読書感想文 君の膵臓を食べたい。 読書感想文「君の膵臓をたべたい(住野よる)」

【読書感想文】君の膵臓をたべたい/住野よるを読んで

読書感想文 君の膵臓を食べたい

読書感想文についてです。 君の膵臓で食べたいで書こうとしています。 それで、書き出しとあらすじなんですが考えすぎて日本語がよくわからなくなってきたので見てください。 おかしいところとかあったら教えてくれるとうれしいです。 私が君の膵臓を食べたいを選んだ理由は、この本からたくさんのことを学んだからです。 この本は他人に興味がなく、関わろうとしてこなかった僕と、人との関わりを大切にする 桜良という膵臓に病気を持った女の子が『共病文庫』をきっかけに出会い、 僕が桜良に人の『生』や『死』、人と関わることの楽しさを学んでいく話です。 僕はあえて名前を出していません。 出した方がいい。 と思いますか? 日本語難しいです。 回答よろしくお願いします。 いいと思います。 直すところがありませんね。 しっかりと意味が伝わってきます。 というか、かなり上手です。 名前の「僕」ですが、これは作者自身が僕になって伝えたかった意図が感じ取れます。 最後に名前が出てくるのは珍しいのでそこはこの本の別の意味があるのだと思います。 「志賀春樹」くんを最初に出していないのですから、「僕」というのを「主人公」として作文に書いた方がいいと思います。 そして、感想文の最後のまとめで、主人公「志賀春樹」くんの名前を出して強調するのもいいかもしれません。 この作品は、桜良と主人公が恋愛感情をもちつつも、友人関係に近しい微妙なところが話を読み手をワクワクさせていますね。 書きどころが沢山あるのですが、感想を客観的に書いてく中で、質問者さんが男性なら主人公に、女性なら桜良になりきってみて自分と照らし合わせた気持で少し書いてみるとおもしろいと思います。 博多への旅行とかはいいと思いますね。 あと最大の見せ場の「君の膵臓で食べたい」とメールを送るところですが、この言葉に作者は何を込めたののかを考えるのがいいです。 あと特徴として、物語と通じて、作者が何を伝えたかったのかというのが分かりずらい内容です。 「命の平等」といいいたいようですが、その平等というのが、実は奥深くて説明が難しいのです。 そこも作文で考えていただきたいところですね。 関係無いのですが、個人的に桜良の性格は魅力的です。 それと病気が絡んで切ない気持ちが歯がゆいですね。 是非頑張ってください!.

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君の膵臓をたべたいの意味を知って…原作のあらすじと涙の感想

読書感想文 君の膵臓を食べたい

「選んでくれてありがとう」 <「違うよ。 偶然じゃない。 私達は、皆、自分で選んでここに来たの。 君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。 運命なんかでもない。 君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。 私達は、自分の意思で出会ったんだよ」> 人生に偶然はない。 すべてその人の選択の結果である。 桜良はそのような考えを持っています。 それは「僕」が「春を選んで咲く桜という花の名前は、人生を偶然じゃなく選択だと考えている君の名前にぴったりだ」と指摘するように、「桜良」という名前と密接にリンクしています(このセリフは「春を選んで」というところが「僕」の名前である「春樹」とも関係していますけど、それはまた別の話)。 この桜良の人生観はそのまま受け取ることもできますけど、私は別の意味も含まれているのでは、と思いました。 それは「この本を読むことを選んでくれてありがとう」です。 読書をしていて「この本はすごい。 読んでよかった。 まさに、私のために書かれたものだ」と思う本に出会う機会はまあまああります。 それがよいことかよくないことかはいったん置いておいて、そういう気持ちはたいがい、読者の片想いです。 だって常識的に考えて、私ひとりのためだけに書かれた本は、きっと存在しないからです。 本に対する思いは、たいてい一方通行です。 でも、まれにそんな読者の思い込みと呼応するように、本の側からも「読んでくれてありがとう」というメッセージを発信している本があります(ほんとうに珍しいですけど)。 この『君の膵臓をたべたい』という小説はそんな「珍しい本」です。 「よく選んでくれたね。 ありがとう」のメッセージを読者に向けて掲げてくれている、とてもレアな本です。 私はそう感じました。 私の今までの読書経験を顧みると、小説のほうからメッセージを発してくる作品を書ける作家は、太宰治とサン=テグジュペリしか知りません。 たとえば太宰治は『桜桃』の出だしでこう書いています。 <子供より、親が大事、と思いたい。 子供のために、などと古風な道学者みたいな事を殊勝らしく考えてみても、何、子供よりも、その親のほうが弱いのだ。 > 第二文の「何」というところが、まさに読者を意識した言葉です。 「だよね? 子供より親が弱いって、君も思ってるよね、きっと」という作者の気持ちがとても伝わってきます。 太宰治とサン=テグジュペリは私が知っている中でこのような「読者に対して語りかけてくれる作品」を書くことのできる特別な才能を持った作家です。 そしてそれは偶然にも、『君の膵臓をたべたい』の作中で名前が出てきた作家のうちのふたりです。 <「ふーん。 一番好きな小説家は名前と一緒?」「違う。 一番は、太宰治」> <「『星の王子さま』、知ってる?」「サン・テグジュペリ?」> 「人生に偶然なんてない」という桜良の言葉を借りると、小説の中に彼らの名前が出てきたのは偶然ではないと考えるべきでしょう。 「あなたが今読んでいるこの『君の膵臓をたべたい』という小説も、太宰治やサン=テグジュペリの本のように、あなたに語りかけていますよ」というメッセージです。 それは「メッセージを発していることを伝えるためのメッセージ」です。 「これからあなたに語りかけるから、聴き逃さないでね。 いい?」というメッセージです。 その直後に、桜良は上に記したような「人生に選択はない」というようなことを言います。 それは「だから、この本を選んでくれてありがとう」というメッセージと受け取るべきだと私は思いました。 私が「この本に出会う選択をしてよかった」と思うと同時に「選んでくれてありがとう」と語りかけてくれる。 『君の膵臓をたべたい』はそんな贅沢で幸福なコミュニケーションができるとてもすばらしい小説です。 (100行,原稿用紙5枚ぴったり) 原稿用紙5枚(2000字,100行)その2 「ガムいる?」が可視化すること 私が『君の膵臓を食べたい』で注目すべきだと思っているのは「ガムをすすめてくる男」です。 このキャラクターは事あるごとに主人公に「ガムいる?」と声をかけます。 私が数えたところによると4回(74頁、137頁、138頁、177頁)。 たった4回ですが、とても私の注意を引きました。 私の経験上、こういう何回も同じ行動をとるキャラクターは、大切な役割を担っていることが多いからです。 案の定、エンディングで彼についても後日談が語られています。 どうしてただの「ガムをすすめてくる男」が『君の膵臓をたべたい』でこんなに重要なポジションを与えられているのか。 それを考えてみたいと思います。 主人公は「ガムいる?」の問いかけに対して何度も「いらない」と答え、ガムをすすめてくる男はめげずに何度もガムをすすめます。 これは主人公が「贈り物を受け入れる準備」ができていなかったことを表しています。 私たちが贈り物を受け取るときに気まずい気持ちになるのは、返礼の準備ができていないときです。 たとえば忙しすぎて「ありがとう」の気持ちを充分に伝える時間・手段がないとき。 人は何かをプレゼントされると、無意識に「返礼の義務感」を抱くものです。 年賀状だって、出していなかった相手から届くと、あわててハガキを買いに走るということがあります。 それと同じです。 振り返ると、ガムをすすめられたタイミングというのは、主人公がなにか「問題」を抱えているときに限ります。 桜良と付き合っていると疑われたとき、上履きがゴミ箱に捨てられていたとき、桜良のストーカーだと噂されていたとき。 主人公はガムを受け取らないことを「選択」します。 でも最後に彼はガムを受け取ります。 直接的な描写はありませんが「あのさ、君達は僕が飴とガムを主食にして生きてるとでも思ってるの?」から推察することができます。 彼は桜良のように「生きる」ために「誰かと心を通わせること」(192頁)をガムを受け取ることを通して「選択」したのです。 言い換えると「ガムをもらうこと」の「返礼」として「彼と友だちになる」ことを選びました。 それは彼が「成熟」した証左にほかなりません。 桜良の言葉を借りるまでもなく、人は独りでは生きていけません。 物語のはじめ主人公は「僕は人に興味がない」と発言します。 彼はこの時点では「独りぼっちでも僕は生きていける」と思い込んでいる「子ども」です。 でも、桜良との触れあいを通して彼は魂ごと「大人になる」ことができました。 <彼女の存在そのものといえる言葉が、視線や声、彼女の意思の熱、命の振動となって、僕の魂を揺らした気がした。 >(192頁) それは志賀直哉が『城の崎にて』で生き物の生死を見せつけられた後で「生きていく」意欲が芽生えなかったことと対照的です。 志賀直哉は「生きていることと死んでいることはそんなに変わりがない」と思いました。 『君の膵臓をたべたい』の主人公は違います。 桜良と出会ったことで「誰かと関わる」という「生きる」「選択」をしました。 そのように彼が「未熟」な状態から「成熟」したことがはっきりわかる効果測定装置として、「ガムをすすめてくる男」は配置されていたのだと私は思います。 彼は「ガム」というアイテムを通して主人公の成長を可視化してくれました。 だから彼は主人公にとって、桜良の次に(恭子と並んで)大事なキャラクターであると断言できます。 (84行,原稿用紙4枚と4行) おわりに.

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「君の膵臓をたべたい」:読書感想文

読書感想文 君の膵臓を食べたい

本屋大賞第2位。 2017年8月時点で累計発行部数は200万部。 インパクトのあるタイトル「君の膵臓をたべたい」。 さらに映画化。 気になっていた小説です。 あまり詳しい内容は知らなかったのですが、ジャンルとしては恋愛青春小説なのかなと思っていました。 物語は、少女の葬儀から始まります。 その葬儀に思いを馳せる少年。 死が二人を引き裂いた悲しい話だと想像しました。 ありがちな悲しい恋愛ストーリー。 それが読み始めた最初の印象です。 ただ、その割には少年の言葉が奇異なものでしたが。 「読後、きっとこのタイトルに涙する」 確かに悲しい話ではありそうですが、涙を流すほどの感動作かどうか疑問に思いながら読み進めました。 読み終えた時、このコピーが間違っていないことを知りました。 本当に、涙を堪えることが難しい結末です。 これほど、心に響く小説はあまりない。 今年読んだ中で、最も心に残る小説のひとつです。 「君の膵臓をたべたい」の内容 ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。 タイトルは「共病文庫」。 それはクラスメイトである山内桜良が綴った、秘密の日記帳だった。 【引用:「BOOK」データベース】 「君の膵臓をたべたい」の感想 桜良にとっての日常と真実 最初に感じたことは、主人公の少年と桜良の会話の奇妙さです。 話している内容があまりに重い割に、普通に会話し普通に接している。 桜良の余命が短いと分かっていながら、桜良はもとより少年も普通に接している。 しかも、その話題を避けようとしない。 桜良よりも、少年の方に違和感を覚えてしまいます。 少年はあまりに普通。 余命がないクラスメートに対して、突き放すくらいの接し方です。 それが彼の特性であることは、徐々に分かってきます。 そして、桜良が彼にそのことを求めていることも。 桜良は、彼のことを日常と真実の両方を与えてくれる唯一の人物として、次のように表現したいます。 君は、きっとただ一人、私に真実と日常を与えてくれる人なんじゃないかな。 お医者さんは、真実だけしか与えてくれない。 家族は、私の発言一つ一つに過剰反応して、日常を取り繕うのに必死になってる。 友達もきっと、知ったらそうなると思う。 君だけは真実を知りながら、私に日常をやってくれているから、私は君と遊ぶのが楽しいよ。 少年の存在が桜良にとって重要なのは、彼が日常を続けてくれるからです。 果たして、余命がない状態で日常を続けていきたいと願うものなのか。 やり残したことはないのか。 そのことを、少年は問いかけることもあります。 もちろん、桜良はやりたいことを、ひとつずつ行動に移していきます。 ただ、その行動は全て彼とともにです。 そこには、日常を壊したくないという願いがあるのでしょう。 それぞれの生きるということ 二人の生に対する考え方は対極にあります。 この対極は、彼ら二人の関係を語るのに最も重要な要素です。 彼はその重要性に気付きませんが、桜良は最初から気付いている。 だから、彼とともに最後の時を過ごすのですが。 桜良が考える「生きること」は、他者との関係性の中で生まれてくるものです。 彼女が考える生きるとは、 きっと誰かと心を通わせること。 そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ。 彼が考える「生きること」は、自分自身の中で生まれてくるものです。 そこに他者との関係性は必要ありません。 文中で表現されている言葉を使えば「自己完結」です。 桜良が他者との関係の中で生きるということは、余命を知られ、周りの反応が変われば生きることが大きく揺らぎます。 他者との関係の中では、自分の思う通りに生きられない。 関係性が変われば、自分の存在の意味も変わるということを恐れているのかもしれません。 対して少年は、他者との関係性の中で生きている訳ではありません。 どのように状況が変わろうと、自分の生き方は自分の中で完結させる。 いい意味で言えば、生きることの意味が簡単に揺らがない。 桜良は、他者との関係が大きく揺らぐ病気を抱えたことにより、少年の生きる姿勢に強く惹かれたのです。 そして、彼は桜良の期待通りの対応をしていたのでしょう。 彼に自覚はなかったようですが。 桜良の本当の気持ち 桜良は本当にこれまでの日常を続けたかったのか。 桜良は、人はいつ死ぬか分からないものだと言います。 自分はたまたま余命が分かっているが、少年も含め全ての人がいつ死ぬか分からない。 もしかしたら、明日、少年の方が先に死ぬかもしれない。 それが彼女の死生観です。 たまたま、自分は死ぬ時期が分かっているだけだと。 彼女の死生観だと、いつか巡ってくるものが来るだけということになります。 そう考えることで、自分の運命を受け入れようとしているようにも感じます。 自分の余命をまるで冗談のように語る桜良が、たった一度、死を恐れる発言をします。 少年に対する問いかけとして発せられるのですが、 私が、本当は死ぬのがめちゃくちゃ怖いって言ったら、どうする? この言葉こそが、桜良の本当の気持ちだと感じます。 少年は、その問いに答えることが出来ません。 普段なら、冗談で返していてもおかしくないのですが。 少年は、その言葉が桜良の本心だと直感的に理解したのかもしれません。 【?????】としか想像できないこと 文章中に少年の名前は出てきません。 最後に出てくるのですが。 少年のことは、【秘密を知っているクラスメイト】【大人しい生徒】【仲良し】などと表現されています。 周りが自分のことをどう思っているのか想像することが、少年の癖です。 名前を呼ばれた時に、僕はその人が僕をどう思ってるか想像するのが趣味なんだよ 彼は周りとの関係を築きません。 だから、自分で想像するのです。 関係を築けば、想像することなく分かるからです。 そのように想像することで、自分の位置を確認し自己完結してしまうのです。 しかし、ある時から、桜良からの呼びかけが 【?????】となります。 桜良が、自分を何と呼んでいるか分からないのです。 それまでは【秘密を知っているクラスメイト】【仲良し】と、桜良が自分に対し何と呼んでいるか想像できています。 それが分からない。 桜良の本当の気持ちが分からない。 ようやく、彼は桜良の気持ちを分かろうとする。 それは、彼が変わっていっていることを表しています。 桜良といることで多くの影響を受けているのです。 桜良が、自分にないものを彼に求めていたように、彼も桜良に求めていたのかもしれません。 最後に この小説において、二人の関係は一体何だったのでしょうか。 日が経つほどに、お互いが惹かれていくのが分かります。 しかし、単なる恋愛で片付くような感情ではありません。 単なる恋人同士の話なら、ここまでの感動は有り得なかった。 異性としてだけでなく、人としてお互いに惹かれていた。 そういうことでしょう。 「君の膵臓がたべたい」 この言葉が、最後に出てきます。 その時、彼らがお互いに抱いていた思いが同じであることが分かります。 この言葉に二人の関係が凝縮されていると感じます。 そして二人の関係が終わるのが、予定されていた余命の中での別れでなかったことがとても悲しい。 死ぬことに変わりがないとしても。 突然の死は、伝えるべきこと・知りたかったことに気付いても手遅れだからです。 彼は、桜良が自分のことを何と呼んでいるのか知りたかった。 【?????】の中身です。 彼は、桜良の遺書を読むことで、彼女の本心を知るのです。 しかし、すでに彼女はいない。 知ったことに対し彼女に何も出来ない。 してあげられない。 そのことが、読んでいてとても辛い。 ただ、決して辛いだけで終わる訳ではありません。 彼は、彼女のように他者との関係性の中で生きることを選びます。 そして1年が経ちます。 「時が解決する」という訳ではありませんが、どんな辛い思いも和らぐ時が来ます。 忘れることではなく、桜良の死を受け入れ、桜良の心とともに生きていくということなのでしょう。 悲しいだけでなく、爽やかな読後感を与えてくれます。 住野よるさんのデビュー作ということですが、素晴らしい作品だと思います。

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