朝鮮 かるた。 韓国人の実態を反映している「朝鮮カルタ」

衝撃のかるた発見!昭和40年代の子供はこれで遊んでいたの?

朝鮮 かるた

道具 [ ] 文字札・絵札ともに、46枚ずつの札がある。 一音につき一セットの読み札・取り札が用意されている。 文字札・読み札 - 取り札の絵の内容を書いた短い文章が書かれており、読み手(多くは大人)が声に出して読む。 絵札・取り札- 読み札の内容を描いた絵と、読み札の文言の頭文字がひらがなで目立つように書いてあり、読み札を読むのに合わせて取り人が手を出して札を取る。 ただし、では絵はなく和歌の下の句が書かれている。 ルール [ ] 2人以上で行う。 取り札を平面(畳の上が多い)に広げ、取る人に見やすくする。 読み人が読み札を読む。 できるだけ早く、読み札に合った取り札を叩く(はじく、または押さえることもある)。 先に叩いた方がその札を手に入れる(札を取る)。 全ての読み札、取り札がなくなるまで繰り返す。 より多くの取り札を取った方の勝ち。 子供が文字を覚えるための遊びでもある。 起源 [ ] はポルトガル語だが、同様の遊戯は日本とポルトガルとの接触前からあったものと考えられている。 元々は、の二枚貝の貝殻をあわせる遊び「貝覆い()」である。 これとヨーロッパ由来のカードゲームが融合し、時代頃に今日の遊び方となった。 日本のかるたは、16世紀末頃、筑後国三池(現在の)で作り始められたと言われており、大牟田市には三池カルタ・歴史資料館がある。 古典的ないろはかるた [ ] 47文字に対応した「いろはかるた」が最も古典的で有名である。 なお、やに必ずしも準拠しているものではない。 を使っているが、内容は、・など、などで各々異なっており、地方の特色が表れて、「 郷土かるた」も各地に存在する。 「 犬も歩けば棒に当たる」で始まるものは、江戸かるた(犬棒かるた)である。 以下に示すものは伝統的な札の一例である。 2012年現在市販されているものには、一部の札が差し替えられているものも多い(「ゐ」「ゑ」「京」の削除対象も含む)。 「良薬は口に苦し」はもともとは慣用仮名遣いの「れうやく」、「れ」の札だったが(字音仮名遣いでは「りやうやく」)、現代仮名遣いの「りょうやく」、「り」の札に配置変更され、元の「り」の札、「律義者の子だくさん」が不採用となったこともある。 こういった時代に合わせた変化については賛否両論となっている。 江戸 上方 尾張 い 一寸先は闇 ろ 六十の三つ子 は 針の穴から天覗く に 憎まれっ子世にはばかる 二階から目薬 憎まれっ子頭堅し ほ 仏の顔も三度 惚れたが因果 へ 屁をひって尻すぼめる 下手の長談義 と 年寄りの冷や水 豆腐に鎹 遠くの一家より近くの隣 ち ちりも積もれば山となる 地獄(ぢごく)の沙汰も金次第 地獄の沙汰も金次第 り 律義者の子沢山 綸言汗のごとし 綸言汗のごとし ぬ 盗人の昼寝 る 類をもって集まる を (「老い」は「おい」が正しい) 鬼も十八 (「鬼」は「おに」が正しい) 鬼の女房に鬼神 わ 破れ鍋に綴じ蓋 若いときは二度ない か の瘡 かさ うらみ かえるの面に水 陰うらの豆もはじけ時 よ 葦(よし)のずいから天井のぞく 夜目遠目傘のうち 横槌で庭掃く た 旅は道連れ世は情け 立て板に水 大食上戸餅食らい れ れうやく(良薬)は口に苦し (「良」は「りやう」が正しい) 連木で腹切る そ 袖の振り合わせも他生の縁 つ 月夜に釜を抜かれる 爪に火をともす ね 念には念を入れよ 寝耳に水 な なす時の閻魔顔 習わぬ経は読めぬ ら 楽あれば苦あり 来年の事を言えば鬼が笑う 楽して楽知らず む 無理が通れば道理引っ込む 馬(むま)の耳に風 無芸大食 う 氏より育ち 牛を馬にする ゐ 芋の煮えたもご存じない (「芋」は「いも」が正しい) 鰯の頭も信心から (「鰯」は「いわし」が正しい) 炒り豆に花が咲く (「炒り」は「いり」が正しい) の 喉元過ぎれば熱さを忘れる ノミと言えば槌 野良の節句働き お く 臭いものに蓋をする 臭い物に蝿がたかる 果報(くゎはう)は寝て待て や 闇に鉄砲 闇に鉄砲 ま 負けるが勝ち まかぬ種は生えぬ 待てば甘露の日和あり け 下駄と焼き味噌 下戸の建てた蔵はない ふ 文はやりたし書く手は持たぬ 武士は食わねど高楊枝 武士は食わねど高楊枝 こ 子は三界の首枷 これにこりよ道才坊 こころざしは松の葉 え 縁と月日 閻魔の色事 て 亭主の好きな赤烏帽子 寺から里へ 天道人殺さず あ 足元から鳥が立つ 阿呆につける薬はない さ 三遍回って煙草にしょ 竿の先に鈴 触らぬ神にたたりなし き 聞いて極楽見て地獄 鬼神に横道なし 義理と褌かかねばならぬ ゆ 幽霊の浜風 (「幽」は「いう」が正しい) 油断大敵 め 目の上のこぶ 盲の垣のぞき 目の上のこぶ み 身は身で通る 蓑売りの古蓑 し しはん坊の柿のさね 尻食へ観音 ゑ 縁は異なもの味なもの (「縁」は「えん」が正しい) 縁の下の舞 ひ 貧乏暇なし 瓢箪から駒 (「瓢」は「へう」が正しい) 貧僧の重ね食い も 餅は餅屋 桃栗三年柿八年 せ 急いては事を仕損じる せんちで饅頭 背戸の馬も相口 す 粋は身を食う 雀百まで踊り忘れぬ 墨に染まれば黒くなる 京 京の夢大阪の夢 京に田舎あり その他のかるた [ ] 日本各地に、その地方の伝統や名物などを読み込んだかるたがある。 代表的なものに、全域で親しまれているがある。 それ以外にも北海道弁かるたや津軽弁かるたなど、各地方でCD付きのかるたも発売されている。 こうした「郷土かるた」は千数百種類に達するとみられる。 キャンペーンとして、かるたが作られることもある。 たとえば1938年、社会局保険部が標語を募って「健康いろは歌留多」が作られた。 その他、・番組のキャラクター等を用いたかるたも多く市販されている。 文学のかるた [ ]• - お宮と富山の出会いの場がかるた会である。 脚注 [ ] []• 同じ地域でも内容にはバリエーションがある。 編『大阪ことば事典』(講談社、1979年 (講談社学術文庫版))付録の「いろはたとえ」(765-772頁)にはいろはかるたの成立過程についての考察に加え、アンケート、および実例に基づく明治期の大阪を中心としたいろはかるたのバリエーションが採録されている。 『日本経済新聞』朝刊2018年4月16日(文化面)• 王子製紙 1938年 参考文献 [ ]• 『実用ことわざ 慣用句辞典』 編修所編、三省堂、1987年• 外部リンク [ ]•

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韓国人の実態を反映している「朝鮮カルタ」

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アマゾンランキング急上昇に草 ある方が怒りのツイートを流したところ、 アマゾンランキングが一気に上位にたった。 、89,773位から12位へ急上昇 出版社によると、発売前から3刷ということですごい。 朝鮮かるたの一部とは? 画像を見ると、ことわざとイラストが右に、 解説とことわざができた背景が左に載っている。 画像クリックで拡大できるよ 背景知識がないままカルタを読むと「ひどい」が、 新聞やネットで朝鮮半島に関する情報を知ると、 妙に納得できてしまい、笑ってしまう。 例えば「 自分の食えない飯なら灰でも入れてやる」 ネットで調べていたら、朝鮮のことわざなるサイトを見つけた。 参照:【ごまの韓国講座】 画像にあることわざ解説を読むと、 「確かにオリンピックの時、日本に対してそんなことしていたな」 妙に納得してしまい、笑ってしまうよ。 参照: ほかの内容として• 女は三日殴らないとキツネになる• 嘘もうまくつけば稲田千坪にもまさる• 悪口は祝福の言葉 本書紹介韓国ことわざの出典元 『朝鮮の俚諺集』高橋亨、日韓書房、1914年 『韓国俚諺集』相場清、日韓親和会発行、1971年 『対訳注解韓国ことわざ選』若松實、高麗書林、1975年 2ちゃんねらー創作だと思ったら、 実際にあってびっくりした。 お互いを知る事から、真の友好が始まる。 朝鮮のことわざをカルタ風のイラストと共に楽しく学んで頂き、 お互いの理解が少しでも深まれば嬉しく思う。 著者は朝鮮の方々を揶揄する目的でなく、 日韓の間にある溝が少しでも埋まればよいなあ。 そう考えてこの本を出版したそうだ。 日本のかるたも「犬も歩けば棒に当たる」といったことわざがあり、 人間の愚かなことや理にかなったことなど、 いろんな側面から「かるた」として出されているね。 なお、出版社はこのようなコメントを出している。 現在の日本では差別的表現とされる可能性のあるものが一部含まれています。 ことわざが生まれた当時の時代背景を鑑み、また朝鮮民族の文化を尊重するため 少しは間柄が縮まるのだろうか? 私はある程度距離をもって接したほうが良いと思っている。 最悪な場合は縁を切ったってかまわないと思っている。 本当、嫌な奴は縁を切る。 相手がどんな顔をしようが情けをかけない。 世の中いろんな人間がいる。 不幸をネタにゆすってきたり、 恩を仇で返してのうのうと生きていたり、人のものを勝手に盗んだり…… 不幸をエサにして生きる人間は日本人だっている。 民族は関係ない。 裏を返すと人種みな平等というか。 人生の辛酸をなめた人が読むと、きっと深い共感が得られるはず。 基本、 異国は日本と文化や思考、常識が違う。 そう考えてお読みいただくと、異文化理解に役立つと考えている。 — どーも僕です。 (どもぼく) domoboku 2019年に私費で開かれたあいちトリカエナハーレ2019で、 なんと朝鮮かるたが出品されたよ。 元はあいちトリエンナーレの昭和天皇を燃やす映像ほかへの、 カウンターとして設置された出品だけど…… 詳しくはこちらで語っている。 朝鮮かるたを日常会話に活かす使用例 パクネ将軍の名言「韓国独立に中国から力を貸して貰った」 この後来そうな適切なことわざはこれだ。 あるいは何かを述べた。 すぐにかるた一覧から探し、適切な言葉を見つける。 引用しながら語るのがいい。 結果として• 「しゃしゃったらコミュニケーションが高いわ、お話面白いわ」• 「物知りだなあ、表現力豊かだなあ」 相手にそう思われると私は考えている。 ことわざを上手に扱う場合は 感受性を鍛えなければならぬ。 その訓練として古典を勉強するとよい。 ティラノスクリプトや小説家になろう、ピクシブ他で物語を書きながら、 「私が気になった事件」の裏側を作家の視点で書いているおっさん。 プロフィール画像は自画像でなく、Megabe-0ブログのマスコット、めがびちゃん。 雷が苦手で、光を見ると頭が固まる 元から固い。 月初めは墓参りと神社参拝を行い、賽銭箱へ1万円を入れた際、とても気持ちがすっきりした。 暇さえあれば母乳を吸って、ご飯を4膳食べても体重が落ちるほど、母のダイエットにものすごく貢献したらしい 3歳:行方不明になり、全裸で海を泳ごうとしたところ、いとこのお姉さんに発見され、この世へ留まる 8歳:自分のお金でおもちゃのカードを初めて買い、経済を知る。 なぜか父親に怒られ、家出するがすぐに見つかる。 12歳:学校で給食委員長になる。 委員長として初めて全校生徒の前にて演説する際、原稿用紙を忘れてアドリブで笑いを誘いながらも何とかやり過ごし、多くの生徒に名前と顔を覚えてもらう。 また、運動会の騎馬戦では変なアドリブを行い、多くの笑いを誘った。 18歳:初めて好きな人ができたけれど、告白が恥ずかしくてついにできず、別れたことを今でも根に持っている 妻となる人にははっきり言えてよかった 21歳:大学在学中、アルバイトを始める。 実家でとことん自分を責める日が続く。 「何をやっても駄目だな、お前は」など。 自分を責めても自殺ができず、体中から毒素があふれ出て苦しい日々を送る。 寝るのも怖かった日々。 28歳:「このままじゃいけない」決心を決め、小学校からの勉強をやり直す。 高校の勉強で躓きながらも、学び直すうちに「自分は何もわかっていなかったんだなあ」大切な教えに気づかされる。 加えて、小説やイラストなど「今までの自分が手を出さなかった分野」に手を伸ばしてみた。 29歳:「定義」と「自己肯定」こそが生き方を決めると気づかされ、不安な日々が起きても、心が強くなったと感じる。 でも子供の誘惑にはめっぽう弱くなる。 35歳:人生初の交通事故 物損 に出会う。 冬道の運転で車を上下に大回転 スピンではない を体型氏、何とか命を取り留め、なぜ生きているのかわからない状態に陥る。 自分の生き方はすべて自分が握っている。 わずかな瞬間にしか現れない「自分の真実」を表に引きずり出し、ピンチからチャンスを生み出す発想や視点をブログやメルマガ他で提供中。

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朝鮮かるた 1 : еопое=еёжЭЮЯабЧЦХЛθ

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さて、朝鮮半島の「花闘(ファトゥ)」に戻ろう。 第二次大戦後の朝鮮半島では「花闘(ファトゥ)」が盛んに用いられた。 そこでは、用具としては、植民地当時に「移入」されたものの残品、日本からの密輸品、貿易再開後は輸入品もあったが、多くは自国内での国産品が用いられていた。 朝鮮半島での花札の歴史に関心がある私としては、韓国と北朝鮮の双方での「花闘(ファトゥ)」の遊技事情を知りたいと念願していた。 まず、韓国においては、1980年代以降、しばしば訪問する機会があり、その時期に現に使用されていた「花闘(ファトゥ)」を入手することができた。 それは、プラスチック製で、戦前の「切りっぱなし」の伝統のままに制作され、図柄では「柳に人物」の札に朝鮮貴族の「両班(ヤンパン)」が描かれ、「芒に満月」の札の満月の中に戦前の兎の餅つきの図に代わるカルタ屋の商標か何か別の図像が加えられており、四十八枚の札の外にエキストラ・カードが四,五枚あるものである。 北朝鮮花札・花闘(中国延辺朝鮮族自治区製、 1990年代、『花札・かるた展』) 一方、北朝鮮については、日本から送られた日本製の花札以外にはなかなか出会うことがなかった。 ある時、当時箱根で行っていたウォー・ゲーム仲間の国際政治学者が北朝鮮に招待されて訪問するというので、現地滞在中に何とか見つけてきてほしいと頼んだところ、帰国後の土産話で、最高首脳とお会いする機会があったので直接に依頼しようとしたところ、お付きの者が慌てて飛んできて、わが国にはそういうものは一切ございませんのでと発言を封じられたということであった。 あきらめかけていた頃に、大阪商業大学アミューズメント産業研究所の研究員であった梅林勲から、東京の神田神保町にある北朝鮮の物産店に同国の国産品があるという情報を得た。 急いでその店に行って尋ねたがすでに売り切れていた。 ただ、これについては、幸いなことに、同研究所の報告書『花札・かるた展』に掲載されることとなった。 それによれば、これは中国吉林省延辺朝鮮族自治州で作られて北朝鮮に輸出された「花闘(ファトゥ)」であり、図柄的には韓国のものとほぼ同じであるが、エキストラ・カードはない。 韓国で言えば、プラスチック札が登場した時期よりも一時代昔の古典的な花札の構成である。 北朝鮮での花闘の実在を証明したおそらく世界で唯一の貴重な史料であろう。 その学術的価値は大きい。 韓国花札・花闘、木版版木 (丸正印、1950年代、 韓国国立民俗博物館蔵) こうしてみると、朝鮮半島での「花闘(ファトゥ)」の歴史と現状のおぼろげな姿が見えてくるが、ただ、韓国での、1970年代にプラスチック製の「花闘(ファトゥ)」が出回る以前、1950年代、60年代に用いられていた紙製の「花闘(ファトゥ)」の時期の史料が欠落していて、長い間探していたが発見することができなかった。 ソウル市内にある国立民俗博物館には、この紙製花札の時期の丸正印のメーカーによる木版の版木があり、その刷り出しとともに展示されていたが、同館に問い合わせても紙製花札の実物は見つからなかった。 ネットでは、「ポルトガルのトランプが花札に変わったように、1950年代に、かつて「花闘(ファトゥ)」を韓国式に変えようとする試みもあったのですが、ローカライズに失敗し、代わりに札が1ミリ程度の薄いプラスチック材質で床に叩きつけるとカタカタと音のする面白いものに変わりました」とする見解も公表されているが、これでは、すでに1950年代にプラスチック化が進行したような誤解を生む表現である。 1950年代、60年代の朝鮮戦争で荒れ果てた国土の韓国に、石油化学工業が成立していて、社会の主要な需要に応え、さらに「花闘(ファトゥ)」のような周辺の品物までプラスチック化できたほどの生産の余力があったとは考えられない。 プラスチック化は「漢江の奇跡」の高度成長経済のもたらした1970年代以降の変化であった。 ところが、意外なことに、紙製の「花闘(ファトゥ)」はアメリカにあった。 コレクター仲間の友人が経営しているトランプのコレクション・アイテムの販売店で数点、それを発見して、分けてもらうことができた。 それは、韓国国内では見たことがないものであった。 「桐」のカス札上の制作社名表記が「玉川堂」「富民社」などと漢字表記であり、韓国政府が漢字廃止宣言をして、「花闘(ファトゥ)」の制作者表示もハングルに改められた1970年代よりも前の1950年代、1960年代のものであることが分かる。 片田舎のカード・コレクション・ショップのウインドケースの片隅に忘れられたように置かれていた古びた紙製の「花闘(ファトゥ)」には、朝鮮戦争の戦場となった韓国とそこで闘った米軍兵士の戦後史の重みが感じられた。 なお、その後、韓国国内で、ニ、三点であるが、1960年代後半期の紙製の「花闘(ファトゥ)」も見つけて入手できた。 その中で最もおかしかったのは、紙製の札が紙製の箱に納まっている「オリオン」印の花闘である。 このカルタ札を収納する紙箱の表面には「ナイロン花闘」と書いてある。 1970年代以降、プラスチック製のものが新製品として人気を得るようになっていったが、それの予兆の時期に、それにあやかったのか、紙製なのにプラスチック製と表示したのであろう。 紙製の「花闘(ファトゥ)」からプラスチック製の「花闘(ファトゥ)」への転換期を示す面白い史料だと思っている。 韓国製の日本向け花札 こうした紙製花闘の歴史の最終章に日本のかるた屋が絡んでいる。 昭和後期後半(1975~89)のことであるが、東京のニチユー(日本遊戯玩具社)は、花札に伝統的な縁返し(へりかえし)の技法を残している韓国のかるた屋に発注して、安価な花札の制作を試みた。 だが、期待した品質が確保できなくて、早々に撤退した。 この韓国製の日本花札は、図柄としては日本国内で制作したものと全く区別がつかず、わずかに、韓国側で透明なセロファン紙に包んでその上にMADE IN KOREAとある丸印を捺し、それを日本に輸入して再度ニチユーの包装紙で包んで販売されていた点だけが韓国製であることを示していた。 この花札はほとんど日本の市場に出回ったことがないが、私は、当時、ニチユーの本社で、経営者から、発注と撤退の経緯の話と共に分けてもらったかるた札そのものを持っている。 これが多分、韓国で作られた最後の紙製花札であろう。 いっぽう、「花闘(ファトゥ)」の遊技法の歴史であるが、第二次大戦以前の同時代的な文献、資料は多くは残されていない。 この種の遊技については、風俗史、文化史、地方史的な視点からの研究と、民俗学的な研究がありうるが、前者は成果が乏しい。 この書は、朝鮮半島の遊技について詳細な紹介を行っている。 但し、キューリン自身は日本と中国では現地での調査を行ったものの韓国は訪問せず、それに代えて、イギリスの外交官で、朝鮮、中国で勤務していたW. Wilkinson の現地調査と資料提供に依拠したものであったが、そこでは、朝鮮に伝統の骨牌、紙牌類の詳細な紹介はあるものの、「花闘(ファトゥ)」についての言及はない。 いっぽう、第二次大戦後については、「花闘(ファトゥ)」は本当に古い時期から親しまれていたほかの遊戯品と並ぶ、伝統的な遊技用品、娯楽品と理解されている。 昭和三十九年(1966)に韓日両国で出版された『韓国、その民族と文化』では、「花闘(ファトゥ)」は、「古来の遊戯と娯楽」の一種として、「投壺」「ぶらんこのり」「板とび」「たこあげ」「擲柶」「陞卿図」「双六」「骨牌」「錢打」「ゼギ蹴り」「囲碁」「将棋」「麻雀」とともに紹介されている。 ちなみに、「現代的な韓国の娯楽」に挙げられているのは「玉つき」「狩猟」「社交ダンス」「カメラ」「飼鳥・養魚」である。 両者を合わせて、「遊技・娯楽」編を担当した徐尚徳は、「花闘(ファトゥ)」についてこう説明している。 花闘 花闘は、日本の花札または花カルタに似たものである。 これは、四八枚の札に花鳥をえがいて勝負をする遊戯の一種である。 この四八枚を、四枚ずつ一組に分け、各組に一月から一二月までの月名をつける。 つまり、月あたり四枚ずつの相札をつくり、一月は松、二月は梅、三月は桜、四月は黒はぎ、五月はらん、六月はぼたん、七月は紅はぎ、八月は名月(坊主)、九月は菊、一〇月はかえで、一一月はきり、一二月は雨という。 花闘は五点札が一〇枚、一〇点札が九枚、二〇点札が五枚となっていて、総点数二四〇点とする。 「光」といえば二〇点札のことで、松、桜、坊主、きり、雨を合わせて五光という。 「ヤク」(花闘あそびにおける用語で、一種の特権をいう)は一般にかえで、草(らん)、菊、雨の四種で、各四枚もてばいい。 「青タン」はかえで、ぼたん、菊の五点札(青帯)三枚をそろえればよいし、「紅タン」とは松、梅、桜の五点札(紅帯)三枚のことである。 しかし、近来は六〇〇点満点の六百とか、ナイロンパンとかいうのがはやっており、「ヤク」や「タン」の計算法もまちまちであり、また、ひまつぶしによく行われている占いの方法も、多種にのぼる。 花札を用いるばくちの方法も、またさまざまであって、これは、もっとも大衆化した室内娯楽にぞくする反面に、悪弊も少なくない。

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