えん おう りゅう の ごう かく。 そうりゅう型潜水艦

四字熟語一覧表

えん おう りゅう の ごう かく

4代にわたって 三公 ( さんこう )を輩出した名門・ 汝南 ( じょなん ) 袁氏 ( えんし )の出身で、 袁紹 ( えんしょう )の 従弟 ( いとこ )。 董卓 ( とうたく )が権力を握ると、 南陽郡 ( なんようぐん )で挙兵して反 董卓 ( とうたく )連合に参加するが、やがて 袁紹 ( えんしょう )と対立する。 その後 揚州 ( ようしゅう )に勢力を拡大した 袁術 ( えんじゅつ )は、天子を 僭称 ( せんしょう )して国号を「 仲 ( ちゅう )」と 定 ( さだ )めるも、諸侯の反発を受け、 孫策 ( そんさく )が離反。 曹操 ( そうそう )に敗北した 袁術 ( えんじゅつ )は 袁紹 ( えんしょう )の元に身を寄せようとするが、その途中に発病して亡くなった。 董卓 ( とうたく )配下の 都尉 ( とい )。 董卓 ( とうたく )が朝廷で権力を握ると反 董卓 ( とうたく )連合が決起。 胡軫 ( こしん )に従って 陽人聚 ( ようじんしゅう )に侵出した 孫堅 ( そんけん )を迎撃に出るが、 胡軫 ( こしん )を嫌った 呂布 ( りょふ )が偽情報を流したため 胡軫 こしん軍は敗北。 混乱の中で 華雄 ( かゆう )は斬られ、 獄門 ( ごくもん )(さらし首)にかけられた。 『三国志演義』では、 鮑忠 ( ほうちゅう )、 祖茂 ( そも )、 兪渉 ( ゆしょう )、 潘鳳 ( はんほう )を次々に討ち取る活躍を見せるが、その後 関羽 ( かんう )に瞬殺され、 関羽 ( かんう )の強さを強調する役目を 担 ( にな )う。 解県 ( かいけん )で暴利を貪る塩商人を殺して 幽州 ( ゆうしゅう )に逃げてきたところで 劉備 ( りゅうび )・ 張飛 ( ちょうひ )と出会い、 劉備 ( りゅうび )に仕えて挙兵した。 曹操 ( そうそう )に捕らえられた際は、厚遇されても 劉備 ( りゅうび )への忠誠を忘れず、 曹操 ( そうそう )の敵であった 袁紹 ( えんしょう )配下の猛将、 顔良 ( がんりょう )を討って恩を返してから 曹操 ( そうそう )のもとを去った。 劉備 ( りゅうび )が蜀の地を得ると 荊州 ( けいしゅう )を任されるが、傲慢で敵をあなどる性格が災いし、魏を攻めている最中、呉に背後を突かれて敗死した。 朝廷の実権を握った 董卓 ( とうたく )により 冀州牧 ( きしゅうぼく )に任命されるが、その後反 董卓 ( とうたく )連合に参加する。 董卓 ( とうたく )が即位させた 献帝 ( けんてい )を認めず、 袁紹 ( えんしょう )と共に 幽州牧 ( ゆうしゅうぼく )・ 劉虞 ( りゅうぐ )を天子に 擁立 ( ようりつ )しようとしたが、 劉虞 ( りゅうぐ )本人の反対により失敗した。 公孫瓚 ( こうそんさん )が 冀州 ( きしゅう )にに侵攻すると、保身のために 袁紹 ( えんしょう )に 冀州 ( きしゅう )を 譲 ( ゆず )るが、すべての権力を 剥奪 ( はくだつ )されてしまう。 その後、 陳留太守 ( ちんりゅうたいしゅ )・ 張邈 ( ちょうばく )の元に身を寄せるが、 袁紹 ( えんしょう )に命を狙われていると思い込み、自害してしまった。 諱 ( いみな )は 劉協 ( りゅうきょう )。 霊帝 ( れいてい )の次子で 少帝 ( しょうてい )の 異母弟 ( いぼてい )にあたる。 母の 王美人 ( おうびじん )は、 劉協 ( りゅうきょう )を生むと 何皇后 ( かこうごう )の嫉妬により毒殺された。 霊帝 ( れいてい )の死後、朝廷で権力を握った 董卓 ( とうたく )に 擁立 ( ようりつ )されて天子に即位する。 その後、 董卓 ( とうたく )は 長安 ( ちょうあん )への 遷都 ( せんと )を強行し、 長安 ( ちょうあん )を脱出した 献帝 ( けんてい )は、 曹操 ( そうそう )に保護されて都を 豫州 ( よしゅう )・ 潁川郡 ( えいせんぐん )・ 許県 ( きょけん )に移した。 220年、 曹操 ( そうそう )の跡を継いだ 曹丕 ( そうひ )に帝位を 禅譲 ( ぜんじょう )し、400年に渡る漢王朝はその幕を閉じた。 皇甫規 ( こうほき )・ 威明 ( いめい ) 涼州 ( りょうしゅう )・ 安定郡 ( あんていぐん )・ 朝那県 ( ちょうなけん )の人。 祖父は 度遼将軍 ( とりょうしょうぐん )、父は 扶風都尉 ( ふふうとい )を務めた名門の出身で、自身も異民族との戦いで数々の功績をあげた。 宦官 ( かんがん )と対立し、 党錮 ( とうこ )の禁の際には 自 ( みずか )ら 党人 ( とうじん )であると名乗り出たが、 罷免 ( ひめん )されることはなくそのまま 用 ( もち )いられる。 皇甫規 ( こうほき )が亡くなると、若く美しい 皇甫規 ( こうほき )の妻を 妾 ( めかけ )にしようと 董卓 ( とうたく )が 迫 ( せま )ったが、 毅然 ( きぜん )として断ったため殴り殺された。 胡広 ( ここう )・ 伯始 ( はくし ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南郡 ( なんぐん )・ 華容国 ( かようこく )の人。 外戚 ( がいせき )・ 梁冀 ( りょうき )の専横を止めず、 中常侍 ( ちゅうじょうじ )の 丁粛 ( ていしゅく )と婚姻関係を結ぶなど、 外戚 ( がいせき )や 宦官 ( かんがん )と共存する 老獪 ( ろうかい )な生き方を貫き、 安帝 ( あんてい )、 順帝 ( じゅんてい )、 沖帝 ( ちゅうてい )、 質帝 ( しつてい )、 桓帝 ( かんてい )、 霊帝 ( れいてい )の6代に仕えて重職を担った。 また、 漢 ( かん )の制度をまとめた 『 漢制度 ( かんせいど )』を遺し、 蔡邕 ( さいよう )に大きな影響を与えた。 さ 父の 周異 ( しゅうい )は 洛陽令 ( らくようれい )、父の 従兄弟 ( いとこ )・ 周景 ( しゅうけい )とその子・ 周忠 ( しゅうちゅう )は共に 太尉 ( たいい )を 務 ( つと )めた名門の出身。 孫堅 ( そんけん )が反 董卓 ( とうたく )連合に参加した際、 舒県 ( じょけん )に移住してきた 孫策 ( そんさく )と親交を結んだ。 孫策 ( そんさく )・ 孫権 ( そんけん )の2代に仕え、 曹操 ( そうそう )の南下に際しては 魯粛 ( ろしゅく )と共に徹底交戦を主張して「赤壁の戦い」を勝利に導く。 孫権 ( そんけん )に 益州 ( えきしゅう )を得て 曹操 ( そうそう )と対抗することを進言し、出陣の準備に向かう途上、 病 ( やまい )により36歳の若さで 亡 ( な )くなった。 朱穆 ( しゅぼく )・ 公叔 ( こうしゅく ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )・ 宛県 ( えんけん )の人。 朱暉 ( しゅき )の孫。 大将軍 ( だいしょうぐん )・ 梁冀 ( りょうき )の 故吏 ( こり )で、たびたび 梁冀 ( りょうき )の横暴を 諫 ( いさ )めた。 冀州刺史 ( きしゅうしし )に就任すると 宦官 ( かんがん )の不正を厳しく取り締まったが、その 苛烈 ( かれつ )さが 桓帝 ( かんてい )の怒りに触れて 罷免 ( ひめん )される。 その後 尚書令 ( しょうしょれい )に任命されたが、 宦官 ( かんがん )に対する厳しさは変わらなかった。 死後、 蔡邕 ( さいよう )によって「 文忠 ( ぶんちゅう )先生」と 諡 ( おくりな )される。 幼い頃に父を 亡 ( な )くすと 従父 ( おじ )の 諸葛玄 ( しょかつげん )と共に 劉表 ( りゅうひょう )を頼って 荊州 ( けいしゅう )に移住し、 崔州平 ( さいしゅうへい )や 徐庶 ( じょしょ )らと親交を持って農耕生活を送っていた。 「 三顧 ( さんこ )の礼」をもって 劉備 ( りゅうび )の 軍師 ( ぐんし )に 迎 ( むか )えられると、 蜀漢 ( しょくかん )の建国に多大な貢献をする。 劉備 ( りゅうび )が 崩御 ( ほうぎょ )すると 丞相 ( じょうしょう )として 劉禅 ( りゅうぜん )をよく補佐し、 国是 ( こくぜ )である北伐を行うが、5度目の出陣中に 病 ( やまい )に倒れて陣中で 没 ( ぼっ )した。 曹嵩 ( そうすう )・ 巨高 ( きょこう ) 豫州 ( よしゅう )・ 沛国 ( はいこく )・ 譙県 ( しょうけん )の人。 曹操 ( そうそう )の父。 宦官 ( かんがん )・ 曹騰 ( そうとう )の養子となって 司隷校尉 ( しれいこうい )、 大鴻臚 ( だいこうろ )、 大司農 ( だいしのう )を歴任し、実に1億銭を 霊帝 ( れいてい )に献上して 太尉 ( たいい )に就任する。 晩年は戦乱を 避 ( さ )けて 徐州 ( じょしゅう )・ 琅邪国 ( ろうやこく )に避難していたが、 兗州 ( えんしゅう )に地盤を得た 曹操 ( そうそう )の元に向かう途中、 陶謙 ( とうけん )の兵に襲われて殺害された。 曹節 ( そうせつ )・ 漢豊 ( かんほう ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )・ 新野県 ( しんやけん )の人。 宦官 ( かんがん )。 順帝 ( じゅんてい )の時に 西園騎 ( せいえんき )から 小黄門 ( しょうこうもん )となり、 桓帝 ( かんてい )が崩御すると 中黄門 ( ちゅうこうもん )、 虎賁 ( こほん )、 羽林 ( うりん )1,000人を 率 ( ひき )いて 劉宏 ( りゅうこう )( 霊帝 ( れいてい ))を迎える。 竇武 ( とうぶ )・ 陳蕃 ( ちんはん )らの 宦官 ( かんがん )一掃計画を察知すると逆に彼らを 誅殺 ( ちゅうさつ )し、政治の実権を握って権勢を 誇 ( ほこ )った。 孫夏 ( そんか ) 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )で蜂起した黄巾賊・ 張曼成 ( ちょうまんせい )の将。 『 三国志演義 ( さんごくしえんぎ )』では 孫仲 ( そんちゅう )として登場する。 張曼成 ( ちょうまんせい )、 趙弘 ( ちょうこう )の後を 継 ( つ )いだ 韓忠 ( かんちゅう )は城を捨てて撤退。 朱儁 ( しゅしゅん )の攻撃を受けて降伏するが、 南陽太守 ( なんようたいしゅ )・ 秦頡 ( しんけつ )が降伏した 韓忠 ( かんちゅう )を殺害したため、 孫夏 ( そんか )は兵をまとめて再度 宛県城 ( えんけんじょう )に 籠 ( こ )もった。 その後、 孫堅 ( そんけん )の攻撃に耐えきれず城を捨てて逃亡するが、 荊州 ( けいしゅう )・ 南陽郡 ( なんようぐん )・ 西鄂県 ( せいがくけん )の 精山 ( せいざん )で討ち取られる。 17歳の時に 銭唐県 ( せんとうけん )で海賊退治をしたことで名を挙げ、その後は 会稽郡 ( かいけいぐん )で起こった 許昌 ( きょしょう )の乱をはじめとする各地の反乱の鎮圧で活躍した。 また、 袁紹 ( えんしょう )を盟主とする反 董卓 ( とうたく )連合に応じて挙兵し、 袁術 ( えんじゅつ )の下で積極的に戦って 華雄 ( かゆう )を討ち取った。 袁紹 ( えんしょう )と 袁術 ( えんじゅつ )の対立が深まると、 袁術 ( えんじゅつ )の命によって 袁紹 ( えんしょう )派の 劉表 ( りゅうひょう )を攻めるが、 黄祖 ( こうそ )の部下が放った矢によって命を落とした。 檀石槐 ( たんせきかい ) 鮮卑 ( せんぴ )族の 大人 ( たいじん )。 父・ 投鹿侯 ( とうろくこう )が3年間 南匈奴 ( みなみきょうど )に従軍している間に生まれる。 不義の子として殺されかけるが、母の「口に入った 雹 ( ひょう )を飲み込んだところ 身籠 ( みご )もったので、きっと非凡な人物になるでしょう」という助命嘆願によって、母は離縁され 檀石槐 ( たんせきかい )の命は助けられた。 その後、勇健で知略に富んだ 檀石槐 ( たんせきかい )は部族内で 推 ( お )されて 大人 ( たいじん )となる。 初めて 鮮卑 ( せんぴ )族を統一し、 扶余 ( ふよ )・ 丁零 ( ていれい )・ 烏孫 ( うそん )を 討 ( う )って内外モンゴル一帯を支配すると、たびたび 後漢 ( ごかん )領内に侵入・略奪をくり返し、討伐軍を 退 ( しりぞ )けた。 ち 种暠 ( ちゅうこう )・ 景伯 ( けいはく ) 司隷 ( しれい )・ 河南尹 ( かなんいん )・ 洛陽県 ( らくようけん )の人。 益州刺史 ( えきしゅうしし )を務めていた時、 蜀郡太守 ( しょくぐんたいしゅ )が 曹騰 ( そうとう )に私的に送った書簡を手に入れ 蜀郡太守 ( しょくぐんたいしゅ )と 曹騰 ( そうとう )を 弾劾 ( だんがい )したが、逆に 曹騰 ( そうとう )はこの行為を 褒 ( ほ )め 称 ( たた )え、その後も 种暠 ( ちゅうこう )を厚く遇した。 後 ( のち )に 司徒 ( しと )となった 种暠 ( ちゅうこう )は「今の自分があるのは 曹常侍 ( そうじょうじ )( 曹騰 ( そうとう ))のお陰だ」と語った。 はじめ 公孫瓚 ( こうそんさん )に仕えたが、 後 ( のち )に 劉備 ( りゅうび )に仕える。 長坂 ( ちょうはん )の戦いでは、 曹操 ( そうそう )軍の激しい追撃の中 劉備 ( りゅうび )の妻子を守りきった。 また、 定軍山 ( ていぐんざん )の戦いではみごとな 空城 ( くうじょう )の計によって敵を退却させ、 劉備 ( りゅうび )に「 子龍 ( しりょう )は一身すべてこれ肝なり」と 称賛 ( しょうさん )される。 劉備 ( りゅうび ) 亡 ( な )き後も冷静な判断と実直な人柄で 劉禅 ( りゅうぜん )を支え、死後に 順平侯 ( じゅんぺいこう )の 諡号 ( しごう )を贈られた。 劉備 ( りゅうび )の挙兵以来、 関羽 ( かんう )と共に兄弟のように仕えた 万夫不当 ( ばんぷふとう )の豪傑。 長坂 ( ちょうはん )の戦いでは、 曹操 ( そうそう )軍から逃げる 劉備 ( りゅうび )を守るために 殿軍 ( しんがり )を 務 ( つと )め、一喝して 曹操 ( そうそう )軍を退けるなど、その勇名は敵味方に 轟 ( とどろ )いていた。 目上の者は 敬 ( うやま )うが、部下に対する苛烈な刑罰を改めることができず、 関羽 ( かんう )の 弔 ( とむら )い合戦の前に恨みを抱いていた部下の 范彊 ( はんきょう )・ 張達 ( ちょうたつ )に殺害された。 『三国志演義』での 字 ( あざな )は 翼徳 ( よくとく )。 太平道 ( たいへいどう )の開祖・ 張角 ( ちょうかく )の弟。 張梁 ( ちょうりょう )の兄。 張角 ( ちょうかく )が黄巾の乱を起こすと 地公将軍 ( ちこうしょうぐん )と称してこれに従った。 朝廷より討伐軍が派遣されると、病床の 張角 ( ちょうかく )の代わりに指揮をとった。 兄の 張角 ( ちょうかく )が病死し弟の 張梁 ( ちょうりょう )が戦死する中、 冀州 ( きしゅう )・ 鉅鹿郡 ( きょろくぐん )の 下曲陽 ( かきょくよう )に籠城して最後まで抵抗したが、 皇甫嵩 ( こうほすう )率いる討伐軍に敗れて討たれた。 『三国志演義』では妖術を使って官軍を苦しめた。 陳温 ( ちんおん )・ 元悌 ( げんてい ) 豫州 ( よしゅう )・ 汝南郡 ( じょなんぐん )の人。 初平 ( しょへい )元年(190年)当時の 揚州刺史 ( ようしゅうしし )。 董卓 ( とうたく )が支配する 洛陽 ( らくよう )( 雒陽 ( らくよう ))から逃亡してきた 許靖 ( きょせい )を 匿 ( かくま )った他、 曹洪 ( そうこう )と親しく、 董卓 ( とうたく )に敗れた 曹操 ( そうそう )に 廬江郡 ( ろこうぐん )の精鋭武装兵・2,000人を援助した。 その死については、「 初平 ( しょへい )3年(192年)冬に病死」とする記録と、「 初平 ( しょへい )4年(193年)3月に 袁術 ( えんじゅつ )によって殺害された」とする記録がある。 杜喬 ( ときょう )・ 叔栄 ( しゅくえい ) 司隷 ( しれい )・ 河内郡 ( かだいぐん )・ 林慮県 ( りんりょけん )の人。 順帝 ( じゅんてい )に 泰山太守 ( たいざんたいしゅ )の 李固 ( りこ )を推挙し、 外戚 ( がいせき )・ 梁冀 ( りょうき )と関係のある地方官を次々に 弾劾 ( だんがい )した。 質帝 ( しつてい )が 梁冀 ( りょうき )に毒殺されると 李固 ( りこ )と共に 清河王 ( せいがおう )・ 劉蒜 ( りゅうさん )を 擁立 ( ようりつ )しようとするが、 蠡吾侯 ( れいごこう )・ 劉志 ( りゅうし )(後の 桓帝 ( かんてい ))を 擁立 ( ようりつ )しようとする 梁冀 ( りょうき )に敗れて殺害された。 な 『三国志演義』のみに登場する仙人。 張角 ( ちょうかく )に 『 太平要術 ( たいへいようじゅつ )の 書 ( しょ )』を 授 ( さず )ける。 「これを使って民を助けよ。 ただし、悪しきことに使えば天罰が下る」と忠告するも、 張角 ( ちょうかく )は 『 太平要術 ( たいへいようじゅつ )の 書 ( しょ )』で習得した妖術を頼りに 太平道 ( たいへいどう )を開き、黄巾の乱を引き起こした。 南華老仙 ( なんかろうせん )は、戦国時代の思想家である 荘周 ( そうしゅう )( 荘子 ( そうし ))が仙人になった姿と考えられており、青い目を持つ子供のような顔をした老人として描かれている。 李固 ( りこ )・ 子堅 ( しけん ) 益州 ( えきしゅう )・ 漢中郡 ( かんちゅうぐん )・ 南鄭県 ( なんていけん )の人。 大将軍 ( たいしょうぐん )・ 梁商 ( りょうしょう )に 辟召 ( へきしょう )されるが、 梁商 ( りょうしょう )の子・ 梁冀 ( りょうき )と対立した。 後に 太尉 ( たいい )に昇進する。 質帝 ( しつてい )が 梁冀 ( りょうき )に毒殺されると、 蠡吾侯 ( れいごこう )・ 劉志 ( りゅうし )(後の 桓帝 ( かんてい ))を 擁立 ( ようりつ )しようとする 梁冀 ( りょうき )に対抗して 杜喬 ( ときょう )と共に 清河王 ( せいがおう )・ 劉蒜 ( りゅうさん )を 擁立 ( ようりつ )するが、 冤罪 ( えんざい )によって投獄・殺害された。 前漢の 魯恭王 ( ろきょうおう )であった 劉余 ( りゅうよ )( 景帝 ( けいてい )の第4子)の 末裔 ( まつえい )に当たる。 霊帝 ( れいてい )の時代、政治の腐敗や黄巾の乱の影響によって 刺史 ( しし )や 太守 ( たいしゅ )の支配力が弱体化していることを理由に、軍権と民政権を兼ねた「 州牧 ( しゅうぼく )」の復活を提案し、みずから 益州 ( えきしゅう )の 牧 ( ぼく )となる。 劉璋 ( りゅうしょう )の父。 『三国志演義』では、黄巾の乱の時に 幽州太守 ( ゆうしゅうたいしゅ )として登場するが、正史にその記録はなく、後に 益州 ( えきしゅう )を治めることになる 劉備 ( りゅうび )との因果関係を強める演出である。 劉悝 ( りゅうかい ) 桓帝 ( かんてい )の弟。 勃海王 ( ぼっかいおう )。 165年に反乱を計画した罪で 廮陶王 ( えいとうおう )に格下げされる。 中常侍 ( ちゅうじょうじ )の 王甫 ( おうほ )に 勃海王 ( ぼっかいおう )への復帰工作を依頼していたが、 桓帝 ( かんてい )の 遺詔 ( ゆいしょう )によって復帰が 叶 ( かな )うと( 王甫 ( おうほ )のお陰ではないからと) 王甫 ( おうほ )に礼金を支払わなかった。 これを 恨 ( うら )みに思った 王甫 ( おうほ )は「 劉悝 ( りゅうかい )に帝位 簒奪 ( さんだつ )の 企 ( たくら )みあり」と 誣告 ( ぶこく )し、追い 詰 ( つ )められた 劉悝 ( りゅうかい )は自害に追い込まれる。 東海恭王 ( とうかいきょうおう )・ 劉彊 ( りゅうきょう )[ 後漢 ( ごかん )の初代皇帝・ 光武帝 ( こうぶてい ) ( 劉秀 ( りゅうしゅう ))の長子]の 末裔 ( まつえい )に当たる。 清貧で知られ、 幽州牧 ( ゆうしゅうぼく )に任命されて「 張純 ( ちょうじゅん )の乱」を平定。 反 董卓 ( とうたく )連合が決起すると、 袁紹 ( えんしょう )らに 天子 ( てんし )に 推戴 ( すいたい )されるが、これを拒絶した。 その後、暴走する 公孫瓚 ( こうそんさん )討伐の軍を起こすが、敗れて捕らえられ、帝号を 僭称 ( せんしょう )しようとした罪で処刑された。 前漢の 景帝 ( けいてい )の第4子・ 魯恭王 ( ろきょうおう )・ 劉余 ( りゅうよ )の第6子、 郁桹侯 ( いくろうこう )・ 劉驕 ( りゅうきょう )の子孫。 若い頃から清流派の党人として名声を得る。 孫堅 ( そんけん )によって 荊州刺史 ( けいしゅうしし )・ 王叡 ( おうえい )が殺害されると、その後任に任命される。 また、 劉表 ( りゅうひょう )は学問を 奨励 ( しょうれい )したため、戦乱を逃れた名士や学者の多くが 荊州 ( けいしゅう )に移住した。 河北 ( かほく )を平定した 曹操 ( そうそう )が南下の姿勢を見せると、領土を失った 劉備 ( りゅうび )を受け入れて最前線の 新野県 ( しんやけん )を守らせるが、間もなく亡くなった。 前漢の 景帝 ( けいてい )の第9子、 中山靖王 ( ちゅうざんせいおう )・ 劉勝 ( りゅうしょう )の庶子、 劉貞 ( りゅうてい )の末裔というが、定かではない。 黄巾の乱の時に挙兵。 以来各地を転戦するも確たる地盤を持てずにいたが、 軍師 ( ぐんし )・ 諸葛亮 ( しょかつりょう )を迎えると「天下三分の計」に従って 益州 ( えきしゅう )の地に地盤を築いた。 献帝 ( けんてい )が 曹魏 ( そうぎ )に 禅譲 ( ぜんじょう )すると、皇帝に即位して「 蜀漢 ( しょくかん )」を建国する。 配下の 関羽 ( かんう )の 仇討 ( かたきう )ちに 呉 ( ご )に攻め込むが、 陸遜 ( りくそん )の火計に敗退し、病を患って 白帝城 ( はくていじょう )で 諸葛亮 ( しょかつりょう )に後事を託して没する。 梁冀 ( りょうき )・ 伯卓 ( はくたく ) 涼州 ( りょうしゅう )・ 安定郡 ( あんていぐん )・ 烏枝県 ( うしけん )の人。 後漢 ( ごかん )第8代皇帝・ 順帝 ( じゅんてい )の 皇后 ( こうごう )・ 梁妠 ( りょうどう )の兄。 外戚 ( がいせき )として権力を握り、 順帝 ( じゅんてい )、 冲帝 ( ちゅうてい )、 質帝 ( しつてい )、 桓帝 ( かんてい )の4代に渡って国政を私物化した。 成人した 桓帝 ( かんてい )が 宦官 ( かんがん )・ 単超 ( ぜんちょう )らの助力を得て 梁冀 ( りょうき )の排斥に成功したことから、一層 宦官 ( かんがん )への権力集中が進んだ。 丁原 ( ていげん )に仕えていたが、 董卓 ( とうたく )が 洛陽 ( らくよう )に入ると 丁原 ( ていげん )を殺して 董卓 ( とうたく )に従い、父子の 契 ( ちぎ )りを結ぶ。 「人中に 呂布 ( りょふ )あり、馬中に 赤兎 ( せきと )あり」と賞された万夫不当の豪傑。 その後、 司徒 ( しと )・ 王允 ( おういん )らと結んで 董卓 ( とうたく )を殺害するが、 李傕 ( りかく )・ 郭汜 ( かくし )に敗れて各地を放浪、自分を受け入れてくれた 劉備 ( りゅうび )が治める 徐州 ( じょしゅう )を奪う。 その後 劉備 ( りゅうび )と結んだ 曹操 ( そうそう )に包囲されると配下の裏切りを受けて降伏するが、命 乞 ( ご )いも 空 ( むな )しく 劉備 ( りゅうび )の進言によって処刑された。 鄭玄 ( じょうげん )とともに 馬融 ( ばゆう )に師事して儒学を学び、故郷 幽州 ( ゆうしゅう )・ 涿郡 ( たくぐん )・ 涿県 ( たくけん )で近隣の子弟に学問を教えていた。 門下には 劉備 ( りゅうび )や 公孫瓚 ( こうそんさん )がいる。 黄巾の乱が起こると 北中郎将 ( ほくちゅうろうしょう )に任命されて討伐軍の一翼を担ったが、軍の監察に来た 左豊 ( さほう )に賄賂を求められ、これを断ったために罪を着せられて免官された。 黄巾の乱が終結すると、 皇甫嵩 ( こうほすう )が 冤罪 ( えんざい )を証明したために復職したが、 董卓 ( とうたく )の 献帝 ( けんてい ) 擁立 ( ようりつ )に反対したために再び免官された。 晩年は 袁紹 ( えんしょう )の 軍師 ( ぐんし )となって病死した。

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いろいろな漢字の「解字」「凄い名字」「難読文字」(83)

えん おう りゅう の ごう かく

日本の寺院一覧(にほんのじいんいちらん)は、日本にある主要なの一覧である。 近世以前に成立した仏教各宗派の総本山・大本山級の寺院、日本の歴史、仏教史、文化史、美術史上重要な寺院、などの重要なを有する寺院、広く信仰を集め、日本の文化に重大な影響を与えた寺院などを取り上げている。 目次 あ [ ]• (あきしのでら)(奈良県奈良市)• (あすかでら)(安居院、奈良県高市郡明日香村)• (あなおじ)(京都府亀岡市)• (あべもんじゅいん)(奈良県桜井市)• (あんこくじ)(岐阜県高山市)• (あんらくじ)(長野県上田市)• (あんらくじ)(徳島県板野郡上板町)• (あんらくじ)(高知県高知市) い [ ]• (いけがみほんもんじ)(東京都大田区)• (いしてじ)(愛媛県松山市)• (いしやまでら)(滋賀県大津市)• (いちじょうじ)(兵庫県加西市)• (いちばたじ)(島根県出雲市小境町)• (いやだにじ)(香川県三豊市)• (いよこくぶんじ)(愛媛県今治市) う [ ] え [ ]• (えいげんじ)(滋賀県東近江市)• (えいざんじ)(奈良県五條市)• (えいふくじ)(上之太子、大阪府南河内郡太子町)• (えいへいじ)(福井県永平寺町)• (えいほうじ)(岐阜県多治見市)• (えこういん)(東京都墨田区)• (えにちじ)(福島県耶麻郡磐梯町)• (えりんじ)(山梨県甲州市)• (えんがくじ)()• (えんきょうじ)(兵庫県姫路市)• (えんじょうじ)(奈良県奈良市)• (えんつうじ)(京都市左京区)• (えんりゃくじ)(滋賀県大津市) お [ ]• (宝生院、おおすかんのん)(愛知県名古屋市)• (おおみねさんじ)(奈良県吉野郡天川村)• (おおやじ)(栃木県宇都宮市)• (おおやまでら)()• (おかでら)(奈良県高市郡明日香村)• (おたぎねんぶつじ)(京都府京都市)• (おびとけでら)(奈良県奈良市)• (おんじょうじ)(三井寺、滋賀県大津市)• (おんせんじ)(兵庫県豊岡市) か [ ]• (かいじゅうせんじ)(京都府木津川市)• (かいぜんじ)(長野県飯田市)• (かいりゅうおうじ)(奈良県奈良市)• (かがくじ)(兵庫県赤穂市)• (かくおんじ)()• (がくえんじ)(島根県出雲市)• (かくりんじ)(兵庫県加古川市)• (かつおうじ)(大阪府箕面市)• (かじゅうじ)(京都市山科区)• (かにまんじ)(京都府木津川市)• (かぶさんじ)(大阪府高槻市)• (がやいん)(兵庫県三木市)• (かわらでら)(奈良県高市郡明日香村)• (かんえいじ)(東京都台東区)• (かんぎいん)(埼玉県熊谷市)• (がんごうじ)(奈良県奈良市)• (かんしょういん)(長野県松川村)• (がんじょうじゅいん)(静岡県伊豆の国市)• (かんしんじ)(大阪府河内長野市)• (かんぜおんじ)(福岡県太宰府市)• (がんせんじ)(京都府木津川市)• (がんとくじ)(京都府京都市西京区)• (かんのうじ)(兵庫県西宮市)• (かんのんじ)(京都府京田辺市)• (かんのんしょうじ)(滋賀県近江八幡市) き [ ]• (きこうじ)(奈良県奈良市)• (きたいん)(埼玉県川越市)• (きちでんじ)(奈良県斑鳩町)• (きのもとじぞういん)(浄信寺、滋賀県長浜市)• (きみいでら)(護国院、和歌山県和歌山市)• (きょうおうごこくじ)(東寺、京都市南区)• (ぎょうがんじ)(革堂、京都市中京区)• (きよしこうじん せいちょうじ)(兵庫県宝塚市)• (きよみずでら)(京都市東山区)• (きよみずでら)(岩手県花巻市)• (きよみずでら)(長野県山形村)• (きよみずでら)(兵庫県加東市)• (きよみずでら)(島根県安来市清水町)• (きんぷせんじ)(奈良県吉野郡吉野町) く [ ]• (くおんじ)(山梨県南巨摩郡身延町)• (くだらじ)(奈良県広陵町)• (くらまでら)(京都市左京区) け [ ]• (けいしゅんいん)(京都市右京区)• (けごんじ)(岐阜県揖斐郡揖斐川町)• (げっしょうじ)(島根県松江市外中原町)• (けんちょうじ)()• (けんにんじ)(京都市東山区) こ [ ]• (こうおんじ)(大阪府貝塚市)• (こうがくじ)(山梨県甲州市)• (こうげんじ)(滋賀県長浜市)• (こうざんじ)(京都市右京区)• (こうざんじ)(和歌山県紀の川市)• (こうざんじ)(山口県下関市)• (こうしょうじ)(京都市下京区)• (こうしょうじ)(尾張高野、名古屋市昭和区)• (こうぜんじ)(兵庫県丹波市)• (こうぜんじ)(長野県駒ケ根市)• (こうだいじ)(京都市東山区)• (こうとういん)(京都市北区)• (こうとくいん)(、)• (こうふくじ)(奈良県奈良市)• (こうみょうじ)(京都府綾部市)• (こうみょうじ)(兵庫県加東市)• (こうみょうじ)()• (こうみょうじ)(京都府長岡京市)• (こうりゅうじ)(京都市右京区)• (こかわでら)(和歌山県紀の川市)• (ごこくじ)(東京都文京区)• (こほうあん)(京都府京都市北区)• (こんかいこうみょうじ)(京都市左京区)• (こんちいん)(京都市左京区)• (こんごうざんまいいん)(和歌山県伊都郡高野町)• (こんごうじ)(大阪府河内長野市)• (こんごうしょうじ)(三重県伊勢市)• (こんごうぶじ)(和歌山県伊都郡高野町)• (こんごうりんじ)(滋賀県愛知郡愛荘町)• (こんりんじ)(高知県安芸郡馬路村)• (こんれんじ)(愛知県西尾市) さ [ ]• (さいがんじ)(京都市伏見区)• (さいきょうじ)(滋賀県大津市)• (さいこうじ)(長野県長野市)• (さいこうじ) (福岡市早良区)• (さいじょういなり)(岡山県岡山市)• (さいだいじ)(奈良県奈良市)• (さいふくじ)(福井県敦賀市)• (さいほうじ)(京都市西京区)• (さいみょうじ)(滋賀県甲良町)• (さんじゅうさんげんどう)(蓮華王院本堂、京都市東山区)• (さんぜんいん)(京都市左京区)• (さんぶつじ)(鳥取県東伯郡三朝町)• (さんぼういん)(京都市伏見区)• し [ ]• (じおんじ)(山形県寒河江市)• (じこういん)(奈良県大和郡山市)• (じげんいん)(大阪府泉佐野市)• (じっそういん)(京都市左京区)• (してんのうじ)(大阪市天王寺区)• (しばまたたいしゃくてん)(題経寺、東京都葛飾区)• (じゃっこういん)(京都市左京区)• (しゅうおんあん)(一休寺、京都府京田辺市)• (じゅうりんいん)(奈良県奈良市)• (しゅぜんじ)(静岡県伊豆市)• (じゅせんじ)(千葉県茂原市)• (しゅとくじ)(茨城県つくば市)• (じゅふくじ)()• (しょうごいん)(京都市左京区)• (しょうこくじ)(京都市上京区)• (しょうじゅらいごうじ)(滋賀県大津市)• (じょうしょうじ)(長野県大桑村)• (しょうじょうけいん)(京都市上京区)• (しょうじょうこうじ)()• (しょうじょうじ)(福島県河沼郡湯川村)• (じょうちじ)()• (じょうどじ)(横須賀市逸見)• (じょうどじ)(兵庫県小野市)• (しんちょうじ)(東京都立川市)• (しょうふくじ)(東京都東村山市)• (しょうぼうじ)(岩手県奥州市)• (じょうぼんれんだいじ)(京都市北区)• (しょうみょうじ)()• (じょうらくじ)(滋賀県湖南市)• (しょうりんじ)(奈良県桜井市)• (しょうれんいん)(京都市東山区)• (しょうれんじ)()• (じょうるりじ)(京都府木津川市)• (じょうろくじ)(徳島県徳島市)• (しらみずあみだどう)(福島県いわき市)• (じんごじ)(京都市右京区)• (しんしょうごくらくじ)(真如堂、京都市左京区)• (じんだいじ)(東京都調布市)• (しんやくしじ)(奈良県奈良市) す [ ]• (ずいがんじ)(宮城県宮城郡松島町)• (ずいがんじ)(兵庫県姫路市)• (ずいしんいん)(京都市山科区)• (ずいせんじ)()• (ずいほういん)(京都市北区)• (ずいりゅうじ)(富山県高岡市)• (すまでら)(福祥寺、兵庫県神戸市須磨区) せ [ ]• (せいがんじ)(栃木県宇都宮市)• (せいりゅうじ)(新潟県十日町市)• (せいがんとじ)(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)• (せいけんじ)(静岡市清水区)• (せいはくじ)(山梨県山梨市)• (せいりょうじ)(京都市右京区)• (せふくじ)(大阪府和泉市)• (せんがくじ)(東京都港区)• (せんこうじ)(奈良県平群町)• (ぜんこうじ)(長野県長野市)• (せんじゅいん)(島根県松江市石橋町)• (せんじゅじ)(三重県津市、栃木県芳賀郡二宮町)• (ぜんすいじ)(滋賀県湖南市)• (せんそうじ)(東京都台東区)• (ぜんつうじ)(香川県善通寺市)• (ぜんどうじ)(福岡県久留米市)• (せんにゅうじ)(京都市東山区)• (ぜんぷくいん)(和歌山県海南市)• (ぜんりゅうじ)(兵庫県加東市)• (ぜんりんじ)(永観堂、京都市左京区) そ [ ]• (そうじじ)(西新井大師、東京都足立区)• (そうじじ)(横浜市鶴見区)• (そうじじ)(大阪府茨木市)• (そうじじ)(和歌山県和歌山市)• (そうしゅうじ)(佐野厄除け大師、栃木県佐野市)• (ぞうじょうじ)(東京都港区)• (ぞうぜんじ)(静岡市葵区)• (そうふくじ)(長崎県長崎市) た [ ]• (だいあんじ)(奈良県奈良市)• (だいうんじ)(京都市左京区)• (だいおうじ)(栃木県大田原市)• (だいかくじ)(京都市右京区)• (たいがくじ)(愛知県春日井市)• (たいこうあん)(京都市東山区)• (だいごじ)(京都市伏見区)• (だいこくじ)(兵庫県丹波篠山市)• (たいさんじ)(神戸市西区)• (だいじじ)(栃木県栃木市)• (だいじゅじ)(愛知県岡崎市)• (だいしょういん)(山口県萩市)• (だいしょうじ)(岡山県美作市)• (たいしょうかんのんじ)(大阪市住吉区)• (だいじょうじ) (石川県金沢市)• (だいせいしょうぐんじ)(下之太子、大阪府八尾市)• (たいせきじ)(静岡県富士宮市)• (だいせんいん)(京都市北区)• (だいせんじ)(鳥取県西伯郡大山町)• (だいせんじ)(愛知県犬山市)• (だいぜんじ)(山梨県甲州市)• (たいぞういん)(京都市右京区)• (だいちゅうじ)(栃木県栃木市)• (だいつうじ)(長浜御坊、滋賀県長浜市)• (だいとくじ)(京都市北区)• (だいにちぼう)(山形県鶴岡市)• (だいふくでんじ)(三重県桑名市)• (だいねんぶつじ)(大阪市平野区)• (たいへいじ)(愛知県豊橋市)• (だいれんじ)(石川県金沢市野町)• (たいへいじ)(鹿児島県薩摩川内市)• (だいほうおんじ)(千本釈迦堂、京都市上京区)• (だいほうじ)(長野県青木村)• (たいまでら)(奈良県葛城市)• (たいゆうじ)(大阪市北区)• (たかおさんやくおういん)(東京都八王子市)• (たいりゅうじ)(神戸市中央区)• (だいりゅうじ)(福島県会津若松市)• (たきさんじ)(愛知県岡崎市)• (たちばなでら)(奈良県高市郡明日香村)• (だるまじ)(奈良県北葛城郡王寺町)• (たんじょうじ)(千葉県鴨川市) ち [ ]• (ちおんいん)(京都市東山区)• (ちおんじ)(百万遍、京都市左京区)• (ちおんじ)(京都府宮津市)• (ちくりんじ)(高知県高知市)• (ちしゃくいん)(京都市東山区)• (ちゅうぐうじ)(奈良県生駒郡斑鳩町)• (ちゅうぜんじ)(栃木県日光市)• (ちゅうそんじ)(岩手県西磐井郡平泉町)• (ちょうがくじ)(奈良県天理市)• (ちょうきゅうじ)(奈良県生駒市)• (ちょうきゅうじ)(滋賀県彦根市)• (ちょうけいじ)(大阪府泉南市)• (ちょうげんいん)(静岡市葵区沓谷)• (ちょうこうじ)(兵庫県加東市)• (ちょうごそんしじ)(奈良県生駒郡平群町)• (ちょうじゅじ)(滋賀県湖南市)• (ちょうしょうじ)(茨城県潮来市)• (ちょうほうじ)(和歌山県海南市)• (ちょうぼうじ)(六角堂、京都市中京区)• (ちょうめいじ)(滋賀県近江八幡市) つ [ ] て [ ]• (てっしんじ)(兵庫県神崎郡神河町)• (てんじゅあん)(京都市左京区)• (でんづういん)(東京都文京区)• (てんりゅうじ)(京都市右京区) と [ ]• (どうがくじ)(徳島県石井町)• (とうけいじ)()• (とうこうじ)(山口県萩市)• 東郷寺(とうごうじ)(東京都府中市)• (とうじ)(教王護国寺、京都市南区)• (とうじいん)(京都市右京区)• (どうじょうじ)(和歌山県日高郡日高川町)• (とうしょうだいじ)(奈良県奈良市)• (とうだいじ)(奈良県奈良市)• (とうふくじ)(京都市東山区)• (とうふくじ)(熊本県宇城市)• (どうみょうじ)(大阪府藤井寺市)• (とさこくぶんじ)(高知県南国市)• (とよかわいなり)(妙厳寺、愛知県豊川市)• (どうじゅじ)(岐阜県美濃市) な [ ]• (なかやまでら)(兵庫県宝塚市)• (なたでら)(石川県小松市)• (なりあいじ)(京都府宮津市)• (なんしゅうじ)(大阪府堺市)• (なんぜんいん)(京都市左京区)• (なんぜんじ)(京都市左京区) に [ ]• (にしほんがんじ)(浄土真宗本願寺派本願寺、京都市下京区)• (にしやまこうりゅうじ)(愛媛県西条市)• (にったいじ)(名古屋市千種区)• (にょいじ)(神戸市西区)• (にょいりんじ)(奈良県吉野郡吉野町)• (にょいりんじ)(千葉県茂原市)• (にんなじ)(京都市右京区) ぬ [ ] ね [ ]• (ねごろじ)(和歌山県岩出市) の [ ]• (のうふくじ)(神戸市兵庫区) は [ ]• (ばいりんじ)(大阪府茨木市)• (はがじ)(福井県小浜市)• (はせかんのん)(茨城県古河市)• (はせでら)(奈良県桜井市)• (はせでら)(神奈川県鎌倉市)• (はったさんそんえいじ)(静岡県袋井市)• (はんきゅうじ)(兵庫県揖保郡太子町)• (ばんなじ)(栃木県足利市)• (はんにゃじ)(奈良県奈良市) ひ [ ]• (ひがしほんがんじ)(正式名称「真宗本廟」、京都市下京区)• (ひがしほんがんじ)(正式名称「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」、東京都台東区)• (びしゃもんどう)(京都市山科区)• (ひなたやくし)(宝城坊、霊山寺、神奈川県伊勢原市)• (ひゃくさいじ)(滋賀県東近江市)• (びゃくごうじ)(奈良県奈良市)• (びょうどういん)(京都府宇治市) ふ [ ]• (ふきじ)(大分県豊後高田市)• (ふきじ)(奈良県磯城郡川西町)• (ふくぜんじ)(対潮楼、広島県福山市)• (ふこうじ)()• (ふさいじ)(東京都立川市)• (ふじいでら)(大阪府藤井寺市)• (ふたいじ)(奈良県奈良市)• (ふだらくさんじ)(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)• (ぶっこうじ)(京都市下京区)• (ぶつりゅうじ)(奈良県宇陀市)• (ふもんじ)(大阪府高槻市)• (ぶらくじ)(高知県長岡郡大豊町)• (ふんだいん)(京都市東山区)• (ふどういん)(広島市東区)• (ふどういん)(大阪府豊中市) へ [ ]• (へいけんじ)(、) ほ [ ]• (ほうかいじ)(京都市伏見区)• (ほうかんじ)(八坂の塔、京都市東山区)• (ほうきじ)(奈良県生駒郡斑鳩町)• (ほうこうじ)(山梨県甲州市)• (ほうこうじ)(長野県松本市)• (ほうこうじ)(京都市東山区)• (ほうこうじ)(静岡県浜松市北区)• (ほうごんいん)(京都市右京区)• (ほうこんごういん)(京都市右京区)• (ほうごんじ)(竹生島、滋賀県長浜市)• (ほうざんじ)(奈良県生駒市)• (ほうじゅうじ)(京都市東山区)• (ほうせんいん)(京都市左京区)• (ほうぜんじ)(山梨県南アルプス市)• (ほうねんいん)(京都市左京区)• (ほうりゅうじ)(奈良県生駒郡斑鳩町)• (ほうりんじ)(群馬県邑楽郡千代田町)• (ほうりんじ)(奈良県生駒郡斑鳩町)• (ほけきょうじ)(千葉県市川市)• (ほっけじ)(奈良県奈良市)• (ほんがんじ)(京都市下京区)• (ほんぎょういん)(埼玉県川越市)• (ほんこうじ)(兵庫県尼崎市)• (ほんこくじ)(京都市山科区)• (ほんざんじ)(大阪府高槻市)• (ほんじょうじ)(新潟県三条市)• (ほんぜんじ)(京都市上京区)• (ほんのうじ)(京都市中京区)• (ほんのんじ)(山梨県南巨摩郡身延町)• (ほんみょうじ)(熊本市西区)• (ほんぽうじ)(京都市上京区) ま [ ]• (まつおじ、まつのおでら)(京都府舞鶴市)• (まつおでら)(奈良県大和郡山市)• (まんがんじ)(栃木県栃木市)• (まんがんじ)(東京都世田谷区)• (まんがんじ)(長野県安曇野市)• (まんしゅいん)(京都市左京区)• (まんじゅじ)(京都市東山区)• (まんぷくじ)(京都府宇治市) み [ ]• (みずまでら)(大阪府貝塚市)• (みぶでら)(京都市中京区)• (みぶでら)(栃木県下都賀郡壬生町)• (みなみほっけじ)(壺阪寺、奈良県高市郡高取町)• (みむろどじ)(京都府宇治市)• (みょうおういん)(滋賀県大津市)• (みょうおういん)(広島県福山市)• (みょうきあん)(京都府乙訓郡大山崎町)• (みょうけんじ)(京都市上京区)• (みょうしんじ)(京都市右京区)• (みょうつうじ)(福井県小浜市)• (みょうほういん)(京都市東山区)• (みょうほうじ)(杉並区堀ノ内)• (みょうまんじ)(京都市左京区)• (みょうれんじ)(京都市上京区)• (みょうえんじ) 鹿児島県日置市• みょうぜんじ 山梨県南巨摩郡富士川町 む [ ]• (むろうじ)(奈良県宇陀市) め [ ]• (めいげついん)()• も [ ]• (もうつうじ)(岩手県西磐井郡平泉町)• (もとやまじ)(香川県三豊市) や [ ]• (やくおうじ)(徳島県海部郡美波町)• (やくしじ)(奈良県奈良市)• (やたでら)(金剛山寺、奈良県大和郡山市)• (やちゅうじ)(中之太子、大阪府羽曳野市) ゆ [ ] よ [ ]• (ようげんいん)(京都市東山区)• (よこくらじ)(岐阜県揖斐郡揖斐川町)• (よしみねでら)(京都市西京区)• (よだじ)(香川県東かがわ市) ら [ ]• (らいごういん)(京都市左京区)• (らくほうじ)(茨城県桜川市)• (らくやじ)(滋賀県甲賀市) り [ ]• (りっしゃくじ、りゅうしゃくじ)(山形県山形市)• (りゅうこうじ)(福島県河沼郡会津美里町)• (りゅうかくじ)(千葉県印旛郡栄町)• りゅうせんじ• (りょうあんじ)(竜安寺、京都市右京区)• (りょうぎんあん)(京都市東山区)• りゅうげんじ 新潟県中魚沼郡• (りょうげんいん)(京都市北区)• (りょうこういん)(京都市北区)• (りょうせんじ)(奈良県奈良市)• (りょうせんじ)(徳島県鳴門市)• (りんざいじ)(静岡市葵区)• (りんしょうじ)(大阪府泉南市)• (りんのうじ)(栃木県日光市)• (るりこうじ)(山口県山口市)• (るりじ)(兵庫県佐用町) れ [ ]• (れいうんいん)(京都市東山区)• (れいうんじ)(東京都文京区)• (れんげぶじ)(新潟県佐渡市) ろ [ ]• (ろくおんじ)(金閣寺、京都市北区)• (ろくはらみつじ)(京都市東山区)• (ろざんじ)(京都市上京区)• ろくどうちんのうじ 京都市東山区 わ [ ] 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するメディアがあります。

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三国志人物伝【一覧】

えん おう りゅう の ごう かく

0m 最大幅 9. 1m 深さ 10. 3m 8. 1番艦から10番艦までは海上自衛隊初の(AIP)である。 11番艦以降は世界で初めて機関の構成要素にを採用した潜水艦級である。 の4年度目にあたる平成16年度(度)予算より取得を開始した潜水艦(SS)であることから、は16SSとも呼ばれている。 来歴 [ ] 海上自衛隊とでは、中盤より(AIP)システムの開発に着手した。 まず度から度にかけて、新と共同で軽量小型高圧燃焼ボイラー・タービン(KRT)の開発が行われた。 これは液体酸素と燃料を小型のボイラーで高圧燃焼させ、を駆動する方式であった。 また同時期には、川崎重工も液体酸素を用いたの研究を行っていたが、前者は酸素の取り扱いと起動時間の問題、後者はさらに経費と期間を要することから、いずれも研究は中止された。 その後、技術研究本部では、度よりの研究を開始した。 当初はナトリウムアマルガム燃料電池が検討されていたが、の質量が過大であったため、度より酸素-水素型に転換した。 度までに試作・試験を行い、多孔性ニッケル・カーボン二重層電極、8セル構成で出力9キロワット、電圧6ボルト、容量1,500アンペアの燃料電池を開発した。 これらの成果を踏まえて、昭和51年度計画潜水艦(51SS)への燃料電池の搭載も検討されたが、液体酸素の取り扱いに関する用兵側の不安を払拭できなかったこともあり、断念された。 これらの経緯も踏まえて、技術研究本部は、燃料電池よりものほうが潜水艦用AIPシステムとしては実現性が高いと判断し、度より基礎研究を開始した。 同方式は、の社においてよりプロトタイプ試験に着手されており、には前量産型の4V-275R Mk. Iモデルをのに搭載しての洋上試験を実施、には量産型のMk. IIモデルを搭載したが起工されていた。 このことから、技術研究本部では、度から度にかけての技術研究で、同級搭載機と同じMk. IIモデルを輸入し、独自試作の液体酸素タンクなどと組み合わせたうえで、「係留区画」と呼ばれる部分船殻模型に設置し、地上試験運転を行った。 度より、スターリング機関発電システム2組(それぞれに4V-275R Mk. 平成13年度中に性能確認試験を終了、度から本格的な実証試験が実施された。 この実績を踏まえて、度計画艦より、スターリングAIPシステムの搭載が開始されることになった。 これによって建造されたのが本型である。 船体 [ ] セイル前方にはフィレットが付されている 海上自衛隊では、度計画のより部分単殻構造・葉巻型船型を導入した。 これは、非核動力潜水艦が活動するような低速域については涙滴型船型と同等の的性能を確保しつつ、長大な側面アレイ・ソナーを耐圧殻に直接固定できるように配慮した設計であり、本型でも踏襲された。 船体の基本設計は05SSと同様であるが、長さ11メートルのAIP区画を挿入したにもかかわらず、艤装の高密度化によって全長は2メートル程度の延長で収まっているが、これにより居住区画はおやしお型と比較して狭くなり、連続潜行時間の増加も併せて居住性は悪化した。 船型についても、05SSと比べると艦首や艦尾の曲線が変更され、セイルをやや前方に移動させ、その基部にフィレットと呼ばれる流線形の覆いを追加するなどの改良を加えており、第2世代の葉巻型船型ということができる。 なお、AIP区画の挿入によって船体内は6区画とされ、セイルへの昇降は第1防水区画から行うように変更されている。 また前部脱出筒と魚雷搭載口は、将来装備予定の個人脱出スーツ(Mk. 10)の寸法に配慮して分離された。 (TS; でのに相当する概念)低減のため、水中吸音材・反射材の装備やセイルの傾斜構造化を行った点では05SSと同様だが、本型では、入射音を音源と異なる方向に全反射させる反射材が開発され、船体全てが水中吸音材または反射材で覆われることになった。 またフィレットの設置も、水中抵抗の低減とともに、乱流による雑音発生の低減による水中放射雑音削減に益しているとされている。 X舵 外見上の最大の変化が後舵装置(X舵)の採用である。 従来は、回頭を担当する垂直舵(縦舵)と姿勢制御を担当する水平舵(横舵)による十字型舵を採用してきたのに対し、X舵ではこれらを45度ずつ傾けた形で装着して、4枚の舵すべてに回頭と姿勢制御の両方の役割を担当させるものである。 この方式は機動性に優れるほか、舵面の1枚が損傷しても他の3枚で分担できることから冗長性にも優れ、また着底・沈座・接岸時にも舵面が損傷しにくいというメリットがある。 以前、が実験潜水艦「」で試験を行ない、同国での採用は見送られたもののを中心に採用例が多く、例えばでは末のより採用している。 本型での採用は、機動性向上によって艦型の大型化を補うことを狙ったものであった。 船体規模 基準排水量 3,000トン 2,900トン(5番艦以降50トン増) 2,750トン 水中排水量 不明 4,200トン 3,500トン 全長 84 m 82 m 全幅 9. 1 m 8. 9 m 吃水 8. 5 m 7. 本型で搭載されたシステムは、「あさしお」やスウェーデン海軍A-19型で搭載された4V-275R Mk. II(連続定格出力65キロワット)の発展型である4V-275R Mk. III(連続定格出力75キロワット)を4基用いており、第4防水区画の上層にスターリング発電機が両舷2基ずつ、下層には液体酸素タンクが両舷に1基ずつ配置されている。 なお4V-275R Mk. IIIはで化されている。 ただしスターリングAIPシステムは出力が低い低速機(4~5ノット程度)であるため、高速力を発揮する際には、従来通りのもしくは浮上してが用いられる。 AIPとともに本型で導入された新機軸の1つがである。 従来の潜水艦ではを採用してきたが、既に進化の極致に達していた。 一方、一般産業界では、技術や制御技術の進歩を背景として、大型交流電動機をによってするシステムが発展していた。 このシステムは、速度切替の機構操作が不要であり、また・ブラシ・励磁回路・がなく、保守が容易であるなど多くのメリットを備えていたことから、世界的にも珍しい潜水艦用交流電動機装備が開発されて搭載されたものである。 リチウムイオン蓄電池搭載型 [ ] 当初は5番艦(SS-505)から、主蓄電池としてを搭載することで、艦の巡航速度を改善し高速航行可能な時間を増大させる予定となっていた。 リチウムイオン蓄電池は、従来の鉛蓄電池と比べて、水素ガス発生の危険がなく、2倍以上の重量容積あたりエネルギー密度と、1. 5倍以上の繰り返し充放電回数を持ち、充電時間が短く、放電による電気容量の低下を抑えられるなど優れた特性を持っていた。 特に充電時間については、鉛蓄電池では発電機出力に余裕があってもそれ以下の電流量で充電せざるをえず、また完全充電に近づくと少量ずつしか充電できないために、作戦海域で満充電することがほとんど不可能であったのに対し、リチウムイオン蓄電池ではこれらの制約を受けないことから、潜水艦にとっては非常に望ましいものであった。 実際の搭載は財政上の理由により、度計画で概算要求された11番艦の以降となった。 搭載にあたっては、鉛蓄電池のみをリチウムイオン蓄電池に置き換える手法と、スターリングAIPシステムと鉛蓄電池の双方をリチウムイオン蓄電池で置き換える手法が比較検討され、後者のほうが前者より高コストだが大出力なため、在来潜やAIP潜より高速での水中連続航行が可能となることが期待された。 その後、水中持続力等向上のため、スターリングAIPと鉛蓄電池の双方を廃した上でリチウムイオン蓄電池を搭載する方式に決定し 、リチウムイオン電池はが受注した。 おうりゅう(SS-511)の就役にあたり、海上自衛隊は「リチウムイオン電池を新たに搭載することにより、従来型潜水艦に比べ、水中の持続力や速力性能など大幅に向上した潜水艦」と発表している。 装備 [ ] 装備面での最大の変化が化である。 海上自衛隊の潜水艦では、より(05SSでは潜水艦情報処理装置)を導入したものの、これは基本的におよび魚雷発射指揮システムであり、情報処理は各センサーが独自に保有するデータベースによって個々に行われていた。 これに対し、本型のシステムでは、主要なセンサーや武器が基幹信号伝送装置(SLI)と称される二重のによるによって連接され、情報処理装置(Target Data Base Server, TDBS)をとして、情報管理を共通化している。 端末装置としては、水冷式の潜水艦情報表示装置(MFICC)が6基配置される。 また、これらのネットワーク化システムによって生成された情報を意思決定に反映するためのとしてZQX-11潜水艦戦術状況表示装置(Tactical Display System, TDS)が導入された。 ここにセンサー情報や航海情報、さらにはMOFシステムから配信されるノンリアルタイムの情報まで全てを集約することで、従来の対勢作図盤よりも多くの情報を迅速に表示できるほか、乗員間でのやの生成も可能となった。 また艦外のネットワークへの連接のため、が搭載された。 これはおやしお型後期型から装備化されたものであるが、同型はネットワーク化されていないために、C2Tで得た情報はその端末上でしか表示できなかったのに対し、本型ではC2TとTDSが連接されたことから、TDSの画面にその情報を重畳表示できるほか、SLIを介して各コンソールでも見られるようになった。 また、艦の情報を上級司令部に送信することもできる。 このほか、7番艦からは新たな衛星通信装置が装備された。 逆探ソナー システムはZQQ-7(2番艦以降ではZQQ-7B)に改良されている。 これらは、基本的には05SSのZQQ-6と同様、艦首アレイ、側面アレイ、曳航アレイおよび魚雷警報装置(逆探ソナー)で構成されているが、艦首アレイについては、利得向上のため、従来の円筒アレイに対してカージオイド指向性を形成するようなかご形構造とされている。 または従来の光学式2本から、従来型と非貫通式潜望鏡1型(、タレスUK社製非貫通式潜望鏡CMO10をでライセンス生産)各1本へ変更された。 兵装としては、艦首上部に6門のHU-606 533mmを装備している。 及び、を搭載している。 また8番艦(SS-508)からは新たに潜水艦魚雷防御システム(Torpedo Counter Measures :TCM)が装備される予定である。 魚雷発射指揮装置としては潜水艦発射管制装置ZYQ-51が搭載されているが、これはSLIに連接されてサブシステムとなっている。 同型艦 [ ] からみた「そうりゅう」型。 奥側はヘリコプター搭載護衛艦「」。 2016年(平成28年)度計画の12番艦が本型の最終艦となる見込みである。 平成26年度計画で建造された10番艦しょうりゅうの価格は約513億円 、リチウムイオン電池を搭載する11番艦おうりゅうの価格は643億円である。 そうりゅう型潜水艦同型艦一覧 艦番号 艦名 建造 起工 進水 竣工 所属 SS-501 2005年 (平成17年) 3月31日 2007年 (平成19年) 12月5日 2009年 (平成21年) 3月30日 第5潜水隊 () SS-502 神戸工場 2006年 (平成18年) 3月31日 2008年 (平成20年) 10月15日 2010年 (平成22年) 3月25日 SS-503 三菱重工業 神戸造船所 2007年 (平成19年) 2月6日 2009年 (平成21年) 10月16日 2011年 (平成23年) 3月14日 SS-504 川崎造船 神戸工場 2008年 (平成20年) 3月31日 2010年 (平成22年) 11月15日 2012年 (平成24年) 3月16日 第1潜水隊群第3潜水隊 (呉基地) SS-505 三菱重工業 神戸造船所 2009年 (平成21年) 3月16日 2011年 (平成23年) 10月20日 2013年 (平成25年) 3月6日 第4潜水隊 () SS-506 2011年 (平成23年) 1月21日 2013年 (平成25年) 10月31日 2015年 (平成27年) 3月9日 第2潜水隊群第6潜水隊 (横須賀基地) SS-507 三菱重工業 神戸造船所 2012年 (平成24年) 2月14日 2014年 (平成26年) 10月8日 2016年 (平成28年) 3月7日 第1潜水隊群第1潜水隊 (呉基地) SS-508 川崎重工業 神戸工場 2013年 (平成25年) 3月15日 2015年 (平成27年) 11月2日 2017年 (平成29年) 3月13日 第1潜水隊群第5潜水隊 (呉基地) SS-509 三菱重工業 神戸造船所 2013年 (平成25年) 10月22日 2016年 (平成28年) 10月12日 2018年 (平成30年) 3月12日 第2潜水隊群第6潜水隊 (横須賀基地) SS-510 川崎重工業 神戸工場 2015年 (平成27年) 1月28日 2017年 (平成29年) 11月6日 2019年 (平成31年) 3月18日 第1潜水隊群第1潜水隊 (呉基地) SS-511 三菱重工業 神戸造船所 2015年 (平成27年) 11月16日 2018年 (平成30年) 10月4日 2020年 (令和2年) 3月5日 第1潜水隊群第3潜水隊 (呉基地) SS-512 川崎重工業 神戸工場 2017年 (平成29年) 1月27日 2019年 (令和元年) 11月6日 2021年 (令和3年) 3月予定 艦名 [ ] 「そうりゅう」は、の御召艦「」、「」と同じく、蒼いを指し、「うんりゅう」は航空母艦「」と同じく、雲間を飛ぶ龍を指す。 海上自衛隊は「海象(海の自然現象)と水中動物の名」を潜水艦の命名基準としていたが、(平成19年)付けで行われた命名付与基準の改正で「(縁起の良い動物)の名」が使用できることとなり、「龍」を用いた命名はこれに基づく。 輸出の可能性 [ ] オーストラリア [ ] 「」も参照 はのにおける活動の活発化を鑑みて、の代替として4,000トンクラスの大型潜水艦の導入を計画。 のの他に、の潜水艦を調査していたが、2011年に日本が政策を緩和したため、そうりゅう型も検討対象に加えられた。 計画の責任者を務めている海軍少将は、海上自衛隊のと会談しており、そうりゅう型が有力な候補であるとコメントした。 2013年2月には、が情報・技術供与の可否も含めて検討に入った。 同年3月11日、の軍関係者が、そうりゅう型に使用される特殊推進機関などの技術を、オーストラリアに供与する可能性が高くなったことを明らかにした。 ただし、オーストラリアの政権は、公約で次期潜水艦を国内で建造すると表明したため、そうりゅう型の完成型を輸入することは、この公約に反することになる 、しかしアボット首相は地元経済への影響という観点から判断することはないと強調しており、あくまで軍事的な観点から判断するとした。 2014年9月時点のオーストラリア政府内では、の潜水艦は高い評価を得ているとされていた。 他方、日本政府にも、機密性の高い潜水艦を他国に輸出することに慎重論があったが 、、オーストラリアの ()国防相は、との会談で、オーストラリアが計画する潜水艦建造への協力を正式に要請した。 この後の、オーストラリアの首相により、フランスとの共同開発が正式に発表されたため 、オーストラリアへの輸出の可能性はなくなるとみられた。 2016年8月に報道されたの潜水艦機密情報漏洩により、オーストラリア国内で計画中止を求める声もあったが、2016年12月20日にオーストラリア政府はDCNSと正式契約を結んだ。 インド [ ] には、潜水艦の老朽化が進んでいるの ()国防相が、そうりゅう型について「インドも高い関心を持っている」と述べた。 日本政府は政府間協議による輸出を希望していたが、インド政府が協議に応じず2017年に撤退した。 登場作品 [ ] 漫画 [ ] 『』 「けんりゅう」、「じんりゅう」、「せきりゅう」 が登場。 「けんりゅう」は「」をとする第5護衛隊群に所属。 「じんりゅう」と「せきりゅう」 は攻略時においての雷撃に対して応戦する。 小説 [ ] 『』 所属艦が登場。 のと共同して、逃走する特殊部隊のを追う。 音響魚雷による攻撃を受け、一時的にが機能しなくなるも、の剣埼で包囲に成功する。 主人公の真下は、潜水艇の必死の逃走はがの最新型の性能を測るためだったと推測している。 『中国完全包囲作戦』(文庫名:『中国軍壊滅大作戦』) 「かいりゅう」がの潜水艦「」に対してを発射する。 命中した衝撃で「安重根」は潜航舵が下げ舵に固定され、圧壊深度まで潜航を続け、圧壊する。 『』 「そうりゅう」と「けんりゅう」が登場。 中国海軍のを殲滅するために出撃し、「そうりゅう」は対艦誘導弾による攻撃で、「けんりゅう」は魚雷による攻撃で艦隊を攻撃し、殲滅する。 脚注 [ ]• 政策評価内の主要性能対比表では15SS()の装備を「 ハープーン」と表記しているのに対し、本級では「 ハープーン級」と表記している。 神戸新聞 2020年3月5日• 中名生正己「海上自衛隊潜水艦整備の歩み」『世界の艦船』第665号、海人社、2006年10月、 111-115頁、。 「各国で開発進むAIP潜水艦 特集・次世代の潜水艦 - 次世代潜水艦をめぐる8つの話題 」『世界の艦船』第618号、、2003年11月、 102-105頁、。 Bernard Prezelin 1990. 490. 「巻頭カラー特報 海自現有潜水艦全タイプに乗艦! 」『世界の艦船』第767号、海人社、2012年10月、 1-15頁、。 幸島博美「海上自衛隊潜水艦の技術的特徴 特集 海上自衛隊の潜水艦 」『世界の艦船』第767号、海人社、2012年10月、 78-87頁、。 装備施設本部 2015年3月30日. 2019年10月25日閲覧。 GSユアサ 2017年2月21日. 2019年10月25日閲覧。 東郷行紀「「そうりゅう」に見る最新潜水艦のネットワーク化 特集 新型SS「そうりゅう」のすべて 」『世界の艦船』第713号、海人社、2009年11月、 100-103頁、。 2011年7月7日, at the. 、朝雲新聞(ここでは6番艦とされているが7番艦の誤植である)• 『わが国の防衛予算 平成24年度概算要求』、防衛省公式サイト• 防衛省公式サイト• 2015年9月23日時点の [ ]よりアーカイブ。 2015年11月5日閲覧。 [ ]• 川崎重工業プレスリリース 2019年11月6日. 2019年11月6日閲覧。 海上自衛隊. 2014年1月18日閲覧。 2013年3月12日. 2013年3月14日閲覧。 2014年9月8日. の2014年10月16日時点におけるアーカイブ。 2014年10月12日閲覧。 2014年10月17日. 2014年10月20日閲覧。 2014年10月6日. の2014年10月10日時点におけるアーカイブ。 2014年10月12日閲覧。 AFPBB. 2016年4月26日. 2016年4月26日閲覧。 ロイター. 2016年12月20日. 2017年3月2日閲覧。 2015年3月28日. 2015年3月29日閲覧。 レコードチャイナ. 2017年10月31日. 2019年10月8日閲覧。 478頁など• 132頁• 129頁など 関連項目 [ ]• - 本型と同じ4V-275R Mk. IIIを搭載している•

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