吉田茂 こりん。 アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~|テレビ東京開局55周年特別企画 スペシャルドラマ|出演:笑福亭鶴瓶 生田斗真|テレビ東京

【アメリカに負けなかった男】あらすじとキャスト。吉田茂ドラマの感想は?

吉田茂 こりん

吉田の親しかった人物のなかに、ジョセフ・グルーという人がいます。 彼はアメリカの外交官であり、駐日大使も務めた人物です。 吉田の英語力についてグルーの語った言葉が、ハーバード大学所蔵の「グルー文書」に残されていました。 それによれば「吉田の英語の理解力と表現力はとても劣っている」「何が言いたいのか分からないことがたまにある」とされています。 つまり聞くのも話すのも、あまり優れていなかったと評されているわけです。 くわえて、日本人外交官からも、吉田の英語を酷評する声が上がっていました。 たとえば吉田の側近だった加瀬俊一は、吉田の英語について「感心するほどのものではなかった」としています。 また、諸外国で駐在大使を歴任した三宅喜次郎は「会話はいいが、正式な演説となると貧弱だった」との発言を残しました。 アメリカ人であるグルーと親しく付き合っていたことや、三宅の「会話はいい」という証言から、吉田は日常会話程度の英語力は身につけていたと思われます。 しかし演説などの改まった場で的確に意思や意見を伝えられるほど、深く英語を理解していたわけではなかったようです。 みごとな英語だった?吉田の英語力を肯定する証言 英語は不得意だったとする意見の多い吉田ですが、いっぽうで彼の英語力を肯定する証言も散見されます。 吉田の英語を称賛したのは、イギリス大使館で外交官 書記官 を務めていたセシル・ドーマーです。 吉田とドーマーは、初めて顔を合わせた際、長時間に渡って外交の話をしたといいます。 ドーマーはこの会話の内容をイギリス本国に伝えていますが、その報告の中で吉田の英語力にも触れました。 彼は吉田を「実に見事な英語を話す」「彼ほどざっくばらんに自分の考えを述べる日本人には会ったことがない」と絶賛しています。 ドーマーの意見は「英語が不得意だった」とする複数の証言と矛盾しますよね。 これは彼がイギリス人であることが原因と考えられます。 吉田は、イギリスのロンドンに赴任した経歴があるため、いわゆる「イギリス英語」を話しました。 イギリス大使館員のドーマーが、イギリス訛りの英語を聞きやすく感じるのは当たり前です。 逆にいえば、アメリカ訛りの英語を学んだ日本人やアメリカ人が、吉田の英語を聞き取りづらいと思うのも当然だったでしょう。 吉田が英語下手といわれた一因は、こうした英語の訛りにあったのかもしれません。

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吉田茂の写真、名言、年表、子孫を徹底紹介

吉田茂 こりん

吉田茂のプロフィール 吉田茂元首相は、 1878 年 9 月 22 日、東京都の出身です。 実父は板垣退助の側近の竹内綱でしたが、竹内綱の友人だった吉田健三の養子となって、竹内姓から吉田姓に変わることになりました。 旧制学習院高等学科、東京帝国大学法科大学を卒業し、外務省に入省。 その後、外交官として、吉田茂元首相は、奉天総領事、駐スウェーデン公使、外務次官、駐イギリス大使などを歴任し、外交の第一線で活躍していきます。 太平洋戦争後は、外務大臣、貴族院議員となり、 1946 年、内閣総理大臣に就任しました。 1947 年には、衆議院議員選挙で、自身が総裁を務める日本自由党が日本社会党に敗北し、退陣。 しかし 1948 年、衆議院議員選挙で、自身が総裁を務める民主自由党が圧勝したことによって、内閣総理大臣に再登板をはたします。 内閣総理大臣在任中には、日本国憲法の施行、サンフランシスコ平和条約、日米安保条約の発効、教育基本法、労働関係調整法、労働基準法、労働組合法、警察法、自衛隊法、防衛庁設置法の施行など、内政、外交あわせ、多大な実績を残しています。 その一方で、 1953 年には、「バカヤロー」と発言し、衆議院解散となった、バカヤロー解散でも有名に。 そして 1954 年、吉田茂元首相は退陣し、長期政権に幕を下ろしたのでした。 政界引退後も悠々自適の生活を送った吉田茂元首相は、 1967 年 10 月 20 日、 89 歳で激動の生涯を閉じています。 吉田茂の内縁の妻こりんの本名や経歴 このように、日本の憲政史上、トップクラスの大物政治家だったといえる、吉田茂元首相。 当然、その閨閥も華やかなもので、妻で、麻生太郎財務大臣(元首相)の祖母でもある吉田雪子さんは、牧野伸顕の娘でした。 ところが、吉田茂元首相は、吉田雪子さんに戦前に先立たれてしまい、内閣総理大臣在任中は、娘の麻生和子さんがファーストレディーの代わりを務めていたのです。 一方で、吉田茂元首相は、吉田雪子さんと死別した後、すぐに、内縁の妻を迎えることに。 それが、この記事で取り上げる、そして、ドラマ『アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理吉田茂~』に登場する、こりんさんです。 こりんさんは、本名を坂本喜代子といい、 2003 年 2 月に、 96 歳で大往生しています。 そのため、生年は 1906 年か 1907 年となりますね。 2020 年 2 月現在も健在だったら、 113 歳でした。 こりんさんの経歴ですが、芸者で、花柳流の名取としても活躍していました。 吉田茂元首相が吉田雪子さんと死別すると、しばらくは内縁の妻という扱いでしたが、数年後には堂々と再婚しています。 以後、こりんさんは、最後まで吉田茂元首相の身の回りの世話をして、活躍しました。 後妻という立場だったものの、娘の麻生和子さんとも、関係はとくに悪くはなかったようです。 吉田茂の内縁の妻こりんの実際の画像と子供の有無 吉田茂元首相の後妻ということもあって、こりんさんの実際の画像、子供はいたのかも気になります。 しかし、もともと内縁の妻だったこともあって、画像を見つけることはできませんでした。 子供は、少なくとも吉田茂元首相とのあいだにはいなかったようですね。 もしいたとしたら、 2020 年 2 月現在、最低でも 50 代くらいになっていたことになります。 吉田茂元首相の孫の麻生太郎財務大臣より若かった可能性もありますから、そうだったらいろいろ微妙だったでしょうね。 吉田茂元首相に、後妻をめぐるエピソードがあったことは、そこまで知られていません。 それだけに、ドラマ『アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理吉田茂~』は注目です。 吉田茂元首相役は笑福亭鶴瓶さん、こりん役は松嶋菜々子さんが演じますので、ぜひ見逃さないようにしましょう。

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実は英語が下手?外交官たちの証言からみる吉田茂の英語力

吉田茂 こりん

生田斗真や松嶋菜々子が、笑福亭鶴瓶扮する吉田茂を支え…『アメリカに負けなかった男』 — テレビドガッチ dogatch 劇中で松嶋菜々子さん演じる「こりん」は、 新橋の元芸者で吉田茂の後妻となった人物。 大磯の別荘で共に生活をしながら、日本のトップへと上り詰めた吉田茂を、持ち前の頭の良さと気配りで静かに支え続けました。 吉田茂の生前も死後も、報道陣には門前払いを貫き、何も語らずに亡くなったそうです。 この「こりん」さんは実在した「 小りん」さんという方で、本名を 坂本喜代さんといい、2003年2月に96歳で大往生しています。 小りんさんは 花柳流の名取としても活躍していた新橋の芸者で、吉田茂元首相の先妻が生きていた頃からの愛人でした。 吉田茂とこりん(坂本喜代) 吉田茂の先妻・雪子について 先妻の雪子さんは、夫・吉田茂の芸者遊びを面白く思っておらず、「 芸者の子は芸者が好きね」と夫を小馬鹿にするような発言をしたという記述も残っています。 実は、 吉田茂は、板垣退助の側近の竹内綱と瀧子の五男ということになっていますが、妾(めかけ)の子だったのではないかとも言われています。 出生の記録などきちんとされていなかった時代ですから、真実は明らかではありません。 2歳の誕生日を迎える直前に、父・竹内綱の友人だった 横浜の貿易商・吉田健三の養子となり、竹内姓から吉田姓に変わっています。 一方、 雪子さんの父親は、大久保利通の次男・牧野伸顕(まきの のぶあき)という政界の実力者だったため、雪子さんのプライドは相当高かったのではないでしょうか? 吉田茂と妻・雪子 吉田茂の三女・麻生和子さん(現在の麻生太郎副総理兼財務大臣の母)は自著『父 吉田茂』の中で、外交官の妻としての母・雪子を次のように記しています。 海外にいるときの母は家庭内とは一変、なかなかの社交家でした。 外国人の友人も多く、パーティーに呼んだり呼ばれたりで、外交官の妻の役割は十分に果たしていたように見えました。 ただ、本当に社交家だったかというと決して派手ということではなく、母は内気でしたから、むしろ努力してその役割を果たそうとしていた部分が大きかったのかも知れません。 こうすれば日本のためになる、ああすれば日本人が重きを置かれるようになるという気遣いが、日常になっていたように思います。 母の一生が幸せだったかというと、父とはあまりにも性格が違い過ぎましたから、決して幸せだったとは言えなかったのではと思っています。 それでも死ぬ前の母の胸の中に浮かんだのは、楽しかったことばかりだったのではないでしょうか。 吉田内閣を支え続けた陰の女性「こりん」 妻・雪子の他界後、第1次から5次まで7年2カ月の長期政権となる吉田内閣を支え続けた陰の女性が「こりん」さん。 吉田茂元首相の三女・麻生和子さん(現在の麻生太郎副総理兼財務大臣の母)は、自著『父 吉田茂』の中で、こりんさんとの関係を次のように記しています。 「戦争前に小りんに初めて会ったとき、私はまだ15、16歳で、小りんは私より7つ、8つ年上、23、24になっていたでしょうか。 小りんの踊りは花柳流で、私も同じ流派でしたからその点でも私もわりに親しくしていたのです。 小りんが父を好きだったのは早くから知っていましたし、父のほうも頭の回転が速くよく気がつく小りんを気に入っていました。 (首相在任中、座敷に小りんを呼ぶときは)あくまで私が呼んだということにしておかなくては、あとあとの押えができません。 で、私のほうから『小りんに来てもらうのはどうかしら』と父に言うと、『やっぱりおまえは頭がいいね』とまんざらでもない顔をしていたものです」 吉田茂は、若い頃から花柳界での四畳半遊びをよく楽しんでいたといいます。 11歳のとき貿易商だった養父が病死。 現在の価値に換算すると数十億円相当の遺産を、花柳界できれいに使い切ってしまったことは有名な話なのだそうです。 芸事は自分はやらぬが見るのは大好き、そのうえ女性には誰でも優しいフェミニストときたから、芸者衆からは大モテ。 しかし、そうした女性たちと次々に情を通じるタイプではなく、身持ちの堅い男でもあった。 吉田茂は、昭和38年10月に政界を引退。 入籍こそしなかったものの「こりん」さんに妻の座を与え、神奈川県大磯の大邸宅に引きこもりました。 そこには、大物政治家や政治記者、外国からの要人などが訪れましたが、そうした中で「こりん」さんは巧みな接待をこなし、吉田の身の回りの世話にいそしんだといいます。 吉田茂は、古今亭志ん生の落語、アメリカのテレビドラマ『アンタッチャブル』などを楽しみとしていましたが、こうした楽しみの時間帯に来客があると、「あいにく不在でございます」と断るのも「こりん」さんの役目だったようです。 吉田茂を支えた後妻「こりん」に関するまとめ ドラマ『アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~』で、松嶋菜々子さん演じる「こりん」さんは、新橋の元芸者の「坂本喜代」さんであることがわかりました。 また、吉田茂の先妻・雪子さんが生きていた頃からの愛人で、雪子さんが亡くなった後も、入籍こそしなかったものの吉田茂が亡くなるまで陰で支えた女性でした。 先妻の雪子さんも、外交官の妻として日本の発展の為に尽くされた方でしたが、「こりん」さんは雪子さんとは一味も二味も違った後妻だったようです。

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