エジプトにいた奴隷をエジプトからイスラエルまで連れ帰る途中に海があった。 陸からは王の軍勢が追いかけてきた。 そこを逃げる為に海が割れたんです。 その時地震がきて海が割れたのか、神が割ったのかは不明。 地震だったら津波でやられているはずだけど... そういう大きな地震が他の地方でその頃あったらしいです。 で海の水が引っ張られて左右に別れたかな? 持っていた杖 おそらくアロンの杖 を降ったら海が割れたそうです。 アロンの杖はイスラエルの3種の神器です。 でその後シナイ山で神の言葉を印した十戒のはいった箱を授かります。 大理石で出来た二枚の板でその箱をアークといいます。 モーゼが数年ぶりに山を下りると、民が金色の牡羊を崇めていて、 その偶像崇拝の罪で、イスラエルに入るのが10年程遅れたそうです。
次のモーセの十戒のお話は、旧約聖書の出エジプト記に出て参ります。 十戒と言うのは、シナイ山に於いて、神様がモーセを通じて与えた、人々が守るべき戒律(神様の法律)です。 そして、この神様が人類に御与えになられた戒律が、現代の多くの国々の国家の法律の根幹になって居ます。 …以下が、我々が守るべき、神様の法律です。 第一戒 私のほかに、ほかの神々があってはならない。 第二戒 偶像を造ってはならない。 第三戒 主の御名を、みだりに唱えてはならない。 第四戒 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 第五戒 貴方の父と母を敬え。 第六戒 殺してはならない。 第七戒 姦淫してはならない。 第八戒 盗んではならない。 第九戒 偽りの証言をしてはならない。 第十戒 貴方の隣人の家を欲しがってはならない。 …以上が十戒です。 初めて、キリスト教を学ぶ皆さんは、少々わかりにくいと思いますので、これから解説して参ります。 まず、第一戒と第二戒の意味に付いてご説明致します。 そもそも、イスラエルの民はエジプトに430年程居りました。 当初は、エジプト王パロに優遇されて居たのですが、次第にパロの奴隷にされて行きました。 イスラエルの民が居た頃のエジプトは、太陽神ラーをはじめとする多神教で、それらエジプトの神々の偶像が造られました。 そして、エジプトの人々は、人が造った偶像を神と崇めて拝んだのです。 イスラエルの民の中にも、エジプトの神々の偶像を崇拝する者が多く居て、この事を神様は、十戒の中で叱って居られます。 日本人の多くも、古代エジプトと同じで、様々な仏像を拝みますが、これこそが、神様が禁止された偶像崇拝なのです。 (神と仏は異なりますが、考え方は同じです。 ) 「神様は唯一であり、唯一の神のみを礼拝しなければいけません。 」 次に、第三戒と第四戒の意味に付いてご説明致します。 この二つの戒律は、神様の礼拝にも秩序が必要である事を解いて居ます。 簡単に言えば、礼拝のルールみたいなものです。 また、「主の御名を、みだりに唱えてはいけない。 」と言う戒律には、もう少し深い意味があって、インチキな宗教家が、神様の名前を都合良く使い、民衆からお金を取る行為を戒めてもいます。 (現代でもよくある行為です。 ) その次の、第五戒、第六戒、第七戒に関しては、当たり前と言うか、これさえも守れない様では人間失格と言う様な教えです。 そして、最後、第八戒、第九戒、第十戒ですが、これは隣人を愛するキリスト教らしい教えです。 最初の人類は、神様により創造されました。 今の私達は、その人類の血を引き継ぎます。 つまり、私達は誰もが兄弟姉妹であります。 だからこそ、自分勝手に生きて、他の兄弟を傷つける様な事は、絶対しては行けないと教えて居ます。 …これら十戒は、神様と人類との契約です。 この旧約聖書での戒律を100%守れる人は居ないはずです。 では、我々に神様の救いはないのでしょうか? いいえ、そんな事はありません。 旧約の次の新約(キリスト以降の新しい神様との契約)によって、全ての人が救われる事を知る事になります。 …旧約を守れない私達は、全てが罪人です。 その罪人である我々の罪を赦す為に、キリストは自ら生け贄になり、その流した血によって、私達の罪を消して下さったのです。 「これら律法の本当の目的は、私達をキリストに導く事なのです。
次のモーゼの十戒とは? モーゼの十戒 (モーセの十戒:英語ではTen Commandments)とは、紀元前16世紀または紀元前13世紀頃に実際に存在したとされる人物「モーゼ (エジプト生まれのヘブライ人)」が、神から与えられたとされる10の戒律のこと。 当時、古代の民族指導者的立場だったモーゼは、奴隷同然に扱われていたヘブライ人をから救い出す命令を神から受け、多くのヘブライの民達を従えて約束の地を目指すことになります (この中では有名な「海が割れる」エピソードも含まれる)。 その道中、シナイ半島 (アラビア半島とアフリカ大陸北東部にある半島)にあるシナイ山の山上に神が現れ、この10の戒律(十戒)をモーゼに与えることになるのです。 ちなみにこの十戒は、2つの石板に掘られる形で記されており、それは神の意思であるとされています。 モーゼの十戒が誕生した時期やあり方に関する主張 モーゼの十戒は、出エジプト記ある通りに解釈すれば、モーゼが生きた時代、つまり紀元前13世紀から紀元前16世紀に誕生したものになります。 しかし一方で、モーゼの十戒は、イスラエルにおける法律及び聖職者の伝統を要約したものだとする主張もあり、この主張ではまた、十戒が作られたのはモーゼが誕生した時代よりもっと後、具体的には紀元前750年以降ではないかと言います。 またモーゼの十戒は、古代世界にとって新しい事はほとんど含んでおらず、古代中東に共通する道徳感を反映したものであるとする解釈もあります。 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 あなたはいかなる像も造ってはならない。 上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。 わたしは主、あなたの神。 わたしは熱情の神である。 わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。 みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。 安息日を心に留め、これを聖別せよ。 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。 あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。 六日の間に主は天と地と海とそこにあるすべてのものを造り、七日目に休まれたから、主は安息日を祝福して聖別されたのである。 あなたの父母を敬え。 そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる。 殺してはならない。 姦淫してはならない。 盗んではならない。 隣人に関して偽証してはならない。 隣人の家を欲してはならない。 隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなど隣人のものを一切欲してはならない。 」 (引用元:『新共同訳 旧約聖書』出エジプト記20章2節〜17節) モーゼの十戒を簡潔にまとめると また、各戒律に番号を振って簡潔にまとめたものは、以下の通りです。 モーゼの十戒の意味 モーゼの十戒について、その歴史的な背景から実際の日本語訳までを紹介してきましたが、ここからは、モーゼの十戒の意味をもう少し噛み砕いて見ていきたいと思います。 今回、この意味の解釈に関しては、を参考にしている点は事前にご了承ください。 「わたしのほかに神があってはならない。 」の意味 この戒めは、偶像崇拝および偽の神々や女神達を信じることを禁じ、「唯一の神」を信仰するよう主張しているもの。 例えば、黄金の子牛を作ること、イシス (エジプトの女神)に対して寺院を建てること、の彫像を崇拝することなどを禁止しています。 「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。 自らの魂と心の奥底からから真に神を崇拝するならば、神の名を何度も唱えることなく、自然と情熱と活力を込めて神を敬うことになるだろうと戒めています。 「主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。 」の意味 決められた安息日を設けて、神を敬うようにするべきという意味の戒律。 ユダヤ教の安息日(主日)は、金曜の夕方の日没から始まって土曜日の日没まで続き、キリスト教のカトリック、プロテスタント、正教会は、日曜日を安息日としています。 「あなたの父母を敬え。 」の意味 この戒めは、子供も大人も両親に敬意を示すよう義務づけているもの。 子供は両親に従わなければならず、大人は老齢になったり、病気になったりした両親の世話をして、敬意を示さなければならないという道徳的な意味が含まれます。 「殺してはならない。 」の意味 ヘブライ語からの訳では、「貴方は殺人をしてはいけません(Thou shalt not murder)」となるよう。 この戒律は、無実の人を殺すことは殺人と見なされる一方、自身の生命を守るために不条理な侵略者を殺す (正当防衛で殺してしまう)ことについては、殺してしまった事実は変わりませんが、殺人または不道徳とはみなされないと考えられているそうです。 「姦淫してはならない。 」の意味 この戒めは、不道徳な性行為、姦通、特に他人の配偶者との性交や配偶者を欺く性交を禁じる意味を持ったもの。 また、未婚の者同士の性交、売春、ポルノ、同性愛行為、マスターベーション、グループセックス、レイプ、近親相姦、小児性愛、獣姦、および屍姦などの性行為も含まれるとされます。 「盗んではならない。 」の意味 この戒めは、他者の財産を尊重することに焦点を当てたもので、他人の財産を奪う行為を禁じています。 また、カトリック教の解釈によれば、金銭や財産に関して他人を欺く、労働者の正当な賃金を払わない、1日の労働に対する十分な対価を支払わないことも非難する意味があるとしているようです。 加えて、横領、詐欺、脱税、および破壊行為は、すべてこの戒めに反する行為であると考えられます。 「隣人に関して偽証してはならない。 」の意味 第8の戒めは、嘘への非難を意味しているもの。 神は全ての真実の創造主であるとみなされるので、人間が真実に忠実であるべきだとしています。 つまり、意図的に嘘をつくことで他者を欺いたりしてはいけないという戒めになります。 「隣人の妻を欲してはならない。 」の意味 この戒めは、第6の戒めと同じように、不道徳な性行為に対する意図的な欲望と憧れを禁じているものですが、特に婚姻関係にあるもの以外の性行為に関して強調しています。 キリスト教のカソリックの中では、人間の性行為は神からの贈り物であるため、正しい性行為は神聖であり、それは同時に正しい婚姻関係の中で行われるべきとして考えられているようです。 「隣人の財産を欲してはならない。 」の意味 この第10の戒律は、他人が所有する財産を羨んだり、奪い取ることを禁じたもの。 他の人々が所有しているものに対する盗難や、財産を持っていることに対して嫉妬することを非難しています。 合わせて読みたい世界雑学記事• モーゼの十戒に興味を持った人は、映画「十戒」を見てみると、また違う発見が出来るかもしれません。
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