親日 プロレス。 新日本プロレス1・4東京ドームは女子プロレスでスタート!「必ずスターダムでも東京ドーム!」

永田裕志

親日 プロレス

ハロルド・ジョージ・メイ 新日本プロレスリング株式会社社長兼CEO。 1963年オランダ生まれ。 ニューヨーク大学(NYU)修士課程修了。 ハイネケン、日本リーバ(現ユニリ-バ・ジャパン)、サンスター、日本コカ・コーラ副社長、タカラトミー代表取締役社長を経て現職。 アース製薬社外取締役。 マスコミ、経済界からも引っ張りだこの異色のプロ経営者。 日本語が堪能で6カ国語を話し、明るくユーモアのある人柄でも知られている。 リーダーに欠かせない要素はイニシアティブと熱意 私はサラリーマン生活の半分を外資系企業、半分を日本企業で働いてきました。 それぞれに良い点、悪い点、また考え方の違いがありますが、自分の経験に基づいたリーダーシップのあり方についてお話しさせていただきます。 まずはリーダーに欠かせない要素についてですが、大きく分けて二つあると思います。 一つ目はイニシアティブをとれるかどうか。 自ら行動を起こして、新しいチャレンジに導いていくのがイニシアティブ。 リスクがあり、失敗するかもしれない。 だからこそ成功率が高い提案をしないと人はついてきません。 イニシアティブをとるために大切な点は聞く耳を持つことです。 まずは、いろんな人の意見を聞きましょう。 自分の中で結論を決めている場合でも他人の意見を聞いてから結論を伝えるようにする。 日本はみんなで一緒にやるという参加型経営が多く、この部分に時間を費やすことは非常に大事です。 また数字を使うことも重要です。 会社にはいろいろな考えの人がいるので、例えば、この商品は美味しいですと言っても、その定義は人によって変わります。 でも美味しさを客観的に数字で表せたら、誰に話しても分かるようになります。 戦略をできるだけ数字を使って具体的に説明することが必要なのです。 リーダーに欠かせない要素の二つ目は熱意がみなぎっているかどうか。 いくら戦略が正しくても、人に伝わらないと意味がありません。 そして言葉には必ず人間というフィルターが入ってきます。 リーダーが100の熱意で喋っても、聞いている人は70ぐらいで受け取ります。 それをさらに下の部下に説明すると40ぐらいになります。 でもリーダーが200ぐらいの熱意で伝えると、下がっても100ぐらいで収まるかもしれません。 ちなみに日本の経営幹部の方々は、自分からイニシアティブをとって「こうしましょう!」と提案することが少ない反面、出した意見には反対する人が多く見受けられます。 でも「じゃあ、どうしたらいいの?」っていう対案は持ってきません。 それではただのクレーマーです。 そんな時、私は「反対するなら今の倍考えて、どうすればいいかの案を出してください」と言うようにしています。 リーダーシップに近道はなし 経験や自分自身で切り拓いていく また社長になった時と、社長でなかった時の仕事・役割で根本的に違うと思ったこともお話します。 ひとつはビジネスを見ている時間軸。 社長でない時は、明日の売り上げ、来年の計画までしか考えていませんでした。 でも社長になると5年も10年も先のことを考えなくてはいけません。 例えば「ベトナムに工場を建てるのに、立地場所は? 現地の取引銀行は?」などの未来を見据えて計画を立てる、これが社長の役割です。 そして現場に自分の仕事を任すようになる。 社長になると責任が多くなり、今まで自分がやってきたことを他の人に託すしかなくなってきます。 経験豊富な自分がやった方が早いと自身での対応を続けていると次の世代が育っていきません。 今まで自分がつくり上げたことを、他の人に任そうという勇気を持つことが社長には必要です。 また妨げを取り除くことも大事な役割のひとつです。 仕事で困難にぶつかった時に、取引先などに出向いて直接話をしてあげる。 会社のトップからの説得は非常に有効な場合があります。 最後にボスとリーダーの違いについてお話します。 言われたことを伝えているだけなのがボス。 それに対し、一緒に参加して、一緒になってやるんだという気持ちでみんなを引っ張っていくのがリーダーです。 リーダーシップに近道はありません。 経験や自分自身で道を切り拓いていき、人に認められることが大切です。 これが私から皆さまに贈る百戦錬磨のリーダーシップ論です。

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新日本プロレスリング株式会社

親日 プロレス

ハロルド・ジョージ・メイ 新日本プロレスリング株式会社社長兼CEO。 1963年オランダ生まれ。 ニューヨーク大学(NYU)修士課程修了。 ハイネケン、日本リーバ(現ユニリ-バ・ジャパン)、サンスター、日本コカ・コーラ副社長、タカラトミー代表取締役社長を経て現職。 アース製薬社外取締役。 マスコミ、経済界からも引っ張りだこの異色のプロ経営者。 日本語が堪能で6カ国語を話し、明るくユーモアのある人柄でも知られている。 リーダーに欠かせない要素はイニシアティブと熱意 私はサラリーマン生活の半分を外資系企業、半分を日本企業で働いてきました。 それぞれに良い点、悪い点、また考え方の違いがありますが、自分の経験に基づいたリーダーシップのあり方についてお話しさせていただきます。 まずはリーダーに欠かせない要素についてですが、大きく分けて二つあると思います。 一つ目はイニシアティブをとれるかどうか。 自ら行動を起こして、新しいチャレンジに導いていくのがイニシアティブ。 リスクがあり、失敗するかもしれない。 だからこそ成功率が高い提案をしないと人はついてきません。 イニシアティブをとるために大切な点は聞く耳を持つことです。 まずは、いろんな人の意見を聞きましょう。 自分の中で結論を決めている場合でも他人の意見を聞いてから結論を伝えるようにする。 日本はみんなで一緒にやるという参加型経営が多く、この部分に時間を費やすことは非常に大事です。 また数字を使うことも重要です。 会社にはいろいろな考えの人がいるので、例えば、この商品は美味しいですと言っても、その定義は人によって変わります。 でも美味しさを客観的に数字で表せたら、誰に話しても分かるようになります。 戦略をできるだけ数字を使って具体的に説明することが必要なのです。 リーダーに欠かせない要素の二つ目は熱意がみなぎっているかどうか。 いくら戦略が正しくても、人に伝わらないと意味がありません。 そして言葉には必ず人間というフィルターが入ってきます。 リーダーが100の熱意で喋っても、聞いている人は70ぐらいで受け取ります。 それをさらに下の部下に説明すると40ぐらいになります。 でもリーダーが200ぐらいの熱意で伝えると、下がっても100ぐらいで収まるかもしれません。 ちなみに日本の経営幹部の方々は、自分からイニシアティブをとって「こうしましょう!」と提案することが少ない反面、出した意見には反対する人が多く見受けられます。 でも「じゃあ、どうしたらいいの?」っていう対案は持ってきません。 それではただのクレーマーです。 そんな時、私は「反対するなら今の倍考えて、どうすればいいかの案を出してください」と言うようにしています。 リーダーシップに近道はなし 経験や自分自身で切り拓いていく また社長になった時と、社長でなかった時の仕事・役割で根本的に違うと思ったこともお話します。 ひとつはビジネスを見ている時間軸。 社長でない時は、明日の売り上げ、来年の計画までしか考えていませんでした。 でも社長になると5年も10年も先のことを考えなくてはいけません。 例えば「ベトナムに工場を建てるのに、立地場所は? 現地の取引銀行は?」などの未来を見据えて計画を立てる、これが社長の役割です。 そして現場に自分の仕事を任すようになる。 社長になると責任が多くなり、今まで自分がやってきたことを他の人に託すしかなくなってきます。 経験豊富な自分がやった方が早いと自身での対応を続けていると次の世代が育っていきません。 今まで自分がつくり上げたことを、他の人に任そうという勇気を持つことが社長には必要です。 また妨げを取り除くことも大事な役割のひとつです。 仕事で困難にぶつかった時に、取引先などに出向いて直接話をしてあげる。 会社のトップからの説得は非常に有効な場合があります。 最後にボスとリーダーの違いについてお話します。 言われたことを伝えているだけなのがボス。 それに対し、一緒に参加して、一緒になってやるんだという気持ちでみんなを引っ張っていくのがリーダーです。 リーダーシップに近道はありません。 経験や自分自身で道を切り拓いていき、人に認められることが大切です。 これが私から皆さまに贈る百戦錬磨のリーダーシップ論です。

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新日本プロレス1・4東京ドームは女子プロレスでスタート!「必ずスターダムでも東京ドーム!」

親日 プロレス

人物 [ ] 父は千葉県立高校の校長兼野球部監督を務め、千葉県立成東高校では、らを指導。 妹であるの永田貴子は、アメリカで開催されるネイルトレードショー・WINBAで1999年入賞、2000年優勝の実績を持ち、裕志はもちろん、弟である総合格闘家ののコスチュームデザインも行なう。 克彦は、ので、銀メダリストとなった。 新日本プロレスの試合でレスリングルールによる対戦もしている。 また、父と同様に裕志と克彦も教員免許を持っている。 とはチーム・ジャパンでユニットを組む等、特に仲がよい。 カシンが大学院に合格した際には「東金デストロイヤー」なる覆面レスラーとして「祝福」に訪れた。 現在プロレス界の各タイトルを獲得しながらも、「技をかけながら自ら白目を剥く」キャラを主として「現在、新日本プロレスで最も盛り上がるのが、永田が白目になった瞬間である 」と言われるほどの人気を博しており、シリアスな試合展開ながらも「ひょうきんレスラー」として人気を博している。 来歴 [ ] デビュー以前 [ ] 、卒業後、に入学しレスリング部に所属。 全日本学生選手権 (1988年)および全日本大学グレコローマン選手権 (1989年)で優勝を果たした。 、全日本選手権優勝後、に入門。 同期には、()、らがいる。 新日本に入門したのはの紹介。 1992年9月14日山本広吉(現:)戦でデビューを果たした。 初タイトル獲得まで [ ] 、新日本プロレスととの対抗戦に出場。 グレコローマンの下地を生かしたファイトでらと激闘を繰り広げた。 から海外武者修行としてに遠征。 、日本に帰国。 同年、の負傷による王座返上を受けて組まれた決定戦に自ら本隊代表として志願し、nWo代表のと対戦するも、ノートンのパワーに圧倒されて敗れる。 8月28日、で中西と組んで、&を破り、自身初のタイトルとなるを獲得した。 この頃にリングコスチュームを青いショートタイツとレガースにし、以後数度模様などをマイナーチェンジをするもののこのカラーリングで定着する。 G1 CLIMAX優勝 [ ] に中西、、と共にを結成、翌年まで活動する。 3月2日には旗揚げ戦へスポット参戦した。 、「」決勝戦でを破り、「G1」初優勝。 また、永田はこの試合をきっかけに新日本内でのスターダムを駆け上がっていくことになる。 この年の12月31日、初参戦となったでと対戦したが1R21秒左ハイキックを受け、レフェリーストップによるTKO負けを喫した。 1月4日の新日本大会で、前年10月にタッグを組んだノア・秋山の持つに挑戦するも敗れた。 IWGPヘビー級王座連続防衛記録樹立 [ ] 2002年4月5日、を破ってIWGPヘビー級王座を奪取する。 以降、5月2日にに敗退するまで、の持っていた防衛回数9を更新する10度の防衛を果たした。 6月6日、ノアの武道館大会に二度目の参戦を果たし、同大会でから勝利を収めた。 1ヶ月後の大会で秋山とシングルで対戦し、ここでも勝利を収め、9月12日の武道館大会での保持するに二度目の挑戦を果たしたが、王座奪取に失敗した。 12月31日、「」でと対戦し、1分2秒左フックでTKO負けした。 なお、イベント開催自体の開催が危ぶまれ、ヒョードル戦が決定したのが試合前日という混乱ぶりで、開催後も安田忠夫と永田のギャラが未払いとなり新日本プロレスが訴訟を起こすなどのドタバタがあった。 永田はIWGPの防衛記録を持つなどのプロレスでの戦績と、アマチュアレスリングのバックボーンを持つことから大いに期待されたものの、2001年のミルコ戦に続く敗戦から、その後のプロレス業界の低迷も相まって「プロレス幻想を打ち砕いた」、「プロレス凋落の戦犯」などと批判・揶揄された。 3大メジャーのタッグを制覇したのは、に続き3人目。 ヒール転向 [ ] 1月、マッチメイクに異を唱え、新日本離脱を示唆する発言をする。 3月、フロントとの確執の末ヒール転向を宣言。 BNJに合流せず、1人で戦うことを選択した。 その後、中西学、ケンドー・カシン、らとレスリング軍団「チーム・ジャパン」を結成。 4月26日、がヒョードル戦の内容に苦言を呈したのに対し「戦が悪いんじゃないが、ヒョードル戦とはが違うだろ。 胸に手を当てて考えろ。 」と発言。 2005年10月、が現場監督として新日本に復帰した際、蝶野を中心とした反長州派が不満をぶつけるなか、中立を宣言する。 長州に好意的な選手が少な過ぎるため、棚橋と共に長州とタッグを組まされ、半ばうやむやな形で中西とともに本隊に戻っている。 12月11日、当時IWGPヘビー王者のと対戦し、敗北した。 コミカル路線 [ ] に入り、スポーツ新聞の取材時にバレンタインチョコをかじる、徳島での試合を控えてで挑発する、誕生日ケーキを食べながら指をしゃぶるといったコミカルなパフォーマンスを行なっていた。 4月にはワールドプロレスリングで試合が放送される際、白目をむいて鬼気迫る表情をする姿に「鬼神」「キラー永田」とテロップが入った。 5月の第2回では、決勝でに敗れ準優勝。 中西がのとタッグを組み、IWGPタッグに挑戦する話が出た際に、王者チームに返上させて自身と山本のタッグや他のタッグを加えてトーナメントを開催することを提案した。 2006年5月、個人事務所「ナガタロック」を設立し、8月4日にリラクゼーションサロン「enishing」を開店した。 6月にはでコラム『永田裕志のセカンドバッグ』の連載を始める。 9月、三冠王者になったを見て「鈴木にベルトを獲られたんだから全日本のレスラーはB級レスラー」と発言したが、当の鈴木のブログで「B級と言っていいのは俺だけだ。 永田はC級」とやり返される。 その後もタッグ戦で鈴木との抗争を展開し、2007年1月に三冠ベルトを賭けて対決するも、惜しくもスリーパーホールドで敗れる。 IWGPヘビー級王者への復帰 [ ] 3月、「NEW JAPAN CUP 2007」で優勝。 4月13日、大阪・大阪府立体育会館で行なわれたIWGPヘビー級選手権試合で王者・棚橋をバックドロップホールドで破り第46代IWGPヘビー級王者に返り咲いた。 7月1日にはに参戦にてのコスチュームで入場し、と対戦。 9月9日、地元の千葉・東金アリーナで初の主催興業を行なう。 10月8日、両国国技館で行なわれたIWGPヘビー級選手権試合で棚橋の挑戦を受け、31分5秒ハイフライフローから片エビ固めで敗北、棚橋がIWGPヘビー級王者に返り咲いた。 1月4日、「IWGP3rdベルト」を賭けてと対戦するもにより敗退。 世界ヘビー級王座載冠 [ ] 2008年2月17日、両国国技館で行なわれる予定の戦であったが、ウォーミングアップ中にめまいと左半身のしびれを訴え、リングドクターは脳梗塞の疑いがあると判断。 病院に搬送され試合は中止となった。 精密検査の結果脳および頸椎に異常はなく、2008年2月27日に会見を行ない、病名は「高血圧から来る出血か、海綿状血管腫ではないか」と説明した。 5月からシリーズに復帰。 10月13日、を破り、ZERO1世界ヘビー級王座を奪取。 2月27日に対大谷晋二郎戦で敗れるまで、3度の防衛を果たした。 青義軍の結成 [ ] 2月15日、昨年脳内出血による体調不良で緊急欠場し実現できなかったとで1年越しの対決を行い、最後はバックドロップ・ホールドで後藤を沈めた。 4月5日にはとチェーンデスマッチで対戦するがレフェリーストップで敗北。 5月3日、飯塚とドッグカラー・チェーンデスマッチで再戦し飯塚にK. 勝ちを収めた。 8月に行なわれたG1 CLIMAXでは毎試合、ご当地の球団のユニフォームで入場した。 また、最終日にはが着ていたのユニフォームを着て登場した。 後に永田のブログでは「 本物」だったと書き記されていた。 同年9月、、、とともにを結成。 12月5日にはの持つIWGPヘビー級王座に挑戦するもボマイェで敗北を喫した。 TAJIRIとの抗争、和解 [ ] 1月4日の東京ドームで行なわれたレッスルキングダムIVで元横綱・と「ブルーマウンテンズ」としてタッグを組み、・田中将斗組と対戦するも、曙もろともTAJIRIのグリーンミストを受け、最後は永田はTAJIRIのバズソーキックでピンフォール負けを喫してしまい、戦前の公約どおり地元の東金市で自ら銅像になる罰ゲームを受けることになった。 1月30日に後楽園ホールでは・のコンビ「NO LIMIT」とタッグを組み、TAJIRIとバットインテンションズの・組による6人タッグマッチを行なうも、高橋のチャンピオンベルトによる攻撃に激怒したことで試合中にチーム内で亀裂が発生、いがみ合いの末にNO LIMITは試合放棄し、直後にTAJIRIからグリーンミストを受けて反則勝ちになった。 1月31日のディファ有明での井上と共にTAJIRI、飯塚と対決、TAJIRIのグリーンミストに対抗して毒霧「ブルーミスト」をTAJIRIに使い、反則負けになるも屈辱を晴らす。 しかし、その後はTAJIRIのいないチームとの対決でも惜しみなくブルーミストを使うようになる。 そして、2月14日にブルーミストを封印し、自らのでTAJIRIとシングルマッチで対決、序盤と終盤で2度TAJIRIにグリーンミストを受けるも目の位置を変えることでこれを耐え抜き、腕折り以外で初めて白眼を向き仁王立ちをする「緑の大魔神」に変身。 強烈な膝蹴りと投げっぱなしのをお見舞いし、腕折りでギブアップ勝ちするも、セコンドの制止が入るまでの間、白目を剥きながらゴングとレフェリーの制止を無視して腕折りを仕掛け続けていた。 その後はTAJIRIとの戦いが無く、8月8日のG1 CLIMAX XXのスペシャルタッグマッチでの椅子攻撃で右膝を負傷していたTAJIRIとタッグを組み、の飯塚とCHAOS入りしたNO LIMITの高橋のタッグと対戦。 始めは2か月近くの抗争を根に持っていたため、TAJIRIに対して冷たい態度を示していたが試合中の飯塚と高橋による執拗な右膝攻撃を受けているTAJIRIを見かねて手をさしのばすようになる。 結局、試合はTAJIRIが飯塚に捨て身のグリーンミスト攻撃で反則負けするも、TAJIRIは飯塚からアイアンフィンガーフロムヘルを奪い、序盤での猛攻撃に対し一矢報いようとするも裕次郎に妨害されてしまう。 しかし、直後に永田が高橋をブルーミストで撃沈させたことでグリーンミストとブルーミストの奇跡の競演を果たし、飯塚を羽交い絞めにしてTAJIRIのアイアンフィンガーフロムヘルによる飯塚への地獄突きに成功する。 その後、2人で敬礼ポーズをとり、固く握手をして和解する。 2011年 [ ] 3月、に出場し優勝する。 4月、に参戦し、に初出場。 決勝でを下し、優勝を収め、両メジャー団体春の祭典を制覇する快挙を成し遂げた。 6月18日、大阪大会のタッグマッチに勝利した直後、プエルトリコから帰って来たの盟友、に襲撃を受け、バックステージで「嘘だと言ってくれ…夢だと言ってくれ…」と落胆の声を漏らし続けた。 その翌日、盟友の裏切りで落胆している中、全日本に参戦し、の保持するに挑戦するも、諏訪魔のバックドロップに敗れた。 8月のでは優勝戦線に食い込む活躍を見せていたが、最終戦のヒデオ・サイトー戦でピンフォール負けを喫し、予選落ちに終わった。 9月19日神戸大会でヒデオと対戦し、バックドロップホールドで雪辱を果たし、試合後にヒデオが平澤に戻りかけたところをに襲撃され、台無しにされてしまった。 10月10日、矢野と対戦。 試合中、矢野が鋏でアナの髪を切ろうとするがそれを永田が阻止する。 最後はリバースナガタロックIIIを繰り出すと返盃で再び返されるが、それを逆に丸め返して勝利した。 全試合終了後、を保持する棚橋に挑戦表明を行うも、矢野のベルト強奪という暴挙に見舞われ、挑戦表明が流れてしまう。 11月12日大阪大会、棚橋と矢野のIWGP戦終了直後、負けたにも関らずふてぶてしくベルトを持ち逃げしようとした矢野を花道で迎撃。 ベルトを奪い返し、棚橋に返却すると改めて挑戦表明を行い、棚橋がこれを承諾したことで10月に成立しなかったIWGP挑戦が正式に決まる。 12月4日、IWGPヘビー級選手権に挑戦。 30分以上にも及ぶ死闘を繰り広げるが最後は、棚橋のハイフライフローで敗北する。 2011年度年間プロレス大賞にて、・の二冠を獲得し「 春男」の名を欲しいままにした功績と、を目標に掲げての元気溌剌なファイトスタイルが認められ、敢闘賞を受賞した。 2012年 [ ] 1月4日のに24年振りに新日本に参戦するとタッグマッチで激突(永田のパートナーは、船木のパートナーは)。 試合終了直後、試合中に顔面(左目)への膝蹴りを受けたことに憤慨した船木の挑発に激怒、殴り合いの乱闘となった。 2月3日、東京ドーム大会での永田の膝蹴りで左目を負傷し、半年間の長期欠場が決まった船木の仇討ちを直訴してきた「」河野の挑戦を受け、のリングでタッグマッチを行った。 河野のパートナーのをバックドロップホールドで勝利を収め、全日本のリングでナガダンスを披露する。 その後、河野とシングルマッチで対戦するも、両者リングアウトで試合が終わり、その後、延長戦が行われるも永田のレフェリー無視が原因で起きたセコンド陣の乱入・乱闘で無効試合と不透明決着となる。 3月4日、後楽園大会で再び河野と全日本プロレスのリングで、シングルマッチで対戦。 今度は、場外カウントなしの決着戦で、リバースナガタロックIIIで勝利。 3月20日、両国大会で河野と完全決着となるシングルマッチで対戦。 今度は、ギブアップ・KOのみの、金網戦となり、最後はバックドロップで、KO勝ちを収めた。 11月、の開催するに出場、開幕4連勝と健闘するも最終日の戦に敗れリーグ敗退に終わる。 敢闘賞を受賞した。 2013年 [ ] 1月4日、の舞台で因縁の相手である鈴木と対戦、バックドロップホールドで勝利した。 その後、昨年9月よりフリーランスとして新日本に参戦しているに目をつけ、4月7日両国大会で後藤をパートナーに桜庭、組と対戦。 ところが、試合終盤に放ったバックドロップを桜庭が上手く受け身を取れずにマットに着地。 右肘の関節が不自然に曲がっていたことからレフェリーが試合を止めさせ、レフェリーストップ勝ちを収める。 桜庭は「右肘関節脱臼」と診断され、長期欠場となってしまった。 6月22日、脱臼から回復した桜庭から復帰戦の相手として名指しで逆指名され、これを受諾する。 7月20日秋田大会、地元での復帰戦となった桜庭とシングルマッチで初対決。 最後は腕ひしぎ逆十字固めで捕えられてしまい、ギブアップ負けを喫した。 その後、桜庭とは9月29日の大会でもタッグマッチで対戦したが、10月14日の両国大会で来場したの挑発を受けて意気投合しタッグを結成。 その後、11月9日の大会では矢野、飯塚組と対戦し、勝利を収めた。 11月10日 二年連続出場となるグローバル・リーグで優勝しメジャー3団体全てのシングルリーグを制覇するという偉業を成し遂げた。 2014年 [ ] 1月4日、レッスルキングダムにおいて、桜庭とタッグを組み、、組と対戦。 ダニエルに道着での首絞めを受け反則勝ちとなった。 2月8日、ノア後楽園ホール大会で森嶋を破り、新日本プロレス所属選手としては初のを戴冠した。 2月11日、大阪大会において、永田、桜庭対ダニエル、ホーレス組のリマッチが行われた。 今回はプロレス対柔道の異種格闘技ルールとしてでのパンチおよびチョークスリーパー、道着での首絞め有効の特別ルールで行われる。 試合は桜庭がホーレスに道着でのチョーク攻撃を受け敗れた。 7月5日、五度目の防衛戦でに敗れ、GHCヘビー級王座から陥落した。 2015年 [ ] 1月4日、の第0試合()に出場。 最後はからピンフォール勝ちを収め、優勝を果たした。 1月5日、後楽園ホール大会にてが保持するに挑戦表明し、決定した。 「ミスターIWGP」とも呼ばれる永田は、この挑戦を「究極の浮気」と表現した。 2月14日、にて中邑と対戦。 かつて中邑を欠場に追い込んだなどで攻め込むも、最後はピンフォール負けを喫した。 2016年 [ ] 1月4日、の第0試合()に出場し、敗退。 3月3日、一回戦に出場。 昨年と同じく後藤洋央紀と対戦し、敗退。 5月3日、福岡・福岡国際センターで柴田勝頼を破りを奪取。 2017年 [ ] 2017年のG1をもってG1卒業を宣言し最後の試合では弟子であったバッドラック・ファレを相手に対戦し、敗退。 得意技 [ ] イーストゴールド フィニッシュ・ホールド [ ] 永田の若手時代からの代表的な。 投げられる相手は高角度でマットに叩きつけられる。 ホールドにいく際にはブリッジをせずに自分の体を捻って覆いかぶさるような形になる場合が多い。 元は通常型となるブリッジして固めるタイプを使用していたが、平成19年のとのIWGPヘビー戦あたりから、現在のフォームに変えた。 若手時代はバックドロップ・ホールドの考案者であるに顔つきが似ていたことから「鶴田二世」と呼ばれていた。 2013年のG1クライマックス初戦の鈴木みのる戦から使用している、バックドロップ・ホールドに次ぐ新必殺技。 形はリストクラッチ・エクスプロイダーに似ているが、リストクラッチが相手の左手首を正面から右太股の下でクラッチするのに対してオブ・ジャスティスは左手首を後ろ手に回す様な形で左太股の下でクラッチする。 主にバックドロップ・ホールドで試合が決まらなかった場合に使用するため、この技が最上級のフィニッシュ・ホールドである。 2013年11月10日のグローバル・リーグ戦優勝決定戦の森嶋戦はこの技でフォールを奪った。 ナガタロック・シリーズ [ ] 変形足4の字固めと膝十字固めの複合技。 体勢に入る前に敬礼のポーズをとるのが特徴。 敬礼ポーズが定着してない初期の頃はポーズを取らなかったりガッツポーズ等をしてからこの技に入っていた。 のグランドクロス200とほぼ同じ。 若手時代からの得意技。 グラウンド式の腕極め顔面締め。 クロスフェイスとは若干フォームが異なり相手の首を締め上げる方向に曲げ、前腕部から腕全体で極める。 技の命名者は同時期にWCWに参戦していて仲が良かった。 前述のナガタロックよりも開発は先だったが特定の名称がついておらず、カズが新日本参戦時に名付けた。 ナガタロックIII ナガタロックIIの体勢から移行してのような形で相手の上半身を締める。 当初永田はミルコ戦での初公開を予告していた。 だが実際には対戦で初公開された。 これは極度の軟体であり通常の関節技が効かないとされていた西村に対しての対抗策であった。 リバースナガタロックIII ナガタロックIIIの体勢からさらに移行し、横方向に回転して相手の両腕を極めたままフォールの体勢にする技。 ギブアップを奪う技ではなく、フォール技の一種。 ナガタロックIV 2006年5月3日、福岡国際センターでの真壁戦で初公開。 ナガタロックIIとほぼ同型だが、腕を両足で挟んで極めたIIとは異なり、足を使っての脇固めのように片腕を極めてのクロスフェイスである。 投げ技 [ ] の代表的な必殺技で秋山とライバル関係を意識したあたりから使い始める。 公開練習において秋山より直接伝授された。 お返しに永田はナガタロックIIを秋山に贈った。 相手の手首を持ってのエクスプロイダー。 2003年に秋山と抗争するまでは差別化のためか、実況等に「ワンハンドクラッチエクスプロイダー」と呼ばれていた。 垂直落下式による旋回式ブレーンバスター。 スペシャル・ローリング・サンダー・デス・ドライバー ブレーンバスター、垂直落下式ブレーンバスター、サンダー・デス・ドライバーを続けて放つと、この名称になる。 戦に向けて開発された。 相手の頭を脇に挟んで持ち上げ、足をトップロープにかけ、そのまま首に対して自分の体を旋回させる(首へのドラゴンスクリュー)。 の「ネックスクリュー」とは若干異なり、相手の腕を肩に掛けた状態で仕掛ける。 元祖は永田裕志である。 ブレーンバスターの体勢で持ち上げてきりもみ式に相手を脳天から落とす技。 若手時代から愛用している。 フェースバスター フロントスリーパーの体勢で捕らえ、顔面からマットに叩きつける荒技。 ナガタロックIIの繋ぎ技として使用する。 ゲーム等では「ナガタバスター」、「サドンインパクト」という技名になっている。 打撃技 [ ] 各種 ローキック、ミドルキック、ハイキックそれぞれを使う。 尻餅をついている相手の背中を足の甲で蹴りつける。 助走をつけながら自分の右足をマットと水平の高さに持ち上げて相手の顔面を右足の裏で蹴り飛ばす。 ロケットキック 相手の動きを止めたあと相手の正面にあるロープから助走をつけて相手の側まで戻ってきたところで左足を踏み切りジャンプして体を後ろに傾けながら右足をマットと水平に突き出して相手の顔面を右足の裏で蹴り飛ばす。 タイナー コーナーにもたれかかっている相手の顔面に駆け上がって膝を叩き込む技。 相手の蹴り足をキャッチして、そのままコーナーに押し込んで使用するパターンもある。 アナウンサーからは自身のニックネームから転じて「 ジャスティス・ニー」と呼称されている。 の代名詞とも言える技。 立っている相手に対して、ジャンプして後頭部へ回し蹴りを決める。 この技に移行すると見せかけて、相手の膝へ低空を放っていくフェイント技も使用している。 ここ一番では両腕を大きく動かし酔拳のような動きをし大きくアピールして放つ。 相手がコーナーに寄り掛かった時や相手の片足を捉えてコーナーに追い込んで串刺し式で使用したり、稀に通常式で繰り出す形で使用。 式 通常のエルボーと違い、額に向けて高速で何発も放つ。 ショルダーアームブリーカー 相手の腕をひねり、相手に背を向けるように立ち自身の肩に取った相手の腕の肘の部分を叩き付ける技。 永田が相手の腕を折りにかかるときに使用される頻度の高い技。 通称「腕殺し」。 実際には相手の肘の内側を自分の肩にぶつけるようにしていて相手の腕が折れない程度にダメージを与えるように考慮している。 関節技 [ ] 腕固め うつ伏せ状態の相手の腕を取り、またがるようにして、そのまま相手の上に乗っかるような体勢で腕を極める。 と異なり、自分が立ったままの状態で極める。 戦で顔面をプルプルさせながら白目を剥く表情が「キラー永田」と呼ばれた。 以降、「白目式腕固め」と称され定番となっている。 押さえ込み技 [ ] 稀に使用する押さえ込み技。 合体技 [ ] イーストゴールド との合体技。 中西が上からドン! を放つと同時に永田が延髄斬りを見舞う。 技名はの直訳。 九十九里ハンマー 「」で開発・披露した中西との合体技。 永田がミドルキックを見舞うと同時に中西が野人ハンマーを放つ。 Justice Monster 同じく、「中西ランド」で開発した中西との合体技。 永田の串刺しニーに続けて中西がフライングボディアタックを繰り出す連携技。 マルメゾン 「中西ランド」で開発した中西との合体技。 永田の串刺しニーに続けて中西がブレーンチョップを放ち、最後に永田のバックドロップで決める。 名前の由来は東金市の姉妹都市であるフランスのリュエイユ=マルメゾンから。 KOマッケンロー 「中西ランド」で開発した中西との合体技。 永田が前蹴りを放つと同時に中西がマッケンローを繰り出す。 その他 [ ] 永田がとの抗争中に使用した青色の毒霧。 しかし初公開の時は毒素が強すぎて(青い)色素まで死んでしまったために無色透明になってしまった。 また、試合中に自身のブルーミストを誤って飲んでしまい白目を剥いて倒れてしまうというアクシデントが起こったこともある。 タイトル履歴 [ ] NEVER無差別級王座を掲げる永田。 第31代、46代 第31代王者(2002年 - 2003年)に就いた際には当時最多防衛記録所持者の9回を上回る10度の防衛に成功したが2012年にに破られた。 優勝(2001年)• 優勝(2007年、2011年)• 優勝(2000年、2010年)• 第11代• 第50代(パートナーは)• 第104代(パートナーは)• 優勝(2011年)• 第21代• 第7代(パートナーは棚橋弘至)• 優勝(2013年)• 第2代• 敢闘賞(2001年、2011年)• MISSION BLOW(ビッグマッチ前奏:)• MISSION BLOW(DJ Remo-con REMIX)• MISSION BLOW(凱旋帰国試合使用バージョン) ドイツのヘビーメタルバンド、が1993年に発表した2ndアルバム『パワーワールド』 に収録された楽曲『インセイン』 INSANE のバックトラックにメロディーを乗せたもの。 JASRACデータベース、及び(旧社名:ウッドベル)によると作曲者は「中沢亮」であるとされる。 権利関係から、ネット配信サービス「」では違う曲に差し替えられる場合がある。 BLADE RUNNER END TITLES• WARP(1997年の海外遠征出発まで使用) 敬礼ポーズ [ ] 敬礼ポーズは2000年頃から使われ始め、永田の代名詞と言ってもよい。 今でこそ敬礼と言われているが、元々はナガタロックに入る時に会場の隅々まで見渡してやるという思いから使用しだした(ザ・プレイステーションインタビューより)。 実際に、敬礼をする際には「会場の一番隅を見ている」と語っている(より)。 敬礼する時の掛け声は本人曰く「ゼァッ! 武藤によると元々自分がやっていた場内を見回すポーズを永田がパクってやりだしたのがきっかけらしい。 なお、はこのポーズを嫌っている。 近年ではタイトル獲得後などは「1、2、3、ゼアッ! 」で締めることが定番となっている。 書籍 [ ] 単著 [ ]• 『永田さんのかんがえたこと』(2009年9月24日、) 俳優業 [ ]• 劇場用アニメ『』(2004年2月公開) - 神々役• アニメ『』(2005年、東映アニメーション)第7話において少年時代の本人役で出演、劇中での石松の地元での友人を務めた。 テレビドラマ『』(2011年、TBS)最終話に本人役で出演。 『』(2013年9月14日公開) - 青義刑事役• 劇団コラソン「先輩かっけ〜っす!リターンズ」(2014年2月27日 -3月2日、新宿・タイニイアリス) - ユウジ役• テレビドラマ『』(2016年、)第3湯、銭湯客役• 「スタマリ入門-ファンタジーワールドへようこそ-」(2017年5月9日)アルバムジャケットビジュアル その他 [ ]• プロのサッカーサポーターで実業家のと交友が深く、永田自身や「」のTシャツは、植田が経営するアパレルブランド、コラソンとのコラボとなっている。 また、「劇団コラソン」の公演や、「コラソンプロレス」の興行にも参加している。 新日本プロレス低迷期の2006年に導入され、現在も会場に配置されている「」についても、植田経由で紹介されたものである。 永田本人の述懷によると、日体大のレスリング部で寮生活や先輩の理不尽な言動に慣れていたので、新日本プロレスでの道場生活にもすぐ適応していた。 寮で新聞を読んだり(新人は雑用に追われて休息の取れない生活を送ることが当たり前だった)、当時鬼コーチとして知られていたと笑顔で会話する永田を見て、唖然とする同期生もいたという。 が会長を務める永田会という後援会が存在する。 ナガタロックIIが生まれた経緯は、「93年頃はよく藤原組で練習していて、その時にが逆腕キーロックみたいな状態からフェースロックを狙っていたのを見てアレンジ出来ないかって。 で、試合前に練習していた時にカブキさんがアドバイスしてくれたんですよ。 片方の腕を自分の足に挟んで、体重を相手の背中にかけてフェースロックをかけたら効くんじゃないかって。 それで出来上がったのがあの技だったんです」と語っている。 また当時にこの技を盗まれ米国で使われていた。 これについて永田は「ちょっとやられてたなって思いましたよ。 当時向こうはトップで俺はペーペーだからね。 だから俺は使うのをやめて、足を極めるナガタ・ロックIを誕生させたんですよ」と語っている。 これによりIとIIの数字順が入れ替わる逆転現象が起きた。 試合中に自身のブルーミストを誤って飲んでしまい、白目を剥いて倒れてしまうというアクシデントが起こった。 定番の白目があだとなりナガタ・ロックを仕掛けているにも関わらずドクターストップを食らう破目になった。 テレビ朝日の深夜バラエティトーク番組『』でのプロレス企画「プロレス芸人(第2回 俺達のプロレスオールスター戦)」で、プロレス好きのお笑い芸人が選んだ今後期待のレスラーとして「白目を剥いて戦うレスラーだから」という理由で永田が選ばれた。 同コーナーにおける永田の試合映像は東京ドーム大会でとの対戦中に白目を剥いているシーンばかりだった。 芸能活動に関しては、かつてと業務提携していたが、現在は他の新日本プロレス所属選手同様に所属している。 2008年からG1 CLIMAXの前に「特訓」を行うことが恒例となっていた。 2008年:エアロビクス• 2009年:フラフープ• 2010年:ラーメン修行• 2011年:ダンス(振り付けのオリジナルダンス「ナガダンス」を習得。 BGMは新日本プロレステーマ曲「THE SCORE」。 試合後に披露することもある)• 2012年:アナウンス特訓(でアナウンス技術の習得。 講師:、お手本として)• 2013年:なし 、ただし「公開練習リターンズ」と称してフラフープ、ナガダンス、アナウンスの公開練習が行われた。 2014年:猛暑地獄特訓 、銅像特訓 (G1終了後)• 2015年:リンボーダンス特訓• 2016年:護摩行• 2017年:ビーチレスリング• 2016年に制作・放送される連続テレビアニメーション作品『』では劇中のキャラクターとして「永田裕志」が登場している(声は)。 2017年新年お年玉スペシャルとして組まれた特別試合で、本人もファンサービスの気持ちで封印していた白目を披露。 レフリーがキラー永田の鉄板だということをころっと忘れてしまっており、大慌てでレフリーストップ。 有利に試合を運んでいながらも負けてしまう。 しかしながらファンも本人もどこか清々しい気分だったという。 脚注 [ ] []• ただし、の導入に伴い、裕志は2014年、克彦は2018年のそれぞれ3月末日をもってその効力を失っている。 (現職教員等でないため、更新講習の受講資格がない)• 日本レスリング協会• 日本レスリング協会• - 2009年8月17日• 高木裕美 2014年7月6日. 2014年7月6日閲覧。 日本盤は1994年にテイチクエンタテインメントからリリースされる(の入場曲「クラッシュ」の原曲が収録されたの1stアルバム、『』の日本盤も同社からリリースされている)• JASRACデータベースの「アーティスト名」欄には、そのためか「セントーアープラスワン」の名義が見られる。 『彼こそが海賊』部分は差し替え。 また7月18日の開幕戦、6人タッグマッチでは差し替え。 なお、権利関係の詳細は不明。 なお2016年の公式戦以降、永田などいわゆる「第三世代」選手の入場曲の差し替えが徐々になくなってきている。 東映アニメーション. 2014年5月4日閲覧。 テレビ東京. 2016年4月21日閲覧。 日刊スポーツ 2017年5月8日. 2017年12月22日閲覧。 東京03豊本のプロレス回覧板(東スポWeb)2013年10月25日付 2016年8月17日閲覧• 新日本プロレス公式サイト・ニュース 2013年7月28日付 2016年8月17日閲覧• 東スポWeb 2014年7月17日付 2016年8月17日閲覧• 東スポWeb 2014年8月14日付 2016年8月17日閲覧• 新日本プロレス公式サイト・ニュース 2015年7月26日付 2016年8月17日閲覧• 新日本プロレス公式サイト・ニュース 2016年7月14日付 2016年8月17日閲覧• 新日本プロレス公式サイト 2017年8月14日閲覧 外部リンク [ ]• - 公式ホームページ• - 公式ブログ• - 公式ブログ• nagata769 -• - のプロフィール (英語)• - International Wrestling Database (英語)•

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