東京山手急行電鉄。 ノート:東京山手急行電鉄

東京山手急行電鉄線の名残【駅ぶら01】小田急線42

東京山手急行電鉄

Meidai 明大前駅の謎 Imakita 東中神 いつもいつもお世話になっております。 を読ませていただきました。 それで思い出したのですが、それは、多分知っていらっしゃるとは思いますが、わが永遠の井の頭線?の「明大前駅の謎」についてです。 明大前の吉祥寺寄りの陸橋の桁の間隔が、どうも複線だけを考慮して作られたものでは異様に広く、物心ついたときから「あれは怪しい」と睨んでいました。 そこでいつものようにわが後輩(鉄マニア)に聞いたところ…。 「あ、あれはその昔、山手線の外側にもう一本環状線を作る計画があって、それが明大前で繋がるはずだったから広くなってんの」とのことでした。 そういえば、数年前に日本テレビの「追跡」という番組で井の頭線が特集されたときに、「明大前の謎と、その環状鉄道の計画について」確かに放送されていました。 しかもその環状鉄道計画のパンフレット?まで出ていました。 ビデオに撮ったのですが、今では2度の引っ越しのおかげで所在不明となっています…。 今日は久しぶりに何も無かったので、気まぐれに「井の頭線」を使って、学校まで行きました。 そこで早速、デジカメで明大前の橋げたをとってまいりましたが…、いつ落ちるのかわからないのと連射が効かないので…、非常にタイミングが合っていません…。 撮り急ぎ報告いたしました。 それでは失礼します! 情報ありがとうございました。 私もどこぞで聞いた事はあったんですが、調べてみると実際いくつかの会社が山手線の外側を環状に結ぶ計画を持っていた様です。 この付近については、以下の2社が該当すると思います。 渋谷急行電鉄:渋谷〜吉祥寺• 東京山手急行電鉄:大井町〜世田谷〜中野〜江東 実際の井の頭線は、この東京山手急行電鉄が東京郊外鉄道と名前を変え、渋谷急行電鉄と合併の後、その計画路線であった渋谷〜吉祥寺間を開通させたものだそうです。 開通後、社名を帝都電鉄と改称し通称帝都線と呼ばれる様になりますが、その後小田急と合併し小田急帝都線となります。 井の頭線という名称は、戦時中小田急が東急に吸収された際に出て来た様です。 戦後、京王電軌(新宿〜東八王子)と旧帝都線(渋谷〜吉祥寺)が東急から分離する際に一緒になり、京王帝都電鉄が誕生したわけです。 さりげなく走っている井の頭線にも、複雑な過去があったんですね。 さて問題の「明大前駅の謎」ですが、上記の東京山手急行電鉄が最初に計画していた路線の北半分(明大前〜中野〜?)が、次期開通区間として予定されていたという事なんでしょうかね。

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東京の電車「京王電鉄・路線の沿革」

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東京の電車「京王電鉄・路線の沿革」 京王電鉄の歴史 京王電鉄は、旧京王電気軌道 京王本線 と旧帝都電鉄 井の頭線 が、戦争中に戦時統制を経て発足したルーツを持ちます。 1905年12月に日本電気鉄道という名称で始まり、その後に武蔵電気鉄道と改称してから、1910年4月に京王電気軌道へ改称し、1913年 大正2年 4月15日に「笹塚〜調布」駅間の12. 2Kmで開業をしました。 翌年に「新町 廃止 〜笹塚」駅間の延伸を契機に「新宿追分 廃止 〜新町」駅間、1916年には、「調布〜多摩川原 現・京王多摩川 」「調布〜府中」駅間が延伸し開業をしました。 1923年には「新宿〜府中」駅間の全線複線化も行っています。 「府中〜東八王子 現・京王八王子 」駅間は関連会社の玉南電気鉄道株式会社によって1925年に営業を開始しました。 それまでは新宿駅から東八王子駅に行くのに乗り換えが必要でした。 鉄道の軌間 ゲージ については。 「京王車庫前」が「桜上水」「上高井戸」が「芦花公園」「多磨」が「多磨霊園」「関戸」が「聖蹟桜ヶ丘」「百草」が「百草園」「高幡」が「高幡不動」「多摩川原」が「京王多摩川」などです。 井の頭線神泉トンネル 1944年 戦時中 になると陸上交通事業調整法により、東京急行電鉄へ株式を譲渡する事となり、大東急の一員となってしまいます。 戦後 1947年 、大東急解体と共に京王本線と井の頭線は 京王帝都電鉄になります。 1949年に京王初の優等列車である「新宿〜調布」駅間で急行列車の運行を開始しました。 1955年に 競馬場線「東府中〜府中競馬正門前」駅間が開通します。 1963年に新宿駅地下駅の運用を開始します。 同年「新宿〜東八王子」駅間で特急列車を運転開始し、東八王子駅を新宿寄りに120m移転し、京王八王子と改称しました。 架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧したのもこの年でした。 1964年4月に 動物園線「高幡不動〜多摩動物公園 」駅間が開通します。 1978年10月に 京王新線が開通し、初台駅・幡ヶ谷駅が新線に移転します。 1980年3月に 都営地下鉄新宿線が開通し相互直通運転を開始します。 1983年に京王本線「笹塚〜新宿」駅間が地下運行に切替えます。 1990年3月20日に 相模原線「調布〜橋本」駅間が全線開通します。 1998年7月1日に社名を 京王帝都電鉄から 京王電鉄に改称します。 実際に東京市電の接続は実現しませんでしたが、戦時中に下高井戸駅で東急玉川線支線 現・世田谷線 と接続し物資輸送を行った事があるそうです。 地方鉄道法ではなく軌道法に準拠して建設された京成電鉄と京浜急行も同じですが、いずれも標準軌に改軌をしています。 1950年代に都営新宿線乗り入れに向けて標準軌 1,435mm に改軌する事も検討されたそうですが、莫大な費用計上と長期の輸送力低下で運行を確保出来ないという理由で、東京都交通局側が京王電鉄の方針に合わせて都営新宿線を1,372mmで建設する経緯となりました。 6000系6715F編成 2010年1月廃車 京王レールランド 京王レールランド 展示車両 展示車両 展示車両 展示車両 展示車両 鉄道模型 鉄道模型 は、2000年3月から2013年8月までは多摩動物公園駅の駅舎に併設された展示施設として運営されてましたが、京王電鉄開業100周年を記念して屋外車両展示場を含む2階建ての施設に改装されて2013年10月10日に開業しました。 展示車両は、2010系デハ2015、2400形デハ2410、5000系クハ5723、3000系クハ3719、6000系デハ6438があります。 他に運転シュミレーター、HOゲージ鉄道模型がありますが、家族連れ幼児向けの趣向が強い施設となっています。 所在地は高幡不動駅から多摩動物公園線に乗り換えて「多摩動物公園」駅に隣接します。 入場料金は250円。 詳しくは公式サイトをご覧下さい。 京王型ATC 京王本線・消灯した出発信号機 ATC地上子 8000系ATC表示灯 ATC化された8000系 京王ATCは、 先行列車や進路開通条件及び曲線区間などによる速度制限情報に基づいて常時ブレーキパターンを演算する「車上演算式一段ブレーキATC」を採用しました。 線路終端に接近した際の過走防止機能も搭載します。 既に相模原線で使用されていますが、都営新宿線で導入されているATCとは互換性がなく、直通運転列車には別々のATC機器を搭載する必要があります。 2010年3月26日から京王相模原線 調布〜橋本駅間 はATC運用を開始しました。 2011年10月2日から京王本線 新宿〜京王八王子・高尾山口駅間 はATC運用を開始しました。 2013年3月3日から京王井の頭線 渋谷〜吉祥寺 はATC運用を開始しました。 京王井の頭線・消灯した出発信号機 [沿線ニュース]調布駅付近連続立体交差事業についてはをご覧下さい。 連続立体交差化及び複々線化事業 笹塚駅〜つつじヶ丘駅間 2014年2月28日に国土交通省から都市計画事業の認可を取得した「笹塚駅〜つつじヶ丘駅」間約7. 1Kmの連続立体交差及び複々線事業 1,701億円 は、2020年完成を目標に決定をしました。 この大規模工事で25箇所の踏切がなくなり、交通渋滞及び踏切事故が解消されます。 井の頭線の歴史 井の頭線は、1933年に鬼怒川水力電気系列の帝都電鉄が、渋谷線として「渋谷〜井の頭公園」駅間を開業させました。 翌年には吉祥寺駅まで全通します。 1941年に同じ鬼怒川水力電気系列の小田急電鉄に合併されて小田急電鉄帝都線となりますが、小田急電鉄が大東急の一員になってしまい東急帝都線に変わります。 戦時中に井の頭線は、空襲で永福町車庫が被災し壊滅に近い状態になりました。 この為に代田連絡線 廃止 を用い国鉄から車両を小田急線経由で投入したそうです。 戦後、大東急解体と共に京王線と井の頭線は、京王帝都電鉄としてスタートします。 沿革の異なる両線が同一会社となったのは、当時の京王線が路面電車の設備だった事と戦前に京王電気軌道の主力だった配電事業が無くなった事に起因します。 また東急から京王線だけの分離では経営基盤が弱くなり独立が難しいという理由からでした。 日本車両で製造された場合は、新造車に1,067mmゲージの仮台車を付けてJR貨物が、飯田線「豊川」から東海道貨物線「川崎貨物」を経由して神奈川臨海鉄道「千鳥町」まで 甲種列車輸送します。 ここでトーラに載せ換えられて若葉台検車区まで陸送してから正規台車に取り替えます。 若葉台検車区 井の頭線車両の場合は、単独路線なので新造車両の列車輸送は出来ません。 永福町駅に隣接する京王バス車庫まで車体と台車を別々のトレーラーで陸送します。 終電後に新造車両を他の電車で牽引して富士見ヶ丘検車区へ回送します。 永福町駅構内が使われるのは、富士見ヶ丘検車区が道路事情でトレーラーが入れない理由からです。 下の写真 1 〜 4 は、2011年7月5日に行われた井の頭線3000系3729F編成の陸送の模様です。 1000系の配備が終了したので、最後の3728F編成の搬出が行われると新造車両搬入はしばらくないと予想されます。 永福町駅構内留置線 幻の東京山手急行電鉄 下の写真は、井の頭線を跨ぐ明大前駅近くの水道橋です。 手前に2線分のスペースが見えますが、これが東京山手急行電鉄の未成線跡地です。 明大前駅は東京山手急行電鉄の「第二山手線構想」の中で井の頭線との交差駅になる為、複々線のスペースが確保されていました。 ルートは、現在の駅名で言うとJR京浜東北線・東急大井町線「大井町」 を起点として「洲崎町」に至る予定でした。 東急大井町線「大井町」〜東急池上線「雪ヶ谷」〜東急東横線「自由ヶ丘」〜東急田園都市線「駒沢大学」〜小田急線「梅ヶ丘」〜京王線「明大前」〜JR中央線「中野」〜西武新宿線「新井薬師前」〜西武池袋線「江古田」〜東武東上線「下板橋」〜JR埼京線線「板橋」〜JR山手線「田端」〜JR常磐線・東武伊勢崎線「北千住」を経て寺島町・大島町・砂町を経由し「洲崎町」に至ります。 1925年に山手線の環状運転が開始されました。 当時、沿線の更なる発展を見込んで私鉄によるもう一つの環状路線を建設される事が計画されました。 それが東京山手急行電鉄の「第二山手線構想」です。 玉川上水の下を潜る橋脚 東京山手急行電鉄は、1927年に上記のルートで免許の交付を受けていますが、関東大震災 1923年9月 や昭和金融恐慌、世界恐慌の影響が長引き、思う様に建設には至らず、東京山手急行電鉄は、帝都電鉄と改称して現在の京王井の頭線を先に建設しました。 1933年に井の頭線の一部開業をしますが、免許線建設を止めた訳ではなく、1936年に東京東部に当たる区間免許を失効させてから終点を山手線「駒込」に変更します。 「大井町〜自由ヶ丘〜駒沢〜梅ヶ丘〜明大前〜中野〜駒込」駅間の施行免許を得ます。 ところが日中戦争が1937年に勃発して事業環境は難しくなり、1940年に帝都電鉄が小田急に統合された時、施行許可を得た残り区間の免許も失効して計画は頓挫してしまいます。 東京山手急行電鉄「第二山手線計画」唯一の名残として現存する橋脚が物語ります。 京王電鉄現有路線 総延長キロ数 : 104. 9km 路 線 区 間 区間距離 記 事 京王線 新宿〜京王八王子 37. 京王新線 笹塚〜新線新宿 3. 6Km 都営新宿線「本八幡」駅まで直通運転。 相模原線 調布〜橋本 22. 競馬場線 東府中〜府中競馬正門前 0. 0km 単線区間 高尾線 北野〜高尾山口 8. 6km 「高尾〜高尾山口」は単線区間です。 井の頭線 渋谷〜吉祥寺 12. 7km 独立路線。 京王帝都電鉄京王線列車障害事故[1979年 昭和54年 10月3日] 京王帝都電鉄 現:京王電鉄 京王線「武蔵野台」駅東側の飛田給11号踏切で、トラックの荷台から転落した重機 ショベルカー に高尾山口発新宿行き上り急行列車 5000系7両編成 が衝突して下り線を支障したところに、新宿発京王八王子行き下り特急0015列車 5000系7両編成 が衝突し、前2両が脱線転覆しました。 重機を退かそうとして重機に乗り込んだトラックの運転手が列車に轢かれて死亡し、列車の乗員・乗客ら52名が負傷しました。 荷物重量制限の確認が厳重にされてますが、注意を見落とした可能性もあり、この踏切には障害物検知装置が設置されていなかった事から、以後京王線の踏切の安全対策強化が進められました。 事故車両は、高幡不動駅構内の高幡不動検車区に運ばれ、損傷が酷かった京王八王子方の先頭車1両 クハ5871号車 が廃車となりました。

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東京山手急行電鉄

ずっと気になっていた「 東京山手急行電鉄」の痕跡と言われているものを見に行きました。 「東京山手急行電鉄・・・?なんじゃそりゃ」ということですが、それはあとで。 京王線・京王井の頭線の 明大前駅から 京王井の頭線に沿って吉祥寺方面へ向かうと見えてきます。 写真は 甲州街道 20から撮影しました。 これは 玉川上水が 京王井の頭線を越える橋梁です。 もう少し進んで、反対側から見てみました。 玉川上水は現在は鋼管となっているようで、それと並行して遊歩道も 京王井の頭線を越えていきます。 橋をよく見ると橋脚が5本あって、 4つの隙間があることがわかります。 その隙間のうち 2つを京王井の頭線が通っています。 左側2つの隙間は線路がありません。 これが 東京山手急行電鉄の痕跡であると言われています。 その後、現在の京王井の頭線を計画していた会社を合併したり色々あったようですが、東京山手急行電鉄の計画は金銭的に破たんしたそうです。 現在の京王井の頭線はその後開通しています。 東京山手急行電鉄は大井町~自由が丘~梅ヶ丘~明大前~中野~・・・~洲崎町で計画され、明大前では現在の京王井の頭線・京王線と接続する計画だったそうです。 注1:東京都公文書館は2019年度に西国分寺に移転予定。 注2:上の図面は当初の計画でルートが若干異なり、代田橋駅付近と交差する計画だったようである。 注3:駅名、鉄道名は現在のもので当時の名称は異なる場合がある。 現在の京王井の頭線を建設する時のものだそうで、図面は 玉川上水交叉跨線水路橋設計図です。 ただ、現在の橋梁とは形が違ったりしていて、この後で計画が変更されたのか、何か別の橋なのか、よくわからないので、言及せず資料だけここに置いておくことにします。 図がざらついているのはもともとです。 これは現在の京王井の頭線の 松澤停車場設計平面図です。 現在の明大前駅のことです。 ホームが2面4線で、東京山手急行電鉄と現在の京王井の頭線が相互に乗り換えられる計画だったようです。 少し待っていると電車がやってきました。 さっきから「だそうです」「ようです」「言われている」と濁して書いていますが、資料と調べが足りず断定していいのかわからないからです。 すみません。 吉祥寺方面を見てみると、 京王井の頭線は掘割を抜けて永福の方へ行きます。 東京山手急行電鉄はここを右の方へ伸びる計画だったのでしょう。 車両の長編成化や駅施設の拡張の影響もあったのかもしれません。 上の図面を今の地図に重ねてみると、線路の位置が若干違うようで、これも謎要素です。 計画変更されたのか、ずれているのか。 ? ちなみに下の折り返し用の線路は緊急時対応などのため最近できたものです。 ちょっとブログを書こうといろいろ調べたら、思いのほか深い沼だったのでこれくらいにしておきます。 調べたらきりがなさそうです。 中途半端な記事ですみません。 コメントについて 非公開コメントへの返信は基本的に行っておりません。 カテゴリ 最新の記事 at 2020-07-17 00:00 at 2020-07-14 00:00 at 2020-07-12 00:00 at 2020-07-10 00:00 at 2020-07-08 00:00 at 2020-07-05 00:00 at 2020-07-03 00:00 at 2020-06-30 00:00 at 2020-06-26 00:00 at 2020-06-23 00:00 以前の記事 最新のコメント by ふらん at 17:54 by yunomi-chawan1 at 17:01 by yunomi-chawan1 at 16:52 by yunomi-chawan1 at 16:38 by yunomi-chawan1 at 16:36 by 国立在住者 at 15:55 検索 記事ランキング• タグ 59 57 48 35 35 31 29 27 25 25 25 25 22 19 17 15 12 12 11 11 11 10 10 10 10 10 10 10 9 8 8 8 7 7 7 7 7 7 6 6 6 6 6 6 6 6 5 5 5 5 5 5 5 5 5 5 5 5 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 4 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 2 2 2 2 2 2 2.

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