やわ 肌 の あつき 血汐 に ふれ も 見 で さびし から ず や 道 を 説く 君。 「柔肌の熱き血潮に触れもみで 寂しからずや道を説く君」与謝野晶子『みだれ髪』より

「柔肌の熱き血潮に触れもみで 寂しからずや道を説く君」与謝野晶子『みだれ髪』より

やわ 肌 の あつき 血汐 に ふれ も 見 で さびし から ず や 道 を 説く 君

運命の人・与謝野鉄幹 21歳のとき、晶子は創刊されたばかりの文芸誌「明星」に夢中になる。 短歌の革命児・与謝野鉄幹が主宰する明星は、花鳥風月ばかり歌う短歌の伝統を破り、青春の思いを若者がロマンチックに歌い上げていた。 それは恋に憧れる晶子の心をひきつけた。 そんなある日、大阪で開かれた歌会で、晶子は鉄幹に出会う。 理想を高らかに語るその姿、さらに「いい歌を作りたいなら恋をしなさい」という自由な思想の鉄幹に、晶子は恋をする。 しかし鉄幹に恋したのは晶子だけではなかった。 歌会に参加したもう一人の女性歌人・山川登美子もまた鉄幹に思いを寄せ、さらに彼には東京に内縁の妻までいた。 複雑な恋模様に晶子は巻き込まれていく。 しかし「みだれ髪」の出版は、晶子の結婚後の生活に意外な結果をもたらした。 晶子は時代のスターに、一方、夫の鉄幹は歌人として忘れられた存在になっていった。 鉄幹は自信を失い、家を出ては浮気を繰り返すようになってゆく。 あまりにも違った結婚の理想と現実。 晶子にとっても、この恋をあきらめようかという時が幾度とあった。 そんな中、晶子はある行動に出る。 自らの短歌を書いた屏風を売り、お金を集め、かねてから鉄幹が憧れていたヨーロッパへ送り出したのだ。 異国の地で新たな刺激を受けた鉄幹は再び精気を取り戻す。 その様子を手紙で知り、「君もおいで」という言葉を読むと晶子は無我夢中で鉄幹を追いかけヨーロッパへと向かった。 そして晶子は恋を取り戻したのだ。 2人は11人の子供に恵まれ、生涯を伴侶として過ごした。 「みだれ髪」から始まった恋を、晶子は大切に守り、恋に生きることのすばらしさを自らの人生で証明した。 そして「みだれ髪」は傑作となったのだ。

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「柔肌の熱き血潮に触れもみで 寂しからずや道を説く君」与謝野晶子『みだれ髪』より

やわ 肌 の あつき 血汐 に ふれ も 見 で さびし から ず や 道 を 説く 君

金色の ちひさき鳥の かたちして 銀杏ちるなり 夕日の岡に (読み方:こんじきの ちいさきとりの かたちして いちょうちるなり ゆうひのおかに 作者と出典 この歌の作者は、 「与謝野晶子(よさの あきこ)」です。 激しい恋情と若い女性の官能を大胆に歌い上げた第一歌集『みだれ髪』により、近代日本の文学界におきな衝撃を与えます。 情熱的な歌風はしだいに沈静化していき、幻想的・浪漫的なものに転じていきました。 また、この歌の出典は、 1905年に刊行された 『恋衣』です。 この歌集は、与謝野晶子・山川登美子、増田雅子の合著詩歌集です。 この中には、弟への想いを詠んだことで有名な【君死にたまふことなかれ】の歌も収録されています。 現代語訳と意味 解釈 この歌を 現代語訳すると・・・ 「まるで金色の小さな鳥が舞うように銀杏の葉が散っています。 夕日に照らされて輝く岡に。 」 という意味になります。 黄色に色づいた銀杏の葉が、ひらひらと茜色に染まる岡に散っていくという情景を色鮮やかに表現しています。 まるで一枚の絵画を見ているかのような、美しい情景が広がります。 晩秋という季節にぴったりの耽美的な歌といえるでしょう。 文法と語の解説• 「ちひさき」 「小さし(ちひさし)」の連体形「ちひさき」です。 「小さい」「幼い」といった意味があります。 「銀杏」 葉は扇形をしており、美しく黄葉することから短歌にもよく詠まれてきました。 「銀杏」の漢字表記では、種の実を指した場合に多く使われています。 一般的には「植えると孫の代になって実がつく樹」の意味から「公孫樹」と表します。 「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」の句切れと表現技法 句切れ 句切れとは、 意味や内容、調子の切れ目を指します。 歌の中で、感動の中心を表す助動詞や助詞(かな、けり等)があるところ、句点「。 」が入るところに注目すると句切れが見つかります。 この歌の場合は、「銀杏ちるなり」と終止形が用いられており、「。 」を打つことができるので 「 四句切れ」となります。 比喩法 比喩とは、 物事の説明や描写に、類似した他の物事を借りて表現することをいいます。 印象を強めたり、感動を高めたりする効果があり、短歌では良く使われる技法です。 この歌では 「黄葉した銀杏の葉」を「金色の小さな鳥」に喩えています。 「~のかたち」という言葉から比喩表現だとわかりますが、その後に「して」という動詞と結合し動作性を加えることで、まるで銀杏の葉が散っていくうちに小さな黄金の鳥へと姿を変え、あたりを飛び回っているかのように感じさせます。 倒置法 倒置法とは 、 語や文の順序を逆にし、意味や印象を強める表現方法です。 短歌や俳句でもよく用いられる修辞技法のひとつです。 この歌でも本来の意味どおり文を構築すると・・・ 「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」が詠まれた背景 この歌は 明治38年(1905年)の『明星』一月号で発表され、同年に刊行した山川登美子、茅野雅子との合同歌集『恋衣』に収録されています。 タイトルは著者三人が所属した東京新詩社の主催者であり、与謝野晶子の夫でもある与謝野鉄幹がつけたといわれています。 内容は、登美子「白百合」 131首、雅子「みをつくし」 114首、晶子「曙染」 148首の歌が収められており、 女性の地位が低かった時代において女性だけの歌集は珍しく、重版も続き、賛否の声も多かったようです。 明星派ではなかった歌人・若山牧水も自身の日記に、「『恋衣』を購入し寝るまで読んだ」と記しており、読者の関心の高さが伝わります。 さらにこの歌は同年の『明星』二月号で、評論家・生田長江が次のように述べています。 「女史が奔放限りなきファンタジアの力に驚嘆するばかりでなく、亦何となく女王の御前に導かれて行きでもするかのような、一種おごそかな感じが起こる」 浪漫主義歌人の晶子を女王と讃え、刊行当時から高く評価されていたことがうかがえます。 「金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に」の鑑賞 晩秋の黄昏時、夕日をうけてきらきらと輝くように舞い落ちる銀杏の葉。 それを見て、 まるで金色の小鳥のようだと感動する作者の心情が詠まれています。 豊かな想像力によって生み出されたこの比喩から、銀杏の葉が秋風に吹かれる様子でさえ、自らの意思をもって舞っているかのような 躍動感が伝わるようです。 また、銀杏の葉や夕日といった溢れるばかりの色彩だけでなく、上の句に「金」・下の句に「銀」を置くことで、文字上でも華やかな印象を与えています。 そして、次第に「鳥に見立てられた小さな銀杏の葉」という近景から、「雄大な夕日の岡」という遠景へと描写を広げ、 奥行きある歌の世界を創りだしています。 晶子は目の前の光景を動画のような映像感覚で捉え、何ともドラマチックなシーンで描いているのです。 自身の思いを力強く歌う歌風で知られている晶子ですが、自身を排除した徹底的な風景描写においても、芸術的な才能があるといえるでしょう。 作者「与謝野晶子」を簡単にご紹介! (与謝野晶子 出典:Wikipedia) 与謝野晶子( 1878年~ 1942年)は、明治から昭和にかけて活躍した女流歌人です。 大阪府堺市の老舗和菓子屋の三女として生まれ、本名は与謝野(旧姓は鳳)志ようといい、ペンネームを晶子としました。 幼少の頃から『源氏物語』など古典文学に親しみ、尾崎紅葉や樋口一葉など著名な文豪小説を読みふけりました。 正岡子規の短歌に影響を受け、 20歳の頃から店番を手伝いながら和歌を投稿しはじめます。 1900年に開かれた歌会で歌人・与謝野鉄幹と不倫関係になり、鉄幹が創立した文学雑誌『明星』で短歌を発表します。 鉄幹の後を追い実家を飛び出した晶子は、鉄幹の編集により処女歌集『みだれ髪』を刊行します。 命がけの恋心や今このときの自身の美しさを誇らかな情熱を持って歌い上げた作品が多く、明治の歌壇に大きな衝撃を与えました。 晶子の著作で最も有名な歌に、 1904年に発表した「君死にたまふことなかれ」があります。 この歌は、日露戦争の真っ只中にあって、内容が国賊的であると激しい批判を受けました。 これに対し「誠の心を歌わぬ歌に、何の値打ちがあるでしょう」と反論し、一歩も退くことはありませんでした。 5万首もの歌を残した晶子ですが、歌人だけでなく作歌・思想家など幅広い分野で精力的に活動しています。 『源氏物語』初の現代語訳に取り組み、婦人運動の評論家として社会に貢献する大きな功績を残しました。 「与謝野晶子」のそのほかの作品 (与謝野晶子の生家跡 出典:).

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俵万智チョコレート語訳

やわ 肌 の あつき 血汐 に ふれ も 見 で さびし から ず や 道 を 説く 君

教科書掲載の短歌一覧 文法と語の解説 ・やわ肌…柔肌 やわらかい肌 ここでは女性の肌、体のことを指す ・血汐…「血潮」が現代の表記に多く使われる ・道…人の守るべき義理。 ・で=助詞(打消の接続助詞) 「さびしからずや」 からずや…打消しの疑問の意を表す「ないで…だろうか」 「さひしからずや」の品詞分解 打消しの助動詞「ず」+係助詞「や」 表現技法 ・4句切れ 関連記事: 解説と鑑賞 道を説く君に向かって、挑発的ともとれる問いを投げかけるこの歌は、当時センセーショナルであった『みだれ髪』の中でも特に物議をかもした作品の一つである。 「君死にたもうことなかれ」もそうだが、「君」という二人称に向かって少しも物怖じすることなく、思うことや考えをはっきりと述べられる強い女性像は、この時代にはそれだけでも特異なものであったと思われる。 「やわ肌の」の一首の構成 歌そのものは、「やわ肌のあつき血汐にふれもみで」が一つのまとまりとなってる。 そのあとが、問いを投げかける形でいったん終わる4句切れ。 そして、この歌が誰に向かって投げかけられているのかが、「道を説く君」とその相手が示されている。 「さびしからずや」の普遍的な問い 「道を説く君」のあとに「は」が入れば、倒置法なのであるが、「君よ」の「よ」を省略した問いかけとして読まれるのがいいだろう。 「道を説く」は、君の属性を示す一種の説明でもあるので、それを上句に入れないことの方が、むしろ、呼びかけている相手との近さが含まれ、普遍的な問いになる。 以上の語順も一首の効果を考えられてのことであったろう。 というのは、下に示すように、この歌は自分の事かと作者与謝野晶子に問いかけてきた人がおり、そのような普遍化もまた、作者の狙うところであったと思われる。 それだけに相手の内面に迫る問いが、大胆にも短歌に持ち込まれたのである。 「道を説く君」のモデルは誰か この「君」のモデルには、特定の人物があったかどうかが議論されてきた。 もっとも文学作品というのは、一見事実のように見えても、事実とはかけ離れているものも少なくない。 それゆえ、モデルの詮索はあまり意味はないと思われるが、ただしこの歌に関しては、実在の人物から与謝野晶子に何らかの問い合わせのような言及があり、与謝野晶子が手紙の中で、その人物に謝りの言葉を書き送ったというエピソードがある。 関連記事: 与謝野晶子の知人の僧侶 問いてきた相手は晶子の古くからの知人の僧侶であったようで、職業上、女性と隔たって「道を説く」ことも当然なので、そう思われたのかもしれない。 しかし、いくら与謝野晶子といえども、いくら何でも僧という立場の人に思いついた歌とはあまり思えない。 しかも上句の「やわ肌のあつき血汐にふれも見で」とは、やはり誰にでもいえることではないと思われる。 「君」に与謝野鉄幹説も 後年は、やはり投稿していた与謝野鉄幹主宰の短歌結社新詩社の、鉄幹にあてて書いたものだろうという説が有力となった。 交際を始めたころは鉄幹には妻があり、さすがに晶子をいさめたりしても当然と思われるが、晶子はそれを不服としたのであったのかもしれない。 ただし、歌人同士のこととて、作品に誇張があるということは、双方が承知の上の事であったろう。 歌集『みだれ髪』の反響 いずれにしても、大胆を通り越してあまりに型破りなこの歌をはじめとして、官能的で奔放な恋愛を詠う『みだれ髪』は、ほとんどスキャンダルめいた「毀誉褒貶」の歌集、今の言葉でいうと「きわもの」すれすれのものとして世に現れ、当時の歌壇にもたらした反響や評価はいかばかりであったろうと思われる。 もっとも最初はこのように取られたのであったとしても、誰もがそののちに晶子の才能を認めるようになったのも、また当然のことである。 いずれにしても、このようなことが言い得る与謝野晶子と鉄幹の関係、そしてこのような歌をも広く取り入れた結社詩『明星』の雰囲気もベースにあったに違いない。 そのような発表の場があって、この時代に女性というハンディをものともせずに、のびのびと与謝野晶子がその詩才を花開かせることができたのは、大変に幸運なことであったと思わざるを得ない。 与謝野鉄幹は、夫として以上に指導者としても十分な役割を果たしたともいえるのではないだろうか。

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