、政策の議論をからまわりさせないためには、 前提として事実認識に関するなんらかの合意が必要である。 IPCCなどの合意形成はそのためのもので、 細部まで考えを統一しようとはせず、 専門家の意見の多くを内に含むように、幅の広い表現になっている。 もちろんすべての説を含むわけではないので、排除された説の提唱者は不満だろう。 しかし、合意の範囲内に含まれる考えをもつ人も、 主張がぼやかされたことに不満をもつことが多い。 とくにIPCC報告書の要約文の場合は、各国政府代表の承認を得る必要もあるので、 表現が比較的無難なものになることはいなめない。 関連する批判の第2は、 政府間組織であるIPCCをはじめとする政治的組織に科学者がかかわるのは 正しいか、ということだ。 批判の立場のひとつは、科学は政治から距離をおくべきものだというものだ。 政治に利用されることも、また政策に影響を与えようとして働くことも、 科学者の任務をはみ出していると考える。 もうひとつは、科学は政治と無縁ではありえず、すなおに行動すると 現体制あるいは強者の立場を支援するものになってしまうので、 社会をよくするためには、科学者は意図的に反体制あるいは弱者の立場に 立たなければいけないと考える。 これらの批判にももっともなところもある。 少なくとも一部の科学者は、体制を批判できる立場にいなければならない。 しかし、体制を転覆できる見通しがあるのでなければ、 体制の中で働く科学者がいないよりはいるほうがましではないか、とも考えられる。 また、 政治がからむと科学の内容が偏るおそれが高まるとは言っても、 政治がからんだ形で行なわれた科学の議論の内容が必ずまちがっているわけではない。 さらに、IPCC とくにその第1部会 では、 関連分野の研究者間で重視されている研究論文をもらさない努力がされており、 科学者間の意見のばらつきをもかなりよく反映している。 したがって、たとえ編集者の政治的意図が働いたとしても、 報告書の科学的内容は 科学者全体の見解をあまり偏らずに反映していると考えられる。 大気中CO 2の増加について ここから人為起源温暖化説の内容に立ち入って、 どんな懐疑論・否定論があるかをあげてみる。 a に関して、化石燃料を燃やすとCO 2が大気中に排出されることを まじめに疑う議論はないと言ってよいだろう。 また、大気中のCO 2濃度の観測値に見られる増加傾向についても、 最近の温暖化懐疑論者が疑いを向けている例は見かけない。 しかし、両者の間の因果関係への疑いはあることはある。 槌田の議論がその例である。 槌田は 他の一部の温暖化懐疑論者とは違って 1960年代以来の世界の海面水温の上昇傾向を事実として認めているが、 大気中のCO 2濃度の増加はその結果であり原因ではないと見ている。 確かに、年々変動の時間スケールでは、海面水温が原因となってCO 2濃度が 変化しているように見えるが、それは数十年の変化傾向とは別の問題である。 また、化石燃料起源のCO 2がどこに行ってしまうかも槌田は説明していない。 それが全部吸収されて、あらためてその約半分の量がどこかから出てくるというのは、 論理的にありえないとは言えないが、事実上非常に無理のある説である。 CO 2の温室効果について b は、いわゆる温室効果の存在である。 CO 2が温室効果をもつこと自体を否定する議論は最近は非常に少ない。 Lenoir は実質上否定しようとしているようだ。 その議論のうち、 初歩的な説明で使われる「温室効果のない場合の平均地上気温」という概念の あいまいさの指摘はもっともなところもある。 しかし気候モデル中の温室効果の計算はその概念に依存してはいない。 しかし、「CO 2よりも強い温室効果をもつ水蒸気だけで あるいは、水蒸気および現在の濃度のCO 2だけで 温室効果はすでに飽和しており、これ以上CO 2がふえても気候に影響を与えない」 という趣旨の議論はいろいろある。 これに対しては、大気中の放射 電磁波 伝達プロセスの基礎を理解する必要がある。 まず、温室効果は、地表面が上向きに出した赤外線を大気が吸収する そして大気が下向きに赤外線を射出する だけではない。 大気が出した赤外線を大気が吸収する働きもあるのだ。 地表面が出した赤外線が宇宙に出ていくまでに 何度も吸収・射出をくりかえすことがありうる。 赤外線を吸収・射出する物質がふえれば、 このくりかえしの平均回数がふえることになる。 1回の吸収について飽和したところで温室効果の強化が止まるわけではない。 金星は地球よりも太陽に近いが、反射率が大きいので、 受け取る太陽放射は地球の場合より多くはない。 第二に、吸収の内わけを考える必要がある。 水蒸気やCO 2などの分子が赤外線を吸収するしくみは、分子の振動や回転である。 光や赤外線などの電磁波のもつエネルギーはその波長に反比例する一定量ごとの かたまり 光量子という としてやりとりされる。 分子の振動にはそれぞれ特定の量のエネルギーをもつ固有モードがある。 振動は、ちょうど固有モードのエネルギーに対応する光量子を受け取ると励起され、 逆に振動が止まるときに光量子が射出される。 したがって、本来、分子による赤外線の吸収・射出には非常に強い波長選択性がある。 現実の大気中では、この波長選択性は、 分子間の衝突と、分子運動のドップラー効果によって、ゆるめられている。 しかし依然として、すべての波長の赤外線が同等に吸収されるわけではなく、 わずかな分子数で吸収が飽和してしまう波長もあれば、 ほとんど吸収しない波長もあり、中間のところもある。 この中間の領域で、分子数の増減が吸収の強さの増減にきくことになる。 水蒸気は確かに赤外線の多くの波長域に吸収帯をもっているが、 それからはずれた「窓」と呼ばれる領域もある。 CO 2、メタン、一酸化二窒素、フロンなどはその窓領域に吸収帯をもっており、 その効果は水蒸気によってマスクされないのである。 温室効果と気温上昇の関連について b を認めても、 c の全球平均地上気温の上昇を認めない議論は、 上昇があったとしても無視できるという意味でであれば、可能である。 これには、大きく違った2種類の議論が含まれる。 第1の立場では、地球の気候は安定していると考えているが、 第2の立場では、気候は人為的要因がなくても大きく変化しうると考えている。 したがって、仮にこの後者の立場を認めるならば、 e のうちCO 2排出抑制策は無意味だが、 人類社会の気候変化への適応幅を広げる策は重要だということになる。 第1は、CO 2の温室効果が温度を上昇させようとする作用は認めるのだが、 気候システムにはさまざまなフィードバックがあり、 そのうちのなんらかの負のフィードバックによって温度変化は小さくとどめられる、 というものである。 このような主張の典型はLindzenのものであり、 想定された負のフィードバックは、 対流圏上端付近の水蒸気あるいは雲によるものである。 それは理屈としてはありうることだが、 現在の大気の観測事実に合わないことが指摘されている。 第2は、気候を変化させる要因はCO 2以外にもいろいろあり、 他の要因の影響のほうが大きいので、 CO 2による変化は相対的に無視できるというものである。 他の要因のうちには、気候システムの内部変動もある。 また、気候システムにとって外部要因と言えるものとしては、 太陽活動と火山活動がある。 これらの自然要因はIPCCの合意に寄与している研究でも無視されてはおらず、 太陽活動の効果のうち電磁波として来るエネルギーの変動の効果と、 火山活動のうち成層圏に達する硫酸・硫酸塩エーロゾルの効果は 20世紀の気候変化を再現するシミュレーションにすでに取りこまれている。 その結果によれば、 20世紀のとくに後半の温暖化傾向は、CO 2などの人為的温室効果物質の増加という 要因を入れないとうまく再現できない。 ただし、20世紀前半の温暖化傾向には、 太陽などの自然要因も重要と考えられる。 太陽からの荷電粒子の変動 あるいは太陽磁場によって影響を受ける宇宙線粒子の変動が、 たとえば雲の変動を通じて、気候に影響するという議論がある。 これについてはまだ評価が定まっているとは言えない。 20世紀の100年間に見られる気温の変化傾向の主原因は太陽であり CO 2は重要ではないだろうという議論はそこに根拠をもつ。 しかし、これらの議論で使われた太陽活動から気候への影響の定量的見積もりは みな観測データの相関によるものであり、メカニズムから導かれたものではない。 また、宇宙線の観測値からも他の指標からも、 20世紀後半には太陽活動の活発化傾向は認められない。 謝辞 本稿を書くきっかけは、2005年度環境経済・政策学会での討論であった。 そのときの明日香・吉村の討論者メモに、 2006年2月の討論会のために加筆を行なった。 多方面から関心が寄せられ、寄稿の依頼や勧めをいただいたので、 論点を再構成して、「経済セミナー」 日本評論社 、 この「日本の科学者」、 および「天気」 日本気象学会 投稿準備中 にそれぞれ発表することにした。 趣旨は重なるが話題の選択や構成が異なるので、あわせてご参照いただきたい。 [HTML版追記 2010年6月4日 : 「天気」への投稿も行なったが出版に至らなかった。 ] 本稿を書くにあたっては、 小倉正氏、江守正多氏、伊藤幸喜氏、伊勢武史氏、高橋潔氏、野沢徹氏にご協力 いただいた。 ここに感謝の意を表する。 Watson, R. ほか編, Climate Change 2001: Synthesis Report. Cambridge University Press, 2001年; 気象庁, 環境省, 経済産業省 監訳, IPCC地球温暖化第三次レポート: 気候変化2001. 中央法規出版, 2002年. この総合報告書の内容の根拠を知るには各部会報告書を見る必要がある. grida. ipcc. Weart, S. , The Discovery of Global Warming. Harvard University Press, 2003年; 増田 耕一, 熊井 ひろ美 訳, 温暖化の〈発見〉とは何か. みすず書房, 2005年. Oreskes, N. The scientific consensus on climate change, Science, Vol. 306, 1686, 2004年. 次の本の第2章の議論はほとんどこれらの団体のウェブサイトに依存しているようである. 渡辺 正, これからの環境論. 日本評論社, 2005年. 次の2冊の本はこれらの団体の行動を批判的に記述している. ただし温暖化の危険性を警告するほうに行き過ぎているかもしれない. Gelbspan, R. , The Heat is On, Addison-Wesley, 1997年; Perseus, 1998年. 同, Boiling Point. Basic Books, 2004年. Lomborg, B. 編, Global Crises, Global Solution, Cambridge University Press, 2005年. 江澤 誠, 欲望する環境市場. 新評論, 2000年; 同, 『京都議定書』再考. 新評論, 2005年. 藤垣 裕子, 専門知と公共性. 東京大学出版会, 2003年. Lenoir, Y. , Climat de panique. Editions Favre Lausanne , 2001年; 神尾 賢二 訳, 気候パニック. 緑風出版, 2006年. [日本語訳は赤外線を「紫外線」としているが原著にはその誤解はない. 槌田 敦, CO 温暖化脅威説は世紀の暴論. 環境経済・政策学会編, 地球温暖化への挑戦, 230-244, 東洋経済新報社, 1999年. 槌田 敦, CO 2温暖化説は間違っている. ほたる出版, 2006年. 河宮 未知生, 気温の変化が二酸化炭素の変化に先行するのはなぜ? 天気 日本気象学会 , Vol. 52, 507 - 508, 2005年. 槌田、渡辺、次の本の第1章など. 池田 清彦, 環境問題のウソ. ちくまプリマー新書, 2006年. 会田 勝, 大気と放射過程. 東京堂書店, 1982年. 柴田 清孝, 光の気象学. 朝倉書店, 1999年. Petty, G. , A First Course in Atmospheric Radiation. Sundog Publishing Madison WI USA , 2004年. Hartmann, D. , Global Physical Climatology. Academic Press, 1994年. 次の論文は対流圏上端付近の雲による 負のフィードバックを主張するものである. Lindzen, R. , Chou, M. and Hou, A. , Does the Earth have an adaptive infrared iris? Bull. Amer. Meteorol. Soc. , Vol. 82, 417 - 432, 2001年. Hartmann, D. and Michelsen, M. , No evidence for iris. Bull. Amer. Meteorol. Soc. , Vol. 83, 249 - 254, 2002年. IPCC第3次報告書で議論されており たとえばQuestion 2の段落2. 11 、 次の本の第7章にも紹介されている. 近藤 洋輝, 地球温暖化予測がわかる本, 成山堂書店, 2003年. その後もさらに不確かさを減らすための研究が行なわれている. 日本語による好意的紹介として次のものをあげておく. 原論文はそれらかの文献を参照. 伊藤 公紀, 地球温暖化. 日本評論社, 2003年. 桜井 邦朋, 気候温暖化の原因は何か. 御茶の水書房, 2003年. Benestad, R. , Solar Activity and Earth's Climate. Springer-Praxis, 2002年. 同, Recent warming but no trend in galactic cosmic rays. realclimate. 明日香 壽川, 吉村 純, 増田 耕一, 河宮 未知生, 地球温暖化問題懐疑論へのコメント ver. cir. tohoku. htm. 2006年. [HTML版追記 2010年6月4日, 2019年7月11日改訂 : この ver. 2 の URL は無効になったが、 2009年5月改訂版 ver. cneas. tohoku. htmlにある. また、次の文書はそれをさらに改訂したものである。 明日香 壽川 ほか, 地球温暖化懐疑論批判. 2009年. cneas. tohoku. htmlにPDFファイルがある。 明日香 壽川, 吉村 純, 増田 耕一, 河宮 未知生, 江守 正多, 経済学者でもわかる地球温暖化問題懐疑論への反論. 経済セミナー 2006年8月号, 44 - 50. キーワード• 地球温暖化, global warming• いわゆる 地球温暖化懐疑論, so-called global warming skepticism• 二酸化炭素, carbon dioxide• 温室効果, greenhouse effect• IPCC 気候変動に関する政府間パネル , Intergovernmental Panel on Climate Change HTML版 2006-09-10; 補足 2007-06-12, 2010-06-04, 2011-03-24, 2019-07-11 増田 耕一 M ASUDA Kooiti.

次の