ハンニバル 将軍。 残念な英雄ハンニバル、「象でアルプス越え」の失策度

《吹雪:アルプス越えを行うハンニバル将軍とその軍勢》ウィリアム・ターナー|MUSEY[ミュージー]

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[画像のクリックで拡大表示] 人類の歴史は、言ってみれば「失敗の歴史」だ。 たった一つの選択の誤りが、国や民族の行く末、さらには世界の運命を変えてしまったことさえある。 歴史上、少なからぬ人々が、二者択一の選択問題を間違えてしまった。 それらの判断の多くは、そのときには「一番良い考え」に思えたものばかりである。 ナショナル ジオグラフィックの書籍『失敗だらけの人類史』は、そのような歴史的な「失敗」の数々を取り上げ、何を間違ったのか、その結果どうなったのかを解説する本だ。 ここでは同書から、「象でアルプスを越えた英雄」として有名な名将ハンニバルの物語を紹介したい。 傲慢さと性急さから判断を誤り、ローマ征服という野望を達成できなかった人物である。 ローマとの戦い ハンニバルは紀元前247年、ローマによる征服の危機に瀕していたカルタゴ(現在のチュニジアの首都、チュニスの近く)で生まれた。 偉大な交易国にして海洋国家だったローマは、海上でカルタゴ人と渡り合う戦法を編み出し、カルタゴ領だったシチリア、コルシカ、サルディニアの各島を手中に収めていた。 10歳になったハンニバルはカルタゴの将軍である父ハミルカルに連れられスペインのカルタゴ領に渡る。 そこでハミルカル将軍は、現在のカルタヘナを含む新しい領土を次々に獲得。 スペインで成長したハンニバルは、イベリア人の王女と結婚した。 ハミルカルの死後しばらくして、ハンニバルは22歳の若さでスペインにおけるカルタゴ軍の司令官に選出された。 そして大胆にもスペイン西部の都市サマランカを攻め、これを占領。 次いで、イベリア半島をすばやく横断してローマの主要都市の一つサグントゥムを包囲、陥落させる。 これを受け、ローマはカルタゴに宣戦布告、第二次ポエニ戦争が始まった。 ハンニバルはイタリアに遠征し、そこで敵を叩くことを決断する。 が、ローマ方はイタリア本土に侵入するルートが3つしかないことを知っていた。 そのうち海上ルートはすべて自分たちが押さえている。 陸路は長大な距離を踏破しなければならない。 そして、アルプスを越える第三のルートは攻略不可能と考えていた。

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カルタゴの将軍ハンニバル・バルカが象と越えた峠はどこか Hannibal

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アレクサンダー大王、アーサー王、将軍ハンニバルの共通点は? 伝説の英雄? はい、それはその通りです。 ローマと戦った? いえいえ、アレクサンダー大王はローマとは戦ってませんね。 私(マリンパ)が個人的に好き? う~ん、アーサー王は、あまり興味ありません。 イングランドの歴史は1066年にフランスのノルマンディー公ウィリアムの征服から始まると思ってますので。 ここから、シェイクスピアが生きた時代(1564-1616:人殺し色々と覚えるらしい)頃までが、圧倒的に面白いですから。 その他は興味なしです。 さて、それはさて置き、アレクサンダー大王と将軍ハンニバルは、その性格に於いては、まるっきり正反対で、現代でも人気を二分しそうなのだが、何故か、私は両人とも好きである。 アレクサンダーは、正々堂々、真っ向勝負を挑むタイプであり、ハンニバル将軍は、戦術、知略、策略、策謀を弄するタイプだ。 アレクサンダーは理想主義者で、ハンニバルは現実主義者。 アレキサンダーは勝ち方にもこだわり、ハンニバルは奇襲・待ち伏せ何でもあり勝つ事が至上主義だ。 【ローマ人の物語】の著者、塩野七海氏は『アレクサンダーはギリシャ神話のアキレウスを愛していた。 ハンニバルが誰を好んでいたかは知られていないが、多分、オデュッセウスだろう』と書いている。 なるほどねぇ、その通りかも知れないって思った。 ホメロスの『イリアス』でも、初っ端からアキレウスは怒っている。 それ故、戦闘に加わらず、サボタージュを決め込んでいるワケなのだが。。。。 純粋で、不誠実なことが嫌いで、策を弄する事より、正々堂々を善しとし、生き方すら潔しを旨とするタイプなのだ。 アキレウスはロマンチストで、アガメムノンはリアリストなのは、トロイ戦役ではアキレウスは死に、オデュッセウスは生きて故郷(イタキ)に帰れる(苦労するけど:オデュッセイア)所にも現れていると思う。 アキレウスは母(ティティス:ゼウスが愛したニンフだが、父より強い子を産む子宮の持ち主だとプロメテウスに忠告され、泣く泣く諦め、英雄ペレウスに嫁がせた。。。 結婚式に女神エリスを招待せず、、ゼウスが人減らしの為に、、、、パリスの審判、、、ヘレネ略奪、、、トロイ戦争。 一方、ティティスはアキレウスが戦死する事を予知していたので不死身にする為、冥界の川ステュクスに漬けるのだが、その時足首を握っていて、その部分が不死身にならず、、、アキレス腱。。。。 )に、トロイ戦役に参加すると死ぬと言われていたにもかかわらず、参加してしまう。 自分の運命に従って、思う存分生きる、伝説の英雄となって生きる道を選び、、、 かたや、トロイ戦役の10年とさまよい続けた帰路10年のあわせて20年、家を不在にしたオデュッセウスは、頑なに家を守り続けた貞淑な妻ペネロペイア(ヨーロッパでは貞淑な妻の代名詞:ペネロペ)がいたからこそ、故郷に帰ろうとする意思が挫けなかったのだろう。 リアリストは家庭想いのやさしさの裏返しでもあるのだ。 だが、家族想いは、自分が不在の間、我が家で狼藉を働いていた輩の皆殺しにも繋がるのだが。。。 小さな目でみれば、ロマンチストに拠る政治は混乱を招くだけだが、大きな目で見れば、理想に近づけるのかもしれない。 ただ、ロマンチストでもリアリストによる政治でも、万人がハッピーエンドにはならないということは、ギリシャ神話の時代に生きた人々も、知っていたみたいだ。 現代人は知らないみたいだけど。 さすが、2000年以上の時を経て、尚、評価される文学(っていうのだろうか?)だけある。 さて、アレクサンダー大王、アーサー王、将軍ハンニバルの共通点は? その前に、トランプの各スートのK(キング)のモデルだが、、、 スペード:ダビデ王(古代イスラエル国王) ハート:カール大帝(フランク国王) ダイヤ:カエサル(シーザー、古代ローマの皇帝) クラブ:アレキサンダー大王(マケドニア国王 と言うことらしい。 ただ、クラブのKは、諸説があり、マケドニア王アレクサンダー大王(Alexandre)が、アーサー王、カルタゴ将軍ハンニバルだったこともあるのだとか。 (写真は、コリン・ファレルとアンジェリーナ・ジョリー主演の映画アレキサンダー。 この時代は鐙がなかったのだが、そのように撮影している。 エライ!) 答えは、トランプ、クラブのKのモデルになった英雄(王、将軍)でした。 ヨーロッパの庶民の間では、ダビデ王、カール大帝、カエサルが群を抜いているってことなのだろう。 アレキサンダー大王も有名だけど、アーサー王やハンニバル将軍と一緒くたにされちゃう評価なんだねぇ。。。。 カエサル萌ぇの私には、カエサルが入っているのは嬉しいけど、同じくらいアレキサンダー大王萌ぇの私には、ちょっと、不満。 でも、イタリアじゃ、言う事をきかない子供をビビらせるのに「ハンニバルがくるぞ」というらしいから、この辺からわかる事は、狭い地域で、強烈なのがハンニバルって見方も出来そう。 比べて、カエサルは、広く浅く?って感じ?でも、広くってのも大事なんだよねぇ!! 日本で、トランプのK4人を選ぶとしたら?? スペード:神武天皇 ハート:聖徳太子 ダイヤ:源頼朝 クラブ:織田信長 かなぁ? クラブのKは、他に豊臣秀吉、徳川家康、西郷隆盛、、、、あたり? ちなみに、、トランプのJ4人は、、、 スペード:オジェ・ル・ダノワ(カール大帝の騎士) ハート:ラ・イル(ジャンヌ・ダルクの戦友) ダイヤ:ヘクトル(トロイの王子) クラブ:ランスロット(アーサー王に仕えた円卓の騎士の一人) となっている。 私の知っているのは、トロイの王子ヘクトルだけだ。 私には無理。

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ハンニバル・レクター博士のモデルとなった実在のシリアルキラー4人!

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で、ローマの将軍が北アフリカに上陸、の率いる軍を破った戦い。 カルタゴのハンニバル軍はイタリアを転戦し、ローマをうかがう勢いであったが、、ローマの将軍は形勢逆転を狙い、カルタゴの虚を突いて北アフリカに上陸した。 急を聞いたハンニバルが本国に戻り、カルタゴ近郊のザマで相対した。 ここではスキピオがカルタゴ軍を挟撃することに成功し、ハンニバルは敗戦を認めて、カルタゴは降服した。 カルタゴは海外領土すべてを失い、賠償金などの支払いを約束、ハンニバルはしばらく将軍にとどまったが、結局カルタゴを離れる。 またその日時についても諸説あって定まっていない。 第2次ポエニ戦争の勝敗の帰趨を決した闘いであったことには間違いはない。 ハンニバルは4列の陣形をとった。 第1列は80頭の象を並べ、第2列に1万2千の様々な人種からなる傭兵、第3列にカルタゴの市民からなる兵士たち、第4列にハンニバル自身が指揮するイタリアでの戦争以来の古参兵であり、右翼にカルタゴ貴族の騎兵、左翼に北アフリカのカルタゴの隣国ヌミディアの騎兵を配置した。 対するスキピオは、重装歩兵を3列の市松模様の陣形に配した。 左翼にはローマ騎兵を、右翼にはローマに協力を申し出たマッシニッサが指揮するヌミディア人騎兵を配置した。 Episode 象部隊の空振り 戦端が開かれると、ハンニバルは象部隊を突撃させ、同時に騎兵隊に偽の撤退を命じ、ローマ軍の分散を図った。 ところが象部隊が突進していくと、ローマ軍は部隊と部隊の間に広いスペースを空けたので、敵兵のいないところに突き進むしかなかった。 一部の象は混乱して引き返し、味方に突っ込んでしまったのもいた。 カルタゴ軍第2列の傭兵はいきなりローマの歩兵と騎兵の攻撃を受ける形になり、戦いながら後退せざるを得なかったが、第3列のカルタゴ市民兵は徴兵されたばかりで訓練不足だったため、ローマ兵に立ちむかおうとしない。 裏切られたと思った傭兵たちはカルタゴ兵にも斬りかかった。 戦闘はハンニバルの本陣、第4列に及び、カルタゴ軍は必死に持ちこたえた。 一時は形勢を盛り返したが、そのときカルタゴ騎兵を追撃していたローマとマッシニッサの騎兵が戻ってきて、カルタゴ軍の背後を突いた。 これで形勢はローマ軍有利に展開し、ついにカルタゴ軍はほとんど全滅し、ハンニバルはかろうじて脱出した。 4万のカルタゴ兵のうち戦死は2万、残りは捕虜となった。 ローマ軍の勝利と講和条件 ザマの敗戦によってカルタゴはスキピオに講和を申し込んだ。 スキピオは、カルタゴがアフリカ以外の領土をすべて放棄すること、ヌミディアをマッシニッサ(ローマ軍に協力した)に譲渡すること、軍艦は10隻まで削減すること、賠償金は1万タレント(50年賦)とすること、カルタゴ貴族の若者100人を人質としてローマに送ること、カルタゴはアフリカ以外の所で戦争をすることはできず、アフリカでの戦争でもローマの許可が必要とすること、を条件としてカルタゴに突きつけた。 このきびしいスキピオの講和条件に対し、カルタゴの元老院(ローマに倣って元老院を置いていた)では激しい反対が起こったが、議場に現れたハンニバルが「この和平は受けるより他はない」と演説して反対の声を抑え、和平が成立した。 <以上、長谷川博隆『ハンニバル』1975 講談社学術文庫 などによって構成> ローマとの講和によってカルタゴはなおも存続できたが、ローマは過酷な講和条件の履行を迫り、カルタゴは次第に追いつめられてゆき、ついにとなり、その結果、前146年に滅亡する。

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