植松 さとし 家族。 植松聖生い立ちと絵がうまい!高校大学や親の現在,死刑確定望む声

植松聖の現在!優生思想の大量殺人がネット上でヒーロー扱い

植松 さとし 家族

: 日付 (28年) 2時ごろ — 3時ごろ () 攻撃手段 刃物で刺す・切りつける 攻撃側人数 1 武器 (刃体の長さ約21. 元施設職員の男U(事件当時26歳)が施設に侵入して所持していたで入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた。 などの罪で・された加害者Uは(2年)3月ににおけるでを言い渡され 、自らを取り下げたことで死刑がした。 殺害人数19人は、当事件が発生した時点で()後ので発生した殺人事件としてはもっとも多く 、事件発生当時は戦後最悪の大量殺人事件として 社会に衝撃を与えた。 事件発生 2016年7月26日午前2時38分 、相模原市緑区千木良の知的障害者施設「神奈川県立 津久井やまゆり園」 から ・にそれぞれ 「刃物を持った男が暴れている」との通報があった。 事件に気づいた施設の当直職員が、非番の男性職員にを使って「すぐ来て。 やばい」 と連絡を取り、連絡を受けた男性職員が電話で確認のうえ警察に通報した。 現場に駆けつけた医師が19人の死亡を確認し、重傷の20人を含む負傷者26人が6か所の医療機関に搬送された。 死亡したのは、いずれも同施設の入所者の男性9人(年齢はいずれも当時41歳 - 67歳)、女性10人(同19歳 - 70歳)である。 死因は19歳女性が腹部を刺されたことによる損傷に基づく、40歳女性が背中から両を刺されたことによる、残り17人がとされ、遺体の多くは居室のベッドの上で見つかっていたことから、Uが寝ていた入所者の上半身を次々と刺したとみられる。 また、負傷したのは施設職員男女各1人を含む男性21人、女性5人で 、うち13人は重傷を負った。 入所者24人の負傷内容は全治約9日 - 約6か月間の胸への切り傷や両手の甲への打撲などとされる。 被害者の名前について、神奈川県警は同26日、「施設にはさまざまな障害を抱えた方が入所しており、被害者の家族が公表しないでほしいとの思いを持っている」として、公表しない方針を明らかにしている。 これについて「日本では、すべての命はその存在だけで価値があるという考え方が当たり前ではなく、が根強いため」と説明する被害者家族 、本人が生きた証として名を公表する遺族 、匿名であるため安否が分からず自分なら公表してほしいとする入所者の友人 、根底に障害者差別があるとするなどさまざまな意見がある。 午前3時すぎ、現場所轄のに加害者の男U(犯行当時26歳、元施設職員)が「私がやりました」と出頭し、午前4時半前 、死亡した19歳の女性入所者に対する未遂 ・の各容疑でされた。 Uは、正門付近の警備員室を避けて裏口から敷地内に侵入し 、午前2時ごろ 、ハンマーで入居者東居住棟1階の窓ガラスを割り、そこから施設内に侵入したとみられる。 起訴状によればUは、意思疎通のできない障害者を多数殺害する目的で、通用口の門扉を開けて敷地内に侵入し、を使って職員らを拘束し、一部を結束バンドで縛り、その目の前で入居者の殺傷に及んでいたが、直接刃物で切りつけられた職員はいなかった。 Uは職員らを拘束したうえで、所持した包丁・ナイフを使用して犯行に及んだとされるほか 、凶器として自宅から持ち込んだ5本などを持っており 、切れ味が鈍るなどするたびに取り換えながら使用していた。 事件後に施設内で刃物2本が発見され、Uは別の刃物3本を持って津久井署へ出頭した。 Uは侵入時にを所持しており、刃物やハンマー、職員を縛った結束バンドなどをバッグに収納し、行動しやすくしていたとみられる。 Uは犯行時、鉢合わせした職員らに「障害者を殺しにきた。 邪魔をするな」などと脅しており、入居者に声をかけつつ返事がない入居者らを狙って次々と刺していった。 前述のように、Uが裏口から施設に侵入したことから、Uは施設の構造・防犯態勢を熟知していたとみられる。 取り調べに対し、Uは「ナイフで刺したことは間違いない」などと容疑を認めたうえで、「障害者なんていなくなってしまえ」とである持論を供述もした。 同警察署の捜査本部は翌27日、殺人未遂の容疑を殺人に切り替え、Uをに送検した。 事件で負傷して意識不明となった4人が入院していた病院は、翌27日の記者会見で、4人全員の意識が回復したと発表した。 そのうち、20代の男性は首を深く刺されたため全血液量の3分の2を失い、搬送直後には脈をとれないほどの危険な状態だった。 この男性は、意識を取り戻して人工呼吸器を外されると、看護師に何度も「助けて」と繰り返し、容疑者としてUが逮捕されたことを知ると「生き返った」と答えた。 入所者のうち、被害を免れた比較的軽度の入所者が、Uが殺傷前に職員に縛りつけた結束バンドをで切断して職員を解放していたことが判明し、捜査本部はこの行為が被害を抑えた可能性もあるとみている。 Uはさらに多数の入居者を襲う計画だったが、西棟2階を担当していた職員が異変を察知して部屋に閉じこもり、そのまま出てこなかったことから、この職員が警察に通報するのを恐れて襲撃を中断し、施設から逃走した。 神奈川県立津久井やまゆり園 事件のあった「津久井やまゆり園」は、神奈川県が(39年)から設置し、2005年(平成17年)度から指定管理者制を導入し、「かながわ共同会」が運営している知的障害者施設である。 から東に2キロほど離れた、山に囲まれたに面する住宅地に立地している。 入所定員は事件当時、長期入所者150人、短期入所者10人の計160人だった。 敷地の面積は3万890の敷地内に2階建ての居住棟や管理棟、グラウンドや作業スペースなどがあり 、7月1日時点で職員数は164人、同日時点で入所していた19歳から75歳の長期入所者149人(男性92人、女性57人)全員が障害支援区分6段階のうち重い方の4から6に該当する重度の知的障害者(食事や入浴、排泄などの介助が必要)だった。 (平成4年)12月より、開所当時の施設・設備が老朽化したことを受けて、建て替え工事を実施した。 (平成6年)6月、第1期工事(居住棟・厨房機械棟)が完成し、続いて既存棟の解体と、居住棟・作業訓練室やボランティア室などを備えた管理棟などを建設する、第2期工事が同年7月から行われ 、(平成8年)4月に完成したことで、再整備工事が完了し全面開所した。 神奈川県立津久井やまゆり園の安全管理 園では、夜間も職員を1棟あたり少なくとも2人配置し、園の正門・居住棟の入り口はそれぞれ施錠されているうえ、建物内に入ったとしても各ホームに自由に行き来することはできず、すべての鍵を開けられるを持っている職員もいないという。 また、園には警備員が常駐しているが、午後9時半以降は正門近くの管理棟で仮眠してもよいことになっており、当直の警備員は侵入に気づかなかったという。 神奈川県の説明によると、入所している人たちが生活している居住棟は2階建てで、「東棟」と「西棟」の2つがあり、容疑者は「東棟」の1階の窓ガラスを割って侵入したとみられている。 しかし、外部からの侵入者を察知して自動的に警備会社に知らせたり、警報が鳴って施設全体に知らせたりするシステムはなかった。 監視カメラは設置されていたものの、常時監視されていたわけではなく、速やかな異常の把握はできなかった。 警報システムや警備会社が提供する常時監視サービス、を防止できる入退室管理システムなどを導入していれば、被害の拡大を防ぐことができたと指摘もある。 しかしながら、現状はこのような事案が起こること自体が想定されていない場合が多く、対策が疎かになることが多い。 捜査 逮捕後の取り調べに対し被疑者Uは「ナイフで刺したことは間違いない」と容疑を認めたうえで「施設を辞めさせられて恨んでいた」とも話した。 捜査本部は7月27日の捜査で、新たに血痕のついた包丁2本を発見した。 また、殺害された19人全員に、胸や首に複数の刺し傷があった。 27日までに12人のが終了し、10人は負傷による失血死と失血性ショック、2人は腹と背中を刺されたことが致命傷となった。 傷の深さから、Uには明確な殺意があったものとみられる。 取り調べの中で、Uは犯行時、職員から奪った鍵で居住区画を仕切る扉を解錠して移動しながら、入居者の実名を叫んでいたことも新たに判明し、犠牲者には名前を呼ばれた入居者も含まれていたという。 神奈川県警は、Uが特定の人物を標的にした疑いがあるとみている。 神奈川県警は8月15日、園内の東側居住棟1階で、刃物で切りつける、突き刺すなどして、26歳から70歳の女性9人を殺害したとして、殺人容疑でUを再逮捕した。 同日、横浜地検は当初の逮捕容疑である19歳女性に対する殺人容疑についてはとした。 県警は8月17日午前、Uをに送検した。 神奈川県警は9月5日、園西棟の1階と2階で、41歳から67歳の男性9人を刃物で切りつけて殺害したとして、殺人容疑でUを再逮捕した。 逮捕は3回目で、これまでの逮捕容疑について横浜地検はいずれも処分保留とした。 これで、東棟1階の女性10人と合わせ、死亡した19人全員について殺人容疑で立件され、Uはいずれも容疑を認めた。 鑑定留置の期間は翌2017年1月23日までの約4か月間を予定していたが 、のちに延長された。 Uは襲撃の途中に施設の職員室にあるで勤務表を調べ、自分より体格がよい職員がいないことを確認していたことが判明しており、捜査関係者は「殺害計画に沿って合理的に行動しており、心神喪失状態ではなかった」とみている。 捜査本部は2016年12月19日、それまでに立件した殺人容疑に加えて「入所者24人に重軽傷を負わせた殺人未遂容疑」で被疑者Uを横浜地検に追送検し、一連のUによる殺傷行為についてすべて立件した。 また、県警はその負傷者のうち2人について家族の了解が得られたとしてした。 津久井署捜査本部は(平成29年)1月13日、被疑者Uを「施設女性職員2人への容疑」「施設職員の男性3人への逮捕・監禁容疑」で横浜地検へ追送検した。 2017年1月17日、横浜地検はへ「鑑定留置期間を2017年2月20日まで延長する」ことを請求し認められ 、2月20日に鑑定留置が終了し、Uの身柄は午後3時すぎにから捜査本部が置かれていた津久井警察署に移送された。 これまでの精神鑑定でUは「」など複合的ながあったことが判明したが 、「動機の了解可能性」「犯行の計画性」「行為の違法性の認識」「精神障害による免責の可能性」「犯行の人格異質性」「犯行の一貫性・合目的性」「犯行後の自己防衛行動」の面から 犯行時には「完全な刑事責任能力を問える状態」であったため 、横浜地検は勾留期限の2017年2月24日までにUを起訴する方針を決めた。 そして、横浜地検は2017年2月24日に被疑者Uを以下6つの罪状でにし、事件発生から約7か月に及んだ一連の捜査が終結した。 殺人罪 - 死亡した入所者男女19人を刃物で刺して殺害した• 殺人未遂罪 - 負傷した入所者男女24人を刃物で刺して重軽傷を負わせた• 逮捕・監禁罪 - 職員3人を逮捕・監禁した• 逮捕・監禁致傷罪 - 別の職員3人を逮捕・監禁して怪我を負わせた• 建造物侵入罪・銃刀法違反 刑事裁判 本事件はにてで審理されたが 、被害の大きさ・証拠量の膨大さからが長期化し 、2017年2月の起訴から初公判期日まで3年近くを要することとなった。 被告人Uは殺傷行為を認めたため、刑事裁判のでは「刑事の有無・程度」が最大の争点になった。 横浜地検は刑事裁判の公判において横浜地裁へ「起訴状を朗読する際などに被害者の実名を呼ばず匿名で審理すること」を求めるよう検討し 、2017年6月になって「氏名・住所などを伏せるよう申し出ていた被害者を匿名にして公判を開く」方針を決定した。 なお殺害された入所者・当時19歳女性(法廷における仮名は「甲A」)は当初、被害者特定事項秘匿制度に基づき仮名だったが 、初公判直前に女性の母親が姓を伏せた上で「娘の名前を覚えていて欲しい」と報道各社に手記を寄せて名前を公表しており 、第3回公判以降は実名に切り替えられている。 横浜市内の精神鑑定経験が豊富な医師によると、一般的に「自己愛性パーソナリティ障害」は、衝動の抑制が効かなかったり理性的な判断が難しくなったりする場合はあるものの、刑事責任能力を左右する精神病とは区別されるという。 精神病というよりは「性格の大きな歪み」に分類され、自分の意見が通らないと「周囲がいけない」「法律がおかしい」と自己中心的な思考に陥りがちになる。 そのうえで、Uの「かなり冷静に一貫した行動や言動」や、事件後の逃走を「自分の行動が犯罪だと認識している」点を指摘し 、Uの日常生活には問題がなかったことから「自己責任能力の否定材料が乏しく、起訴はまっとうな判断である」と評した。 のは「裁判を通じて、この事件の全容が明らかになることを望む」と表明したほか、相模原市長のも「原因が究明され偏見や差別のない共生社会の実現につながってほしい」とコメントを出した。 第一審・横浜地裁(裁判員裁判) 公判前整理手続 2017年9月28日に横浜地裁()で第1回が開かれた。 協議は非公開で実施され 、検察・弁護側双方が主張内容を記載した書面をそれぞれ提出し 、争点について意見を交わした一方 、被告人Uは欠席した。 その後、検察側・双方との間で計3回の打ち合わせが行われ、検察側から合計631点の証拠請求がなされた一方、弁護人からは予定する主張内容を記載した書面が提出された。 横浜地裁(青沼潔裁判長)は2018年1月23日までに弁護人側の請求を受けて「被告人Uに対し再度の精神鑑定を実施する」ことを決めた。 は2018年9月4日に被告人Uの精神鑑定結果について「捜査段階とは別の精神科医による再度の精神鑑定は2018年8月に終了し、1回目と同様に(刑事責任能力に問題がない)『パーソナリティー障害』との診断結果が出た」と報道した。 弁護人は3度目の精神鑑定を申請したが、横浜地裁はこれを認めず却下した。 横浜地裁(青沼潔裁判長)は2019年4月22日付で本事件の初公判期日を「2020年(2年)1月8日11時開廷」と指定して同月24日に公表した。 その後、第2回公判以降の公判予定に関しても横浜地裁・横浜地検・弁護人の三者協議により決定され 、横浜地裁は2019年9月30日付で第2回公判以降の公判予定を指定し 、同年10月2日に発表した。 公判 横浜地裁における(事件番号)は「 平成29年 わ 第212号」(建造物侵入,殺人,殺人未遂,逮捕致傷,逮捕,銃砲刀剣類所持等取締法違反)。 審理は横浜地裁第二刑事部(青沼潔裁判長)が担当し 、公判は横浜地裁101号法廷で開廷された。 初公判 2020年1月8日に横浜地裁(青沼潔裁判長)で裁判員裁判の初公判が開かれ、被告人Uは罪状認否で起訴内容を認めたが、証言台にて謝罪の言葉を述べた直後に自身の右手小指を噛み切ろうとして係官に取り押さえられ退廷させられた。 再開後の審理は被告人不在で行われ、検察官・弁護人がそれぞれ冒頭陳述で「被告人Uは完全責任能力を有していた。 大麻の影響は犯行の決意を強め、その時期を早めたに過ぎない」(検察官)「事件直前に4,5回大麻を使用しており、犯行当時は大麻精神病により責任能力がない(=罪に問えない)心神喪失状態だった」(弁護人)とそれぞれ主張した。 同日は検察側の証拠調べも行われる予定だったが次回公判へ持ち越しとなった。 なお被告人Uは退廷後に収監先・横浜拘置支所(に隣接)へ戻されたが、翌日(2020年1月9日)朝に自分で右手小指第一関節を噛みちぎった。 第2回以降の公判 2020年1月10日に第2回公判が開かれ、被告人Uは白い厚手の手袋を両手に着けた状態で出廷し、青沼裁判長から「初公判のように法廷の秩序を乱すようなことをしないように」と注意され 「申し訳ありません」と謝罪した。 同日は改めて初公判から持ち越されていた検察官の証拠調べが行われ 、検察官は各被害者の被害状況や死因・発見場所などを園内写真・見取り図とともに説明した上で、事件当時勤務していた職員6人の供述調書を読み上げ「被告人Uは職員を刃物で脅して結束バンドで拘束し、就寝中だった入所者の部屋へ連れて行き『こいつは喋れるのか?』などと聞いた上で話せない入所者の首辺りを刺していた。 途中から『被告人Uは話せない入所者を選んで刺している』と悟った職員は入所者を守ろうと嘘をついたが、それでも被告人Uは構わずに次々と殺傷行為を重ね、『こいつらは生きていてもしょうがない』とも発言した」と明かした。 2020年1月15日に第3回公判が開かれ、検察官はやまゆり園の元同僚職員(被告人Uの幼馴染)の供述調書を読み上げて被告人Uの言動の変遷を指摘したほか 、初公判前に実名を公表した犠牲者・19歳女性を含む犠牲者2人の遺族が書いた手記を朗読した。 2020年1月24日に開かれた第8回公判から被告人質問が開始され 、弁護人が被告人質問を行った。 同日、被告人Uは動機について「国の負担を減らすため、意思疎通を取れない人間は安楽死させるべきだ」と述べたほか 、責任能力の是非に関しては「自分は責任能力がある。 もし責任能力がなければ死刑にすべきだ」と述べ、心神喪失を主張する弁護人とは正反対となる主張をした。 2020年1月27日に開かれた第9回公判では検察官が被告人質問を行い、被告人Uは事件後に津久井署へ自ら出頭した理由を「自ら出頭することは現行犯逮捕されるより潔いと思った。 出頭して自分が錯乱状態ではないことを証明することで自身の動機を社会に伝えたかったからだ」と述べた。 2020年2月6日に開かれた第11回公判では被害者遺族らの代理人弁護士が被告人質問を行い、被告人Uは「事件の数か月前に自分の両親へ障害者の殺害計画を伝えたところ止められたが、思い直さなかった」と述べた。 2020年2月7日に開かれた第12回公判では被告人Uの精神鑑定を行った精神科医・大沢達哉()が証人として出廷し 「犯行動機は被告人自身の強い意思に基づくもので妄想ではない。 大麻の使用は事件に影響していない」と証言したが 、続く第13回公判(2020年2月10日)では被告人Uを診断した静和会中山病院院長・工藤行夫が弁護人側の証人として出廷し、大沢とは逆に「犯行当時の被告人Uは大麻精神病の状態だった(=犯行に大麻使用が影響している可能性がある)。 現在もその症状が持続している可能性がある」と証言した。 2020年2月17日には検察官による論告求刑に先立ち犠牲者・19歳女性の遺族が意見陳述し、被告人Uへの死刑適用を求めた。 死刑求刑・結審 2020年2月17日に開かれた第15回公判で検察官によるが行われ 、横浜地検は被告人Uにを求刑した。 公判は2020年2月19日に開かれた第16回公判で結審し、弁護人は最終弁論で「被告人Uは大麻を長期間にわたり常用したことによる病的・異常な思考に陥った結果犯行に及んだ。 『パーソナリティ障害』とした鑑定医の診断は大麻に関連した精神障害を意識していない」と主張し 、「心神喪失として無罪にすべきである」と求めた。 その後、最終意見陳述で被告人Uは「どんな判決が出ても控訴しない。 (裁判は)一審だけでも長いと思った」と述べた一方、それまでと同様に障害者への差別的な発言を繰り返した。 死刑判決・確定 判決公判は2020年3月16日に開かれ 、横浜地裁(青沼潔裁判長)は被告人Uの完全責任能力を認定した上で求刑通り被告人Uに死刑判決を言い渡した。 被告人Uは閉廷宣言直後に挙手して裁判長に発言機会を求めたが認められず、閉廷後に『神奈川新聞』記者との接見で「『世界平和のためにマリファナが必要』と伝えたかった」「重度障害者の家族は病んでいる。 『幸せだった』という被害者遺族は不幸に慣れているだけだ」などと発言した。 また「死刑に値する罪とは思わないがはしない。 弁護人が控訴しても自分で取り下げる」と意思表明していたが、弁護人は2020年3月27日付で判決を不服としてに控訴した。 しかし被告人U自身が控訴期限となる2020年3月30日付で東京高裁への控訴を取り下げる手続きを行い 、横浜地検も控訴しなかったため、控訴期限を過ぎる2020年3月31日0時(日本標準時)をもって死刑が確定した。 一方、死刑囚Uの弁護人は2020年4月2日付で控訴取り下げの無効を求める書面を横浜地裁に提出した。 死刑確定後、死刑囚Uは家族・弁護士を除く外部の人間との接見を禁止され、2020年4月7日に身柄を横浜拘置支所から死刑執行設備()を有するへ移送された。 その後、同年5月19日・26日にはそれぞれ宛の手紙(裁判所が特別に許可)を東京拘置所から送付している。 死刑判決を受けて・は神奈川県庁で記者会見し「被告人Uに対する怒りが消えることはない。 社会全体で被告人Uの思想を否定すべきだ」と述べたほか、相模原市長・も「事件を風化させず『共生社会』』実現に取り組みたい」コメントした。 加害者・死刑囚U 生い立ち 本事件の加害者である男 U・S(記事中では姓のイニシャル「U」で表記)は(平成2年)生まれ(現在30歳)。 2020年5月26日時点で死刑囚としてに収監されている。 Uは1人っ子(長男)で 、父親は東京都内の小学校に教師として勤務しつつ自治会活動に積極的に参加しており 、母親はだった。 1歳となる(平成3年)1月に 両親とともに 多摩平団地から引っ越し 、「津久井やまゆり園」から600メートルほど離れた千木良地区(当時は千木良)の住宅(事件当時の住居)へ移住し 、相模湖町立千木良小学校(現:) に在学したが、小学校時代は同学年および1学年下に一人ずつ知的障害者がおり、低学年の時には作文に「障害者はいらない」と記述していた。 小学校卒業後は地元の中学校 に在学したが 、中学時代は熱心な部員で勉強もできる方だった一方 、友人と喫煙・飲酒・万引きや器物破損などの非行をしたり 、自分の同級生に怪我を負わせた1学年下の障害者を殴ったことがあった。 中学卒業後は内の私立高校 へ進学したが 、2年生時の夏にバスケットボール部員を殴って停学処分を受け 、相模原市内の高校(福祉科)へ転校した。 父と同じ教師になることを志し 、高校卒業後の(平成20年)4月には教育学科初等教育学専攻(現:初等教育学科)へ入学し(平成24年)3月に卒業した。 帝京大在学中には(平成23年)5月末から約1か月間にわたり 、母校の相模原市立千木良小学校で 教員免許を取得するため教育実習を行ったが 、小学校教員一種免許を取得したものの教員採用試験は受けなかった。 一方で3年生 - 4年生ごろにはを入れたり 、など薬物を乱用したりするようになり 、大学卒業後は集団 ・右翼関係者とも交友を持つようになっていた。 事件の4 - 5年ほど前には夜中にU宅から母親とみられる女性の泣き叫ぶ声が聞こえ、その約半年後には両親がUを1人残して東京都のマンションに引っ越した。 やまゆり園採用後 Uは教員免許を取得して大学卒業後、当初目指していた教師にはならず運送会社に就職して11月までの半年間ほど従事した後 、2012年12月1日付で「津久井やまゆり園」に非常勤職員として採用され 、翌2013年4月1日から常勤職員として採用されると 後述のように退職した2016年2月まで勤務していた。 Uは2012年8月、施設を運営する社会福祉法人「かながわ共同会」の就職説明会に参加し、「明るく意欲があり、伸びしろがある」という判断で採用された。 働き始めた当初は知人らに対し「障害者はかわいい」「今の仕事は天職」などと話していたが 、採用後には「施設入居者への暴行・暴言」など勤務態度に問題があったため、何度も指導・面接を受けていたほか、を入れる・業務外の問題行動も散見された。 Uは2015年6月ごろから尊敬していた彫り師に弟子入りして本格的に彫り師修業を始めていたが、同年末ごろに「障害者を皆殺しにすべきだ」と発言するなどの異常な言動が見られたことから、彫り師から「ドラッグを使用している可能性が濃厚だ」と判断され破門された。 また、2015年6月28日未明には付近の路上で 面識のない通行人から「死ね」などと言われたことに腹を立て 、ともに行動していた友人と2人で通行人に暴行を加え怪我を負わせる事件を起こし、同年12月にから傷害容疑でされた。 Uは2016年2月ごろに「」と題して「障害者殺害」「の解禁」「をとして採用」などの計画を記した文章を書き記していたほか、同級生に対して「革命」という言葉を繰り返し使っていたが 、同月中旬ごろにを訪れて衆議院議長のに宛てた『犯行予告』とされる内容の手紙を職員に手渡した。 「津久井やまゆり園」と同県内の障害者施設の2施設を 標的として名指しした。 具体的な手口として「職員の少ない夜勤に決行する。 職員には致命傷を負わせず結束バンドで拘束して身動きや外部との連絡を取れなくし、2つの園260名を抹殺してからする。 日本と世界平和のためにいつでも作戦を実行するつもりだ」などの内容が記されていたほか、要求として「『逮捕後は心神喪失で無罪として2年以内に釈放し、5億円の金銭を支援し自由な人生を送らせる。 また、同月には宛ての手紙を本部にも持参していた。 事件を受けて7月26日には衆議院事務総長・が記者会見し 、手紙を受け取った経緯などを説明した。 それによると、Uは2月14日午後3時25分ごろに議長公邸を訪れ、書簡を渡したいと申し出たが受け入れられず、土下座をするなどしたため、警備の警察官が職務質問したところそのまま立ち去った。 その後、男性は翌日午前10時20分ごろに再訪し 、正門前に座り込むなどしたため 、衆議院側で対応を協議して午後0時半ごろに手紙を受け取ると、ようやくその場を立ち去った。 手紙に犯罪を予告するような内容があったため、衆議院の事務局が警察に通報し手紙を提出。 向大野は「すぐに大島議長の指示をあおいで警察に連絡しており、適切な対応だったと考えている」と述べた。 この手紙について、は同15日中に津久井署に情報を提供した。 2016(平成28)年2月16日、津久井警察署員が来園し、総務部長が対応した。 津久井警察署員は、被疑者が衆議院議長に渡した手紙の内容を伝え、被疑者への対応を話しただけで、手紙そのものを見せなかった。 この点について、津久井やまゆり園事件検証委員会は、「津久井やまゆり園事件検証報告書(平成28年11月25日)」で、「ただし、手紙を見せた方が園の危機意識はより大きなものになったのではないかとは推察される。 (12頁)」と述べている。 また、津久井やまゆり園は、津久井警察署から情報提供を受けたのに、神奈川県に伝えなかった。 この点について、「津久井やまゆり園事件検証報告書(平成28年11月25日)」は、「ただし、手紙の発覚から4日後に被疑者が退職したこと、また措置入院となったことで共同会は県への報告は不要と判断しているが、県の施設の指定管理者としては、施設の利用者に危害が及ぶ可能性があるという情報を津久井警察署から伝えられた時点で、県に報告をしておくことが望ましかった。 (12頁)」と述べている。 Uは2016年2月17日、LINEで同級生らに「重度の障害者たちを生かすために莫大な費用がかかっている」などと自説を展開するメッセージを一斉送信し、その後直接電話をかけた同級生には犯行への加担を要求した。 その際には反論した友人を「お前から殺してやる」と脅したばかりか 激怒した友人から「ふざけるな」と殴られても考えを改めなかった。 措置入院後 さらにUは、2016年2月18日の勤務中に同僚職員に「重度のはさせるべきだ」という趣旨の発言をして施設側から「の考えと同じだ」と批判されたが 、その主張を変えなかったことから 、翌19日に同施設が警察に通報し、これに対応した津久井署は「Uが他人を傷つけるおそれがある」と判断して相模原市長精神保健福祉法23条に基づき通報を行った。 同市は措置診察を行うことを決め、1人のが「入院の必要がある」と診断したため 、に基づいてへを決定した。 Uは同日、勤めていた同施設を「自己都合」により退職し 、その後は犯行時迄無職の状態だった。 翌20日には尿からの陽性反応が見られ 、22日に別の2人の精神保健指定医の診察を受けたところ、指定医の1人は「」「」、もう1人は「」「薬物性精神病性障害」と診断した。 市は同日、Uを正式なとした。 指定医は「症状の改善が優先」などとして警察には通報せず、3月2日付で医師が「他人に危害を加えるおそれがなくなった」と診断したため、市はUを退院させた。 退院後、八王子市内のマンションに住んでいたUの両親は「部屋が空いている」と同居を持ち掛けられたがこれを拒否して1人で実家に戻り 、医師作成の証明書をハローワークに提出して90日分の失業給付を受領した。 さらに3月24日には 受給を申請して約2か月分の給付を受けたが 、後に失業給付との二重請求が判明したため取り消し手続きが取られ 、4月分の受給額は返還した。 事件当日 Uは「」と呼ばれるの愛好者だったため「『』は聖なる数字だ」という考えから本来は2016年に施設襲撃を計画していたが 、事件前日の2016年7月25日未明に相模原市内で知人男性2人と会った際に、うち1人から「自分が狙われている」と感じたため実行の前倒しを決断した。 『』の報道によれば「事件前日に『関係者と親交があるとされる知人』から『お前は暴力団組員に追われている』と告げられたことが心理的な圧力になり、襲撃を翌日に前倒しするとともに襲撃できなくなることを危惧して(後述の件で)津久井署に出頭しの鍵を受け取ったあと、周辺ので結束バンドを購入したり自宅から包丁を持ち出したりして犯行を準備した」。 『』の報道によれば「自分はの合法化を訴えているので大麻を資金源にしている暴力団から狙われている。 殺される前になるべく早く事件を決行しなければ」という思い込みから実行の前倒しを決意した。 Uは知人2人と別れたあと、などでの駅に向かい、でに向かい、同日午前にので仮眠を取り、昼ごろには「相模原市内の店に車を放置した」として母親を通じ津久井署から呼び出しを受けたため電車で相模原市に戻った。 Uは車を引き取ったあとで自宅から包丁などを持ち出し 、東京都内のでや結束バンドなどを購入して犯行の準備をすると 、車で再び都内へ向かい、新宿のホテルの一室を借りて室内で頭髪をに。 午後9時ごろにUは好意を寄せていた知人女性と待ち合わせて高級店で食事し 、その際に女性に障害者襲撃計画を話した。 食事後、Uは都内のホテルに滞在してから相模原市に戻り、翌26日午前1時ごろにホテルを出て車で「津久井やまゆり園」に向かい、2時ごろに園内に侵入して凶行に及んだ。 Uは犯行後、津久井署へ出頭する直前の午前2時50分にに「世界が平和になりますように。 beautiful Japan!!!!!! 」という内容のツイートを 、自撮り写真を添付してに投稿していた。 Twitterは2014年11月に開始したが、投稿は意味不明なものや幼稚なものが多く 、Twitterアカウントのプロフィールページのヘッダー画像には「マリファナは危険ではない」と書かれた画像が使用されていた。 Uは車で出頭する途中、に立ち寄ってを利用し、そこで手や腕に付着した血を洗ったあと、でを購入していた。 コンビニのの画像などから、犯行時と出頭時は同じズボンとシャツを着用しており、服には血もついていたという。 逮捕後 Uは逮捕後の26日夜、取り調べの中で「突然のお別れをさせるようになってしまって遺族の方には心から謝罪したい」と遺族への謝罪の言葉を口にしたが 、一方で被害者への謝罪は行っておらず、障害者に対する強い偏見を表す形となった。 Uはとの尿検査には応じたが、大麻使用の尿検査を拒否したため 、した結果 、大麻の陽性反応が出た。 神奈川県警が27日にU宅を家宅捜索した結果 、微量の植物片が見つかり 、分析により大麻であることが確認された。 逮捕後の取り調べに対し被疑者Uは「今の日本の法律では人を殺したら刑罰を受けなければならないのは分かっているが、自分は権力者に守られているのでにはならない」という趣旨の発言のほか 、「事件を起こした自分に社会が賛同するはずだった」という趣旨の供述もしている。 「事件を起こしたのは不幸を減らすため」 「(障害者を)殺害した自分は救世主だ」「(犯行は)日本のため」などとも供述した。 被告人Uはその後も2019年4月現在に至るまで重複障害者に対する差別的な言動を一貫して繰り返している。 2017年2月27日に拘留先・津久井署で『』記者と接見した際に「遺族を悲しみと怒りで傷つけたことをお詫びしたい」と述べた一方で、自らが殺傷した被害者そのものに対する言葉は述べなかった。 横浜拘置支所収監中の2017年7月20日までに手紙を通じて・『』()の複数回の取材に対しても「命を無条件で救うことが人の幸せを増やすとは考えられない」と重度・重複障害者殺害を正当化する考えを示している。 そのうえで「自分はおおまかに『お金と時間』こそが幸せだ、と考えている。 重度・重複障害者を育てることは莫大なお金・時間を失うことにつながる」と主張した。 殺害を思い立ったきっかけとして「就任前のが演説で『世界には不幸な人たちがたくさんいる』と述べたのを聞いたことに感銘した。 過激派組織の活動もきっかけの1つだ」と述べた。 2018年1月には横浜拘置支所で時事通信社記者との接見取材に応じた際に「自分は責任能力はある」と述べた一方で「刑事裁判で死刑判決を受ける可能性が高い」と指摘されると 、「自分が殺したのは人間ではないから殺害行為の正当性を主張するつもりだ。 個人的には『20年程度のが妥当だ』と考えている」と述べた。 しかし記者から「刃物で刺す行為は安楽死ではない」と指摘されると「申し訳ない。 他に(殺害)方法が思いつかなかった」と初めて被害者に対する謝罪の言葉を述べた。 2019年4月には横浜拘置支所で接見した『』記者に対し「死刑になるのは嫌だ」と述べた。 2020年1月29日にも同紙記者と接見したが、その際には「自分でも死刑になるだろうと思っているし、死刑判決が出ても控訴するつもりはないが、死刑になるような罪とは思わない」と発言している。 社会への影響 措置入院制度の見直し議論と法改正の断念• によるのあり方について、解除の判断や解除後の支援体制、警察・関係団体との連携などが十分でなかったとの指摘が出ていることから、は再発防止に向けて措置入院の制度や運用が適切であったか再検証し、必要な対策を検討することをが指示した。 資格の不正取得事件が複数発覚しているが、その中の1人は犯人Uの措置入院に関わっていることが判明し、で指定医取り消し処分を受けた。 2016年9月14日に公表されたの中間報告 において、Uを措置入院させたと相模原市が、本来は退院後に必要なケアや復帰プログラムなどを検討しないまま、退院させていたことが明らかとなった。 また、措置入院させた北里大学東病院内には、薬物使用に詳しい専門の医師がおらず、外部に意見を求めることもなかったため、以後のを防ぐ手立てが何ひとつなされていなかったことも指摘された。 さらに、ほかの精神障害の可能性や心理状態の変化、生活環境の調査や心理検査が行われなかったことも問題とされた。 措置入院解除のときに必要な届け出に2点の不備があり、また病院とUの両親との間で理解に食い違いがあり「同居を前提とした」措置入院解除であったにもかかわらず、Uは実際には一人暮らしとなった。 届書に空白欄があったにもかかわらず、相模原市がその空白欄を追及しなかったため、精神保健福祉法で定められている「精神障害者の支援」の対象とならなかった点について、報告書は「相模原市の対応は不十分であった」と結論づけた。 2016年12月8日、厚生労働省の有識者検討会は最終報告書を発表し、措置入院後に「退院後支援計画」を義務づけることを表明した。 、障害者団体がや「患者の監視強化につながる」として反対するなか、厚生労働省が相模原障害者施設殺傷事件を受け「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律改正案」をに提出した。 参議院で審議されるも、改正の要旨に掲げた『相模原市の障害者支援施設の事件では、通り実施され、多くの被害者を出す惨事となった。 二度と同様の事件が発生しないよう以下のポイントを留意して法整備を行う』など数か所を、(29年)の参議院厚生労働委員会で削除する異例の事態が発生。 退院後にも関与する「退院後支援計画」などをめぐって議論が紛糾 、で改正案が成立するも、で審議入りもされないまま会期内に成立せず、ののち、にの冒頭で、により廃案となった。 (平成30年)、で第193回国会で廃案となった精神保健福祉法改正案の国会提出を、に断念することを固めた。 障害者団体や野党の反対が根強く、の審議にも影響しかねず、後任の厚生労働大臣も慎重姿勢のままであり、次回以降も同じ内容の法案を厚生労働省は提出しない考え。 (平成31年)ので、廃案になった精神保健福祉法改正案の提出を、の実施により、の会期延長が難しい日程を理由に、に改正案の提出を断念することが、共同通信社の取材で分かった。 「やまゆり園」のその後 施設の建て替え• 2016年9月13日、のは施設を管理していた社会福祉法人「かながわ共同会」の要望を受け、施設をすべて建て替えることを表明した(犯行現場となった居室などが使用できなくなったため、一時は30人以上が体育館で過ごすなどの状態に置かれていた。 その後、県内の他施設に移ったり自宅に帰ったりして、9月12日現在で約60人が園で生活している)。 11月16日には地元の公民館で県の説明会が開かれ、「60億円から80億円で翌2017年度から4年間かけて施設を全面的に建て替える。 その間、入所者は横浜市内の県立施設へ仮居住などするために全員が施設を離れる」などの説明が県からなされ、住民からは「絶対忘れてはいけない事件。 亡くなった方の名前も入れた、誰でも慰霊できる碑を造るべきだ」「基本構想の作成に障害者も加えるべきだ」「防災拠点にもしてほしい」などの意見が出た。 仮移転先はにある知的障害児施設「ひばりが丘学園」で、2017年3月に閉鎖し入所者が県内の新しい施設に移るこの施設を再利用する(移動は4月以降を想定し、園に残る約60人と別の施設に移った約30人も一緒に「ひばりが丘学園」に移る方向で調整している)。 2017年4月5日から21日にかけて、事件後も「津久井やまゆり園」で生活していた入所者約60人が「ひばりが丘学園」に転居し、「津久井やまゆり園園舎」への仮移転が行われた。 「やまゆり園」は4月中に閉鎖され、4年後の2021年の完成を目指して建て替え工事が行われる予定であるが 、同じ場所で建て替えられるかどうかは不透明な状況だという。 2017年4月27日に横浜市中区で5人の委員と県の担当者が出席した「津久井やまゆり園の再建の在り方を検討する部会」の会合が開かれ、意見の集約に向けた議論が行われた。 委員からは「複数の小さな施設に入所者を分散することが望ましい」という趣旨の意見が相次ぎ、部会として「入所者を地域生活に移行させるためには、これまでと同様の大規模な施設は前提としない」とする提言を、県に6月に提出する方針が決まった一方、神奈川県の担当者は「小規模な施設を複数作ることは、土地の確保の面から難しい」と述べた。 神奈川県内の障害者団体や有識者らが、(2005年成立)が障害者の地域社会での生活の支援を謳っていることを理由に、「大規模収容施設は、時代の逆行以外の何物でもない」と反発している。 被害者職員らの労働災害認定 、事件当日に施設で当直勤務し、事件を目の当たりにした女性職員3人が(PTSD)により一時期出勤できなくなったとして、相模原からの認定を受け 、ほか2人も労災を申請した。 その後、5人全員が4月14日までに労災を認定された。 2月3日に記者会見した園長によると、事件による退職者や休職者はいないものの、職員の一部は事件の影響で制限勤務を続けているという。 差別 が事件から1年となるのを機に全国の知的障害者の家族を対象にしたアンケートでは、回答した304家族の68パーセントが「事件後、を取り巻く環境悪化を感じた経験がある」と答えた。 また、同社が具体的な経験を複数回答で尋ねた結果、「インターネットなど匿名の世界での中傷」が31パーセント、「利用している施設・職員への不安」(Uが津久井やまゆり園の元職員だったことから)が28パーセント、「者への偏見」(Uに措置入院歴があることから)が23パーセント、「を恐れ障害のことを口にしづらくなった」が4パーセント、「本人や家族が直接、差別的な言動を受けた」が2パーセントだった。 アンケート結果について、識者からは「生きる価値は障害者もも変わらないことを社会は理解すべきだ」との声が出ている。 反応 日本国内 政府など 日本政府は「障害者施設における殺傷事件への対応に関する関係閣僚会議」を開催した(2016年12月9日)• ・は事件に対し「心からご冥福とお見舞いを申し上げる。 真相解明に政府も全力を挙げたい」と述べた。 また、のは「関係省庁と協力して再発防止策の検討を早急に行いたい」と記者会見上で述べた。 のは、7月26日午前10時からで保健福祉局幹部とともに記者会見し、「被害に遭われた方やご家族におかれては、あまりに突然のことでお慰めの言葉もない。 県も指導・監督する立場として心からお詫び申し上げる。 今後被害者支援をできる限り行うと同時に警察の捜査に全面的に協力し、再発防止に全力を尽くす」と謝罪した。 は2016年9月8日、「県立津久井やまゆり園で発生した事件の再発防止と共生社会の実現を目指す決議」を全会一致で可決した。 同年10月14日、神奈川県は「ともに生きる社会かながわ憲章」を制定した。 相模原市長のは「犯行の動機などその背景は明らかでありませんが、このような悲惨な事件が本市で起きましたことは心痛に耐えません。 障害を抱え、体が不自由な方々を標的にした、許されざる行為に対し、強い憤りを感じております」と事件を非難し、そのうえで犠牲者へのお悔やみと負傷者へのお見舞いのコメントを寄せた。 自民党の元参院副議長・は、犯罪予告やほのめかした人物、再犯のおそれのある性犯罪者などに対して、を埋め込むようなことも含めた議論をすべきとの考えを示した。 メディア• 『』の2016年7月27日の社説では、Uの事件前の言動と行政の対応に言及したうえで、「今回の事件は障がい者を標的にした犯罪『』である」と述べている。 このほか、『』 、『』 、『』 、『』 、『』 、『』 、 の記事に、本件犯行について「ヘイトクライム」という語を用いる例が見られた。 『中国新聞』の2016年7月27日の社説では、犯行を強く非難したうえで、「本人の生い立ちや人間関係はもとより事件に潜む社会的な病巣はないのか」と問いかけ、また障害者施設を含めた福祉施設の防犯対策を検討する必要があると指摘している。 『中日新聞』は2016年7月27日の社説で、Uの事件前の言動に言及したうえで、批判の矛先が行政や病院、警察に安易に向けられることについて、「そうした批判は、ともすると地域で暮らす精神障害者への差別や偏見を助長しかねない」と懸念を示した。 『毎日新聞』は2016年7月27日の社説で、犯行の動機について「軽々に判断すべきではない」と述べ、また事件のあった施設の防犯体制に言及して「障害者施設の運営上の課題を十分に点検すべきだ」と指摘した。 『毎日新聞』は2016年7月28日、『東京新聞』は2016年7月30日、肉体的生命を奪う「生物学的殺人」と同時に、人間の尊厳や生存の意味そのものを、によって抹殺する「実存的殺人」という「殺人の二重性」があるとのの指摘を、それぞれ掲載した。 『西日本新聞』は2016年7月29日の朝刊オピニオンで「はの大虐殺だけでなく、『』と呼ばれる非人道的な計画も実行した…」という題で、ナチスが7万人の障害者をユダヤ人と同じようにガス室で殺害した例をあげ、「が横行する社会に、亡霊を呼び寄せる黒い感情が満ちてはいまいか」と警鐘を鳴らした。 は本事件について、「障がい者大量殺害、相模原事件の容疑者はネトウヨ? 安倍首相、、、らをフォロー」と題した記事で、Uがツイッターでフォローしていたのは、いわゆる「が好みそうな政治家、文化人がずらりと並んでいる」と報じた。 これに対し、『産経新聞』オピニオンiRONNA編集部の白岩賢太編集長は、「Uの一方的な偏見と、国内外で広がりをみせる思想やを同等に論じるメディアや識者がいる」と発言、「犯人の誇大妄想とを無理やり関連づけ」たとして「強い嫌悪感を覚える」と批判した。 『産経新聞』鹿島孝一は、今回の事件を受けて、から「だ」「権力が乱用する恐れがある」として反対している「」を制度化するしかないのではないかと主張している。 『日本文化チャンネル桜』社長は、Uとなどの団体の思想の共通点を取り上げ、「日本人の発想ではない」と批判している。 その他• 者と家族で作る「」をはじめ 、多くの障害者団体が、Uが書いた障害者を侮蔑する内容の文言に対し、緊急の声明や障害者に向けた文章を発表した。 弁護士のは、のインタビューに答え、Uが障害者を同じ人間として認めず、強い偏見や差別意識をもっていたとし、「特定の集団や個人を標的とする、罪『ヘイトクライム』といえる」としが2016年4月に施行されたことを指摘して、「日本でもヘイトクライムを決して許さない取り組みが必要だ」との意見を述べた。 作家のは「この間の、障害者を十九人殺した相模原の事件。 あれは僕、ある意味で分かるんですよ」とUの行為に理解を示した。 川崎市中原区にある障害者施設の施設長は、「障害者を排除するという被告の極端な考え方は、施設で働いていたからこそエスカレートしたのではないか」と問題を提起した。 職員が障害者を主従関係で扱っているようになれば、「ほかの施設でも起きないとは限らない」という。 事件の背景には「社会に潜在する障害者への差別意識」があり、もともと社会からの風当たりが強い障害者施設で、さらに職員による障害者の管理が厳しくなれば、「みんな障害者を邪魔に思っているんだ。 差別して何が悪いんだ」という虐待の温床になりかねないと、障害者施設のあり方を問題視している。 津久井やまゆり園の元職員で、講師(社会思想史)の西角純志は拘置所にいる被告人Uと面会を続けている。 西角はやまゆり園の職員として2001年 - 2005年の間、亡くなった19人のうち7人の生活支援を担当していた。 やまゆり園の事件の背景には、被告自身の優生思想やヘイトクライム(憎悪犯罪)があるなどと言われているが、西角は面会を通して、被告人Uがもという言葉も、が障害者らを大量殺害した「」も知らなかったことがわかり、事件後の報道や差し入れられた本などで知識をつけ、結果的にそれを自ら犯した殺人を正当化するのに利用しているのだと感じたと述べている。 国際社会の反応• のは「障害者施設で事件が起きたことに強い嫌悪感を感じる」という主旨の声明を発表している。 のは「の一種」と批難し、「つらいときを過ごす人たちを想って祈りを捧げたい」と弔意を表した。 のは「無防備な障害者に対する犯罪は、その残忍さと冷徹さで衝撃を与えた」と弔電を出している。 は事件で人命が失われたことに「悲嘆」を表明し、「困難なときにおける癒し」を祈願した。 派生した事件・犯罪 事件発生後、これに関連・便乗した事件が発生した。 2016年7月29日、横浜市の障害者就労支援施設を破壊するとの予告メールを送った無職の男が、神奈川県警に容疑で逮捕された。 同年10月13日、の介護施設でこの事件を想起させる脅迫文がばらまかれた。 は威力業務妨害の疑いで捜査を開始した。 同年11月10日、の障害者支援施設へ脅迫電話がかけられた。 翌日、の無職の男が威力業務妨害容疑でに逮捕された。 関連書籍• 『現代思想2016年10月号 緊急特集=相模原障害者殺傷事件』 、2016年9月26日。 『相模原事件とヘイトクライム』、2016年11月3日。 、杉田俊介『相模原障害者殺傷事件-優生思想とヘイトクライム』、2016年12月20日。 藤井克徳、池上洋通、石川満、井上英夫『生きたかった 相模原障害者殺傷事件が問いかけるもの』、2016年12月27日。 『』取材班『妄信 相模原障害者殺傷事件』、2017年6月20日。 月刊『創』編集部 編『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』創出版、2018年7月20日。 編著『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』大月書店、2019年。 脚注 [] 注釈• 組織テロの・を除く。 この事件が発生するまでは(平成20年)に発生したの16人が最多であった。 (平成13年)に発生した()は44人の犠牲者を出しており、放火の可能性が疑われているが、火災原因が確定していないため、殺人事件からは除外されている。 なお、この人数は2019年の(36人)で更新されている。 殺害人数19人は(が関与し死刑判決を受けている)の17人(の12人との3人、これに加えて連合赤軍結成前の母体組織の1つであるによるの犠牲者2人の合計17名)を上回る。 ただし連合赤軍事件の被害者17名は、複数の事件による被害者の数の累計であるため、単独の事件・同日の犯行である本事件とは性質が異なる。 また戦前には本事件以上の犠牲者数を出した犠牲者数の殺人事件として、1938年(昭和13年)に大字行重(現:)で30人が殺害されたがあった。 また殺害人数19人は坂口(17人への殺人罪で起訴。 確定判決の認定は16人への殺人罪・1人への傷害致死罪)およびの(16人への殺人罪)を超え、らの死刑囚を除くととしては戦後最悪の数字である。 なお日本国内の大量殺人事件としてはにで30人が殺害された以来の被害であり、第二次世界大戦後では最悪である。 神奈川県警は当初、110番通報の時間を午前2時45分と発表していたが 、38分に訂正した。 法廷でも被害者名が明かされない可能性が出たことについて、関係者(被害者の家族・障害者団体など)の意見は「遺族や家族の要望を重視するのは当然」という肯定的なものや、「障害者であることを理由に特別扱いするなら差別だ」という否定的なものなどに分かれている。 横浜地裁は当初、被害者遺族側の「姓を明かさず名前だけで審理してほしい」という要望を「フルネームか匿名しか認めない」と拒否していたが、2020年1月14日に遺族が代理人弁護士を通じて上申書を提出したところ、地裁側は第3回公判当日(15日)に要望を認める決定を出した。 初公判前は2020年1月に11回・2月に13回の審理を行った上で2020年3月4日に論告求刑公判を行って結審する予定だったが 、公判中に公判日程4回が取り消されている(2020年2月12日時点)。 またかながわ共同会の公式サイトでは2020年2月20日 - 3月4日の公判予定がいずれも「予備日」とされている。 起訴時点から死刑求刑が確実視されていた。 出身地については「生まれ」 「日野市の(現:)生まれ」 などの報道があるが、2020年1月のNHK報道では「相模原市出身」となっている。 千木良小学校の進学先は相模湖町立北相中学校(現:)。 『東京新聞』では「東京都内の私立高校調理科」と報道されている。 大麻を吸い始めた時期は『産経新聞』 2016 では「(平成22年)ごろから」、『東京新聞』 2020 では「2011年ごろから」となっている。 Uは大麻を吸引している際に「大麻だけでは効かない」とさらにを吸うことがあったほか、後述の措置入院後も大麻・危険ドラッグを使用していた。 実際に被告人Uは「津久井やまゆり園を襲撃したあとで厚木市の障害者施設も襲撃するつもりだったが、やまゆり園で拘束しようとした職員に逃げられて失敗したため『警察に通報される』と思った上に『やまゆり園だけでも結構な人数の殺傷行為ができた』と考えたため断念した」と述べている。 入院中に、Uが『の思想が2週間前に降りてきた』と話していたとする証言もあるが 、障害者に対する差別思想について「ヒトラーと似ていることは施設側に言われて気付いたので、措置入院中に言ってみただけ」と供述しており 、家宅捜索ではナチス・ドイツ関連の資料が発見されなかったため「関連性は薄い」とみられている。 当時Uは預貯金がほとんどなく、親族の援助も得られる状態ではなかったことから、相模原市は同日 - 同月31日までの分として約18,000円を受給した (受給日は2016年4月3日)。 なお退院後、措置入院担当から生活保護担当の部署に詳しい病状・言動の情報は引き継がれなかった。 出典 以下の出典において、記事名に被告人の実名が使われている場合、この箇所をUとする。 また時刻はとする。 2016年7月26日. の2016年7月26日時点におけるアーカイブ。 2016-07-26分. の2017年6月28日時点におけるアーカイブ。 2017年6月28日閲覧。 ホームページ 2016年4月1日. 2017年6月23日時点のよりアーカイブ。 2017年6月23日閲覧。 , pp. 1-3. 2017年6月23日閲覧。 の2017-06-23時点におけるアーカイブ。 裁判所ウェブサイト. 2020年2月3日. 2020年2月13日時点のよりアーカイブ。 2020年2月13日閲覧。 , 病的な思考ないし思考障害によるものについて. 2020年3月16日閲覧。 の2020-03-16時点におけるアーカイブ。 2020年3月31日閲覧。 の2020年3月31日時点におけるアーカイブ。 読売新聞オンライン 読売新聞社. 2017年2月24日. の2017年2月25日時点におけるアーカイブ。 2017年2月25日閲覧。 朝日新聞デジタル 朝日新聞社. 2017年2月24日. の2017年6月23日時点におけるアーカイブ。 2017年6月23日閲覧。 産経新聞 産業経済新聞社. 2017年2月24日. の2017年6月23日時点におけるアーカイブ。 2017年6月23日閲覧。 2016年7月26日. の2017年6月22日時点におけるアーカイブ。 2016年7月26日. の2016年8月17日時点におけるアーカイブ。 2016年8月17日閲覧。 読売新聞オンライン 2019年7月20日. 2019年9月30日閲覧。 2016年7月27日. の2017年6月22日時点におけるアーカイブ。 2017年2月25日閲覧。 産経新聞 産業経済新聞社. 2016年12月24日. の2017年6月22日時点におけるアーカイブ。 2017年2月27日閲覧。 産業経済新聞社. 2016年7月27日. の2017年6月22日時点におけるアーカイブ。 2017年6月22日閲覧。 朝日新聞デジタル 朝日新聞社. 2016年7月28日. の2017年6月23日時点におけるアーカイブ。 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植松聖の家族について調査!本人の生い立ちや事件後の現在についても考察!

植松 さとし 家族

相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件で、殺人の罪などに問われた植松聖(さとし)被告(30)に対する裁判員裁判の判決が16日午後、横浜地裁であり、死刑が言い渡された。 重傷を負った尾野一矢さん(47)の父剛志(たかし)さん(76)は判決後に記者会見し、死刑判決について「ほっとした。 遺族が本当に求めていた量刑が裁判員に伝わったのはありがたい」と話した。 剛志さんは「被告の一挙手一投足を見たい」と、全公判を傍聴した。 植松被告に「少しでも謝罪や反省の態度が見えれば」と思い、被告を観察したが、「一度もそれが見えず、ひとごとみたいに座っていた。 本当にがっかりした」と無念さを口にした。 2016年7月の事件から判決までの3年8カ月を「長くて長くてつらい日々だった」。 この日の朝は「裁判長の言葉を心に刻みつけよう」と思ったという。 「判決は通過点として前を向いていきたい。 遺族の方も、少しはほっとして喪に服せると思う」と話した。 現在、一矢さんが地域で暮らす準備を進めている。 「息子も元気になった。 自分たちが身をもって、障害を持っていてもちゃんと生きていけるということを伝えていきたい」(林瞬).

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「長くてつらい日々だった」 死刑判決で被害者家族 [やまゆり園事件]:朝日新聞デジタル

植松 さとし 家族

相模原事件の裁判が始まってから、ほぼ毎日、横浜に通う日々だ。 公判のなかった1月14日は植松聖被告の接見に行ったから、1月8日以降、平日は毎日、横浜に行っていることになる。 続いて1月20日以降も毎日、公判が入っている。 しかも、いよいよ山場の被告人質問が始まる。 植松被告が事件後初めて、刃をふるった障害者に謝罪する意向であることは、1月14日の接見でわかったが、さてそれを彼はどう語るのか、ぜひ傍聴したいが、またものすごい倍率の抽選になるのだろう。 行ってみないと傍聴できるかどうかわからない。 ちなみに14日の接見については下記で報告したので未読の方はご覧いただきたい。 翌朝小指は噛みちぎったー相模原事件・植松聖被告が面会室で語った驚くべき話 1月15日の第3回公判では、最初に殺害された女性が初めて甲Aでなく美帆さんと法廷で呼ばれたのだが、その母親の調書を検事が朗読するのを聞きながら、思わず泣いてしまった。 障害のある娘を大変な思いをして育て、絆も感じていたのに、その娘を殺されたというのでは、理不尽すぎて、遺族の心情を思うと涙が出た。 隣に座った津久井やまゆり園の入倉園長も途中から泣いていた。 私は傍聴していて涙を流すことはこれまでも何度かあるのだが、今回は最前列の席だったから、ちょっと目立ちすぎてまずいなとも思った。 植松被告にも見られただろうし(苦笑)。 でも遺族の証言は、施設のあり方を含めていろいろ考えさせられた。 この話は近々書くことにして、その前にここでは1月17日の第5回公判での、植松被告の元交際相手女性Aさんの証言を紹介しよう。 証言台に立った植松被告の元交際相手 前から可能なら話を聞きたいと思っていたのが、植松被告の両親と、このAさんだった。 この女性は植松被告の両親とも会っているし、両親公認の「彼女」だ。 ただ、実は植松被告は、事件を起こす直前に、ある女性と「最後の晩餐」をするのだが、これがまた別の女性。 その最後に会った女性については、接見時に植松被告に確認したが、つきあっていたわけではないと言っていた。 二人の女性とも警察の事情聴取は受けていると思うが、最後に別の女性に会っていたというのは、Aさんとしては心中穏やかではないはずだ。 だから裁判のこんな早い段階に、出廷して証言したということに驚いた。 検察側が頼み込んで、Aさんとしては相当な覚悟で臨んだのだろう。 その法廷では、衝立でAさんは弁護側と傍聴席から見えないようにされていた。 Aさんとしても、植松被告と顔をあわせたくないという気持ちだったのだろう。 そしてAさんは、最初に検察側からの質問に答え、続いて弁護側から反対質問を受けたのだが、ちょっと驚いたのは、弁護人が最後に「これは聞きにくいことなんですが」と言った後、「つきあっていた女性はほかにもいたと思われていました?」と聞いた。 女性は「ほかにもいたと思います。 彼にそのことを聞いたことはないですが」と答えたのだが、その後、再び検察官が質問する際、「大丈夫?」「ごめんね」と言っていた。 Aさん自身は傍聴席からは見えないのだが、恐らくかなり動揺して、泣きそうになっていたのだろう。 女性は検察側証人だから、その証言を弁護側が崩そうとするのは仕方ないが、意を決して法廷に姿を見せたAさんに「ほかにもつきあっていた女性がいた」という質問はいささか酷ではないかと思った。 Aさんの証言は、事件に至るまでの植松被告の普段の言動がどの時点でどう変わっていったかというもので、検察側は直接証言してもらうことで、植松被告の事件への計画性などを立証しようと考えたのだろう。 それにしても名前と顔を伏せてとはいえ、植松被告と交際していたことを根掘り葉掘り法廷で尋ねられるというのは、相当のプレッシャーだったはずで、よく証言台に立ったと、女性の勇気に感心した。 傍聴していて驚いた「新日本秩序」の話 女性の証言は概ね、これまで植松被告自身から聞いていた経緯と重なるものだが、随所に重要な内容を含んでいた。 傍聴席にいた私が驚いたのは、犯行前の2016年5月に、Aさんが植松被告に見せられた文書に「新日本秩序」とタイトルが書かれていたという話だった。 「新日本秩序」とは、2017年8月に植松被告から『創』編集部に最初に送られてきた獄中ノートにびっしり書かれていた彼の考えをまとめた文書に書いてあったタイトルだ。 彼はそれを冊子にしたかったようなのだが、表紙のデザイン案も付けられていた。 表紙に「創」の文字が見えるのは、彼が『創』に掲載するか、『創』編集部で冊子にしてほしいと考えたからだろう。 『創』編集部に送られた「新日本秩序」(筆者撮影) 重度障害者の大量殺害を、植松被告は主観的には世直しと思い、安楽死思想を含む自分の考えを体系化させていたのだが、今回の証言でわかったのは、事件の2カ月前にそれはできていたということだ。 この「新日本秩序」については、相模原事件についてまとめた『創』編集部編の『開けられたパンドラの箱』(創出版刊)にも一部収録したし、雑誌『創』では2017年10月号で「植松被告がしたためた『獄中ノート』の中身」と題して7ページにわたって紹介した。 Aさんが見たというのは、その獄中ノートほど長文ではなかったような証言だったが、その時期から植松被告は、自分の考えや世界観を体系化させようと考えていたらしい。 そのほかにもAさんの証言には重要なものが多々含まれていた。 何よりもその証言を顔は見えないとはいえ肉声で聴けたのは貴重なことだった。 以下、その証言の主な部分を、法廷でとったメモをもとに紹介していこう。 二度目の交際時には前と違っていた 検(検察官、以下同)あなたが被告人と交際していたのはいつ頃ですか? A 2014年8月頃からお付き合いし、冬に一度お別れしました。 その後、2015年9月に彼から電話を頂いて、冬にまたお付き合いが始まりました。 検 最初にお付き合いした頃、既に被告人はやまゆり園で働いていたと思いますが、障害者に対して「生きていてもしょうがない」といった考えを話していましたか? A そういうことは全く聞いたことがありません。 一度、やまゆり園の近くで入所者を見かけたことがあるのですが、「あの人は可愛いんだよ」と言っていました。 検 あなたが一度別れた理由は何だったのでしょうか。 A 私と会うのをドタキャンしたりすることが多かったので、もっと一緒の時間を作りたいよと言ったのです。 そしたら「友人と会う時間を削ってまでお前と会うつもりはない」と言われました。 衝撃的な言葉で、涙を流しました。 彼は言ったことを曲げない人なので別れることにしたのです。 検 2015年にまた交際が始まって、被告人が前と変わったなと思うところはありましたか? A (入所者への)ネガティブなワードが増えました。 「生きてても意味ない」「生産性ないから」といったことです。 「あいつら人間でない」「どろどろの食事食べていて…」などと言っていました。 検 「殺す」と言っていましたか? A 殺すというワードよりも、「俺がやる」と言っていました。 検 どうして悪く言うようになったのでしょうか。 A コミュニケーションとるのが難しかったり、介助しててもお礼の言葉を聞くことがない、それに給料も安いし、何のために仕事してるのかわからなくなった、と言っていました。 検 あなたはそれに反論しましたか? A (入所者を)支えているご家族の存在もあるし、一人一人の人権も尊重すべきだし、家族の思いを考えると賛同できないと言いました。 検 それに対して被告人はどう反応しましたか? A 強い口調で「お前、まじで言ってんのか」と言われました。 検 そんなことしたら刑務所に入るよという話をしたことはありましたか? A しました。 でも根拠もなく「何とかなるよ」という返事でした。 検 彼は友人にもそういう話をしていましたか? A 友人にも話しており、「わかってくれるやつはわかってくれる」と言っていました。 検 実際に賛同した人がいると思いましたか? A 思っていなかったです。 適当に流したのが同意と受け取られたのかと思いました。 2016年初めにはトランプやイスラム国に関心 以下のやりとりは、いつ頃の出来事か曖昧なまま進んでいくのだが、状況を総合すると2016年1~2月のことだろう。 当時、アメリカ大統領選でトランプが立候補し、テレビでそのニュースが流れていた。 またイスラム国が人質を殺害するニュースもテレビで流れていた。 そうした世界的な動きにも影響されて、一気に植松被告は事件に至る障害者観に染まり、2月に衆議院議長公邸に殺害を予告した手紙を届ける。 検 その頃、被告人はどんなことに興味を持っていましたか? A トランプさんに対して、この人は大統領になると言っていました。 またイスラム国とか、(フィリピンの)ドゥテルテ大統領とか、ネットニュースで見ているようでした。 賛同するというか、権力ある人が発信する言葉の雰囲気に影響を受けていました。 検 どんな点に共鳴していましたか? A 国境の壁を作ったり、皆が(遠慮して)言わないようなことを言葉にしていると言ってました。 検 当時、被告人がイルミナティカードに興味を示していたと思いますが、きっかけは何だと言っていましたか? A テレビの番組で知ったと言っていました。 ネットで調べたとも言ってました。 カードについてのエピソードとかも話してくれました。 検 その頃、彼の様子が変だと思ったことはなかったですか? A 特に感じませんでした。 検 事件の前に彼は措置入院するわけですが、それについてはどう言ってましたか? A 措置入院した時にはお母さんから連絡がありました。 退院した翌日か翌々日には彼から電話がありました。 検 どんな様子でしたか。 A 前と変わらず元気でした。 検 退院について何か言ってましたか? A 医者をだましたと言ってました。 当初は強く抵抗したけれど、その後は聞き分けの良い子を装ったと言ってました。 検 大麻についてはどう言ってましたか? A 体に良くないのでやめた方がいいよと言ったのですが、気分良くなるし、ほかの国では合法なんだよと言ってました。 検 あなたはやめろと強く言いましたか? A 言わなかったです。 やめた方がいいよと言った時に「やってもないのに言うなよ」と表情が変わったのです。 検 大麻を使っているところを知ってましたか? A 振り返ってみればあれがそうだったのかと思うことはあります。 彼の行動をみていてどうなのかと思うことがあったし、タバコを幾つか選んで吸う時に見たら、タバコの先がよれていました。 コンビニでタバコを買ってきて、小袋に入ってる茶色のものをタバコの先に入れていました。 検 タバコの先に詰め替えていたのは大麻でしたか? A 措置入院したことをきっかけに(大麻が検出され)そうなんだと思いました。 検 吸った時に変わった様子はありましたか? A 少し元気になったり、楽しそうな感じになりました。 検 退院後に被告人は生活保護を受けるわけですが、どうして支給が認められたか言ってましたか? A うつ病と言ってました。 役所に行く時にも「うつ病のふりしてくるから」と言ってました。 ケースワーカーの方がいらっしゃる時には「今からふりしてくる」と言ってました。 どこかでばれるよ、と言ったのですが、「そんなの大丈夫だよ」と言っていました。 検 その頃、障害者への発言はどうでしたか? A ネガティブな発言でした。 「生産性ない」とか「生きてても仕方ない」と言っていました。 検 事件についてどう言ってましたか? A 先駆者になる、刑務所に入っても世間の人がわかってくれてすぐに出てくると言っていました。 検 どうしてそう考えたのでしょうか? A トランプ大統領とか過激な発言で称賛を浴びたりしてしていたし、自分もそこに入りたいと言ってました。 映画をDVDで見て「これだ!」と 次に紹介するのは植松被告が後に心失者という概念を作り上げていくうえできっかけになった映画の話だ。 Aさんの証言は、全体として、これまで植松被告が語っていたことと符合するのだが、この映画の話はこれまであまり知られていなかったような気がする。 検 映画を見て障害者について話したことがあったそうですね。 A 「テッド2」の映画をDVDで自宅で見ていた時、人権についての話になりました(注:この記事では最初、「ペット2」と書いていたが読者から「それは『テッド2』だ」というご指摘があった。 1月22日付で修正する)。 映画でテディベアの人形に人権を与えることができるのかという議論があったのですが、自己認識できることが人間だという話に、「俺が言いたかったのはこれだ」と興奮していました。 肩を叩いて、「これだ」と目を輝かせていました。 退院して翌月くらいだったと思います。 検 彼と一緒にやまゆり園の関係者に会ったことがありましたか? A 5月頃にコンビニでお会いしました。 彼が敬語で話していたので先輩にあたる方かと思いました。 ヘコヘコしている感じでした。 恰幅の良い男性でした。 検 どんな話をしましたか? A (彼がやめた後)園の方でも体制変わったり、対策とられたり、防犯カメラ設置したよと言ってました。 彼は「どこについたんですか」と聞いていました。 でも先輩は「お前、本当にやめろよな」と彼に言い、私にも「よく言ってあげて下さいよ」と言いました。 検 先輩と別れた後、彼はどんなことを言ってましたか? A 怒った口調で「まじで、そういうこと言うなよな」と言ってました。 検 あなたは5月頃に彼から書いたものを見せられたそうですね。 A 「新日本秩序」とありました。 「ニュージャパンオーダー」とも書いてありました。 大麻の合法化とか書いてあったと記憶しています。 検 その後、恋人としてお付き合いは続けていたのですか? A 続けていました。 7月上旬に大阪に旅行に行ったり楽しく過ごしました。 検 彼はその間に美容整形をしたわけですね。 A 見た目がいい方がトクだと言ってました。 整形した後、俺の言うこと聞いてくれるようになったと言ってました。 検 体も鍛えていたのですね。 A ジムに行って体を鍛えていました。 プロテインを飲んだり、ムエタイをやったりしていました。 検 彼との間で予定していたことがあったのですね。 A 8月には花火大会とか格闘技を見に行こうと話してました。 私の仕事の都合でどちらかしか行けないとなったら、彼の都合で格闘技を優先していました。 〔注〕実際にはこの7月26日未明に植松被告は事件を起こす。 だからAさんとの8月の約束は何だったのか謎だ。 施設の仕事を「一生懸命やっても報われない」と 検 被告人の性格をどう思いますか? A 楽観的、自分の意見を曲げない、目立ちたがり屋の面があります。 出かける場所を決める時も彼の意向を優先していました。 DVDを借りる時も、こっちの方が見たいと言っても彼が提案した方に決まっていました。 検 最初に別れた時も自分勝手と思いました? A そうですね。 検 人によって接する態度が変わることはありましたか? A きれいで可愛い人には紳士的で、ふくよかな女性にはぞんざいに接していました。 刺青の先輩とか地位のある人には、尊敬しているという態度でした。 検 被告人に借金があることは知ってましたか? A ありました。 100万かそのくらいだったと思います。 督促の電話が入って、低姿勢で対応していましたが、終わってからは「こんな電話、意味ねえよ」と言っていました。 検 あなたにも借金していましたか? A 脱毛に行くからというので2~3万円、あるいは4万円くらい貸しました。 検 それは戻ってきましたか? A 返ってきていません。 検 被告人の車の運転はどうでした? A 荒い運転で、対向車線にはみ出したり、一般道で100キロくらい出してました。 検 あなたはなぜ彼と別れなかったのですか? A 一緒にいて楽しい場面もたくさんありました。 私のことを考えてくれたり、仕事の後に迎えにきてくれたこともありました。 ご両親にもお会いしたし、私にとっては大切な人でした。 検 やまゆり園を辞めたことで何か言ってましたか? A 現場に関わることで、彼の中でも疲弊したこと、彼の中で屈折したものはあったようですが、いい方へ向かっていくのかと思っていました。 一生懸命やっても報われない、(入所者に)お礼の言葉も言ってもらえないと言ってました。 検察側の立証趣旨は… 以上が検察官からの質疑応答だ。 この後、弁護側の反対質問があり、さらに検察側から、そして裁判員と裁判官からも質問があったが、長くなるので割愛しよう。 この法廷は、Aさんを衝立で区切るなどしたため、傍聴人などの入廷退廷にいつもより時間がかかり、Aさんの証言は10時半の開廷から午後2時頃までかかった。 そして休憩の後、2人目の証人として実名・顔出しで証言したのは、事件当時、やまゆり園の前に住んでいた男性だった。 防犯カメラを自分で設置していたようで、植松被告の車が侵入前に停まり、殺害後に立ち去るのも見ていた。 植松被告の車のバンパーが壊れていたのを、ぶつけてしまったのかと思い、手を貸そうと近づいた。 犯行前に植松被告に「大丈夫ですか」と声をかけたところ「大丈夫です。 やまゆり園の人間です」と答えたという。 検察官は「ろれつが回らないとか、不審な様子はありましたか?」「薬物を使っているような様子はありましたか?」などと証人に尋ねたが、証人は「ありません」という答えだった。 検察官がこの証人を呼んだのは、事件当時、被告が大麻を吸った影響で心神喪失状態だったという弁護側の主張を崩す目的だろう。 犯行後、植松被告が車で走り去った後には、結束バンドが落ち、血痕が見られたなどと証言した。 なお相模原事件については、月刊『創』に掲載したものを1冊にまとめた書籍『開けられたパンドラの箱』を創出版から刊行してある。 事件に至る経緯について植松被告がどう語っていたかも書いてあるので、Aさんの証言と付き合わせてみてほしい。 〔追補〕この記事と、その前に植松被告に接見した話を書いた記事には大きな反響があり、記述についてもいろいろな指摘を受けた。 映画のタイトルは「ペット2」でなく「テッド2」だという指摘も受けて、1月22日に記事を一部修正した。 [追補2](2020年3月4日)上記の元彼女の証言記載について、3月3日に植松被告に接見した際、事実関係について訂正してほしいという要望が出された。 植松被告は「お金は返しました」と言う。 「でもそれは彼女が法廷でそう言ったことだから」と言ったが、「いやそこは曖昧な証言だったと思います」と主張した。 念のために、他の傍聴した人がまとめたメモも確認したが、やはり元彼女の発言は同じだった。 ただ確かにその質問を受けて答える際に、彼女は少し間をあけ言いよどんでいた。 記憶をたどってどう答えるか一瞬考えていたのは確かだ。 いずれにせよそれについては彼女の法廷証言の際の思い違いの可能性もあるし、どちらが正しいかと言ってもあまり意味はない。 植松被告本人が「借りたお金は返したので、返してないというのは誤りだ」と言っていることは明記しておこう。

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