胸先三寸 意味。 舌先三寸の意味・例文・類語!口先三寸と誤用する人はこんなに多い!

「胸三寸」とは?意味や使い方を由来を含めてご紹介

胸先三寸 意味

「あんた、かなり酔ってるね。 目がすわってるよ」 「仕事に就いても、腰がすわらずにすぐ辞めてしまう」 「こうなったら、腹をすえて仕事に取り組むぞ」 「大胆なことをするやつだなあ。 さすが、肝がすわってる」 なんていうこと、よくありますね。 そういうときは、「すわる」を「座る 坐る 」と書かずに、 「据わる」と書きます。 「腹が立つ」ことはあっても、「腹が座る」ことはないのですね。 同様に、目・腰・胆も、それ自体がどこかに座るということはありません。 「座る」ではなく「据わる」と書けば、 ある位置にどっしりと落ち着いて安定するという意味になります。 「舌先三寸」を 「舌三寸」といっても間違いではないのですが、「口三寸」「口先三寸」という言い方はしません。 それにしても、「舌三寸」と「舌先三寸」は同じ意味なのに、どうして「胸三寸」と「胸先三寸」ははっきり区別されているのでしょう。 そもそも、三寸って何? 三寸といえば一寸の3倍のことですね。 かね尺で約9センチ、鯨尺で約11センチになるのだそうです。 要するに、三寸くらいのものといえば、短いとか薄いとか狭いとかいう意味になるらしいのです。 そこから、「胸三寸」という言葉ができたようです。 「割れ鍋 破れ鍋 に綴じ蓋」 われなべにとじぶた というのです。 「割れ鍋」と書いてもよいし、 「破れ鍋」と書いてもよい、とされています。 いずれの場合も、読み方は「われなべ」です。 これを私は長年、「割れ鍋に閉じ蓋」だと思い込んでいました。 正しくは 「綴じ蓋」ですが、 私は 「閉じ蓋」と書いてきたのです。 私の間違いでした。 よく考えてみれば、私の書き方「割れ鍋に閉じ蓋」というのは、話が矛盾しています。 ひびが入った鍋には、ひびを綴じるための修理が必要で、蓋もきちんと繕い直してこそ使い物になります。 と、今ようやく気づきました。 「エキセントリックな性格の人、つまり壊れかけた人には、いったん壊れたけれど頑張って立ち直った経験のある強い女 または男 をあてがうといい」 という意味もあるのではないでしょうか。 「割れ鍋 破れ鍋 に綴じ蓋」 われなべにとじぶた。 実に含蓄のある言葉です。 そのため、ちょっと古くさいと感じがする、ということがあるかもしれません。 年寄りが遣う言葉、と思っている人もいるでしょう。 どうぞ、昔の言葉を毛嫌いしないでくださいね。 より多くの言葉を知り、頭の中にストックしておくと、日常のあらゆる場面で役立ちます。 たとえば、「言うことがころころ変わる人」「方針を変えてばかりいる人」のことを、 「朝令暮改」 と一言で言い表すことができます。

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「胸先三寸」の意味とは?「胸三寸」が正解?類語、使い方や例文を紹介!

胸先三寸 意味

ある職場での一幕。 先輩から 「そんな舌先三寸でしゃべるな!」と注意をされた後輩。 その後輩は「あれ?口先三寸なら聞いたことがあるのに舌先三寸って?間違いを指摘したら面倒なことになるかもしれないから黙っておこう」と素直に自分の非を認め謝罪しました。 後日、何気なくインターネットを見ていたら、 実は「舌先三寸」が正解で「口先三寸」という言葉は間違いであることを発見。 その後輩は「あの時言わなくてよかった」とほっと胸をなでおろしてました 笑 このように、自分の中では正しい表現だと思っていたのに、意外に間違ったまま覚えてしまった言葉だったということは良くあることだと思います。 頻繁に使うことのない言葉だからこそ、こういった注意が必要になってくるものです。 今回は「 舌先三寸」について、意味や使い方などについて見ていきたいと思います。 舌先三寸の意味・読み方とは? 「舌先三寸」は 「したさきさんずん」と読み 「中身の伴わないようなうまい言葉で相手を言いくるめたり、あしらったりすること」という意味を持つ言葉 誉め言葉ではなく、悪い意味を含んだ言葉という感じですね。 この言葉は、冒頭部のように「口先三寸」と間違って覚えてしまうのも無理のないことのようです。 文化庁が毎年発表している「国語に関する世論調査」において「本心でない上辺 うわべ だけの巧みな言葉」を表現するのに 「口先三寸」と間違って使ってしまう方の割合は半分以上であった、というデータが発表されていました。 なぜ、このように間違った言い方がされているのでしょうか。 次の章で「舌先三寸」の語源に触れながら確認してみたいと思います。 スポンサーリンク 舌先三寸の語源とは? まずは、それぞれの言葉について再確認していきたいと思います。 「舌」や「先」という言葉は説明不要でしょうが 「三寸」については少し触れておきましょう。 「寸」は昔使われていた長さを表す単位(建築業などでは今でも使われるようですが)のことで「一寸」は今で言うと約3cm。 「三寸」は約9cmということになりますね。 ですので「舌先三寸」は舌先が三寸であるほど短いということになります。 舌先を話の中での言葉やその質、三寸を短いことの例えとして使っており全体としては 「話の内容が薄っぺらい」ことを表しています。 ということで、この言葉は「上辺だけのうまい言葉で心や内容が伴っていない」という状況で使われるのです。 では「口先三寸」という間違った言葉はどこから出てきたかについて考えていきましょう。 一般的に「舌先」という言葉よりも「口先」という言葉のほうが良く見かけますよね。 「口先だけでものを言う」「口先の上手い」または直接的な意味での 「口先をとがらせる」など。 このように「口先」という言葉のほうが比較的良く見る言葉であるからこそ、いつの間にか混同してしまい「口先三寸」という言葉として覚えられるようになったのではないでしょうか。 確かに「口先」のほうがイメージしやすい言葉ではありますが「口先三寸」という言い方は間違いになりますので、正しい言葉として覚えていきましょう。 舌先三寸の使い方・例文 では実際の使い方や例文について見ていきますね。 「 舌先三寸でお金をだまし取る」• 「 舌先三寸で人をだますなんて悪いヤツだ」• 「どうも言っていることが 舌先三寸に聞こえてならない」 など、上辺だけである言葉やそれによって相手をだます状況で使われている言葉です。 「あの人は、口ではああいうことを言うけど、実際に行動が伴ってないよね」なんて場面でも「あの人は舌先三寸だね」と使わることもあります。 できるだけ人に言われたくない言葉ですね。 また似たような意味の四字熟語として 「一口両舌」(いっこうりょうぜつ)という言葉もあります。 1つの口の中に2枚の舌があるかのように「前に言った内容と後から言った内容とが大きく食い違っている」ことを表した表現となっています。 「二枚舌」と言うとしっくりくるかもしれませんね。 スポンサーリンク まとめ いかがでしたか。 「舌先三寸」という言葉についていろいろと見てきました。 「口先」という言葉をよく目にするため「口先三寸」と間違って使っている方は意外にも多いということには注意が必要ですね。 「上辺だけの上手い言葉で行動が伴っていない」状況を表す言葉。 その他には「口だけは立派」「口先だけ」「うまい言葉で」さらに言うと 「心にもない」「歯の浮くような」などと言う言葉も似た意味として挙げられるでしょう。 誰かに言われた場合、あまり気持ちの良い言葉であるとは言えないかもしれませんが、相手の話の内容が「ちょっとうわべだけだなあ」と感じてしまった場合、そっと「舌先三寸」であることをたしなめてみても良いのかもしれませんね。 関連記事 一部広告含む•

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胸三寸に納める?胸先三寸に納める?

胸先三寸 意味

愛想も愛嬌も「人当たりの良い愛らしさ、好意のあらわれ」で同義ですが、後に続く動詞を使い分けます。 「合いの手」は歌や演奏に合わせて入れる手拍子がもとの意味ですので、「入れる」が正しい表現です。 「なる」を使うなら、「明らかになる」とします。 「揚げ足」は「蹴ろうとしてあげた足」のことだから、「すくう」のではなく「とる」になります。 「すくう」は「思わぬところで足をすくわれた」などと使います。 同じように「圧倒的に弱い」も誤りで、「圧倒的に強い」が正しい表現です。 類義語の「水を漏らさぬ」が「水も入らぬ」ではないのと同じです。 「心頭を滅却すれば火もまた涼し」のことわざでも分かるように、「精神=こころ」のことです。 だから怒りは「あたまに達する」のではなく「こころに発する」です。 「息の根元を止める」です。 才能は「放つ」ものではなく「持つ」ものです。 「異彩を放つ」が正しい表現です。 だから「一抹の希望」でもよさそうなものだが、一抹には常に「不安」つきまとう。 希望だったら「一縷の望み」。 「一縷」は「切れそうで切れない一本の細い糸」。 「一抹=不安」「一縷=望み」とセットで覚えておきましょう。 「意に介しない」で「自分がやったり言ったりすることを他人がどう思おうとちっとも気にかけない」の意味です。 例文のように将棋倒しのようなイメージで使うのは誤用。 また厳密に言えば「次々と」は意味の重複になるので不要です。 この場合、渡すのは印籠ではなく「引導」です。 「引導を渡す」は「僧侶が葬儀の際に死者が迷わず成仏できるよう経文を唱える」のが元の意味です。 「腕がいい」という意味なら「腕利きの」。 だが「あのコックは腕が利く」とは言わず、この場合は「腕が立つ」になります。 「上前をはねる」というのが成句で、「上前をかすめる」とは言いません。 この「笑み」は「微笑」のことです。 これが「おうむ返し」であり、文句を言っていることにはなりません。 おうむのように相手と同じ言葉を繰り返すのが「おうむ返し」です。 これは、歌舞伎などで感情の高ぶりを表現するために役者が大げさな身振りを一瞬固定する「見得」から来た言葉なので、自信のほどを強調したいなら「大見得を切る」が正しいです。 「重ねる」でも意味は通じますが、慣用句としては「架す」が正しいです。 「つかえる」です。 この場合「よい」か「立派だ」を使います。 「思いがけない」「予想もつかない」という意味を表したいのなら、「思いもよらない」が正解です。 「一つ」です。 女性一人で何かを成し遂げることです。 これは「喝采を送る」「喝采をする」などと使います。 「叫ぶ」のは「快哉」の方です。 あくまでも主体は「見る」ほうで「見せる」ほうではないので、「かいま見せる」は誤用です。 肩にかつぐからと言って「肩棒」とは言いません。 「片棒をかつぐ」は文字通り協力して何かをすることを言います。 多くは悪事に関して使うことばです。 「鼎を問う」とは言いません。 自分からへりくだって言うのならまだしも、相手に使うのは非常に失礼な表現です。 今回の場合は、もうこれ以上耐えられないほど恐れおののくので、「寒心に耐えない」となります。 余計なことを「する」のではなく「言う」のだから「飛ぶ」ではなく「鳴く」です。 「機先を制する」が正しいです。 「キャスティングボート」とは、議会の採決で賛成・反対同数の場合に議長に委ねられる決裁権、もしくは同じく議会で二大勢力が均衡している場合に議決を左右する第三勢力の投票のことです。 つまり「キャスティングボートを握った」とは自らの判断による行動しだいで大勢が決まる状況になったことを言います。 人々が雁首揃えて相談するのは「鳩首凝議する」です。 「協議」ではなく「凝議」であるところに注意です。 これは「極め+付き」です。 「極め」は「極書」つまり鑑定書。 鑑定書が付くほど定評がある、というわけです。 「欠ける」が正解です。 物事が始まるきっかけをほかに先駆けてつくるのは「口火を切る」が正解です。 否定形なら「苦にもせず」か「苦もなく」で、「苦ともせず」という言い方はありません。 今回の場合では「首っ引き」が正しいです。 「激怒のツボ」は「逆鱗」のほうです。 話し言葉ではこの種の誤りが多いから注意したいですね。 「他で聞かれるように」とか「多く聞かれるように」ではありません。 この場合に「口」の慣用句を使うなら、「口が重くなった」とすれば近い意味になります。 これはあべこべで、衣の下に鎧を着けています。 財布を逆さにして「底」をはたくから中の金が全部出ていき、すっからかんになってしまうのです。 「交わす」つまり「かわりばんごにする」行為は「杯をさしだすこと」です。 ですので例文は誤りです。 例文は「心中をうちあける」という意味なので「胸襟を開く」が正解になります。 地味で控えめだけれどキラリと光る「佳品」か「佳作」とすべきです。 「人差し指が動くのはご馳走にありつく前兆」という故事が由来なので「食指が動く」となります。 例文は「手に入れようとする」の「触手を伸ばす」との混同です。 「砂をかむような味気なさ」でワンフレーズです。 だから否定形ではなく肯定形で使います。 「少しの暇も大事にして」=「暇が少しでもあったらその時間も費やして」すなわち「寸暇を惜しんで」が正解です。 「一天にわかにかき曇り」のイメージ通りに「青天の霹靂」が正しいです。 その反対は「否」ではなく「非」です。 だから「是が非でも」で「良し悪しにかかわらず」「ぜひとも」の意味になります。 雪辱はそのまま「雪辱する」と使います。 「調子をくずす」というので「体調」は「くずす」が正解です。 「こわす」を使うなら「体をこわす」です。 もともとは「他山の石を以て玉を攻むべし」。 「よその山から出た粗悪な石でも自分の宝石を磨く役には立つ」という意味です。 つまり他人を「石」、自分を「宝石」にたとえて、取るに足らない人の劣った言動でも自分の知恵を磨くためには何らかの参考になる、ということです。 「後」ではなく「跡」であることも間違えやすいので注意です。 「字がうまい」は「能筆」もしくは「達筆」。 「達筆」は「達筆すぎて読めない」などとも使います。 相手が忙しそうにしていて取りすがる暇もない、という意味ではありません。 溺れそうになっても頼りにして取りすがる島一つ見当たらない。 つまり、何か頼みごとをしたり説得しようとしても、相手がしれっとしてつっけんどんな態度だったり、聞く耳を持たなかったりして、どのきっかけが中々つかめないような時に使うことわざです。 泣き叫ぶばかりの子供みたいな聞き分けのない者と、絶大な権力者には手が出ない、という意味です。 「 情けは他人のためにかけるものではない」が正解です。 つまり、「人に情けをかけておけばそのうち自分にも良い報いがある」ということです。 「礫」は「小石を投げること」または「投げた小石」です。 投げた小石は戻ってこないことから、便りを出した先方からいっこうに返事が来ない時に使います。 必ず「故郷に錦を飾る」とフルセットで使うので、例文は誤りです。 この場合は、相手の発言に対して驚いたり呆れたりして言うべき言葉が出て来ない様子を表す「二の句が継げない」が正解です。 「二の舞」は舞楽で「案摩の舞」の後にそれを真似てわざと失敗しながら滑稽に舞ってみせる舞のことです。 だから「二の舞を演じる」で「前の人と同じ失敗を再び繰り返す」ことになるのです。 だから苦労もせずに得をすることを「濡れ手で粟」といいます。 心のファイルの一番手前に置いていつでも取り出せるようにしておく、というニュアンスなので「入れる」ではなく「置く」が正解です。 「伸る」とは「長く伸びる」のことで、「反る」は反対側にそり返ることです。 「成功するか」「失敗するか」の意。 例文のように動詞の後につけて「〜しているばかり」の意味を表すなら、「〜づめ」が正解です。 したがって例文のように「完遂後」に使う表現ではありません。 「鼻にかける」は、自慢たらしく得意げな様子を表す慣用句なので、例文の用法では意味が通じません。 歯に衣を着せたらものが言いにくくて仕方ないが、そんなことをせずに「ズバリ言いたいことを言う」という意味です。 江戸時代の芝居小屋における観客のブーイングは、座布団がわりの半畳のゴザを舞台に向かって投げ入れることでした。 この伝統が唯一残っているのは、相撲の世界です。 結びの一番で番狂わせが起こった時に舞う座布団です。 「一人の人間の中で悲しむこともあれば喜ぶこともある」という意味です。 「こもごも」は「かわるがわる」の意。 例文のように、入試の合否や選挙の落選の光景などにこの表現を使うのはふさわしくありません。 この場合はそれが「思いがけない好運」かどうかは分からないので「棚ぼた」ではありません。 「対策の立てようがないのは火を見るより明らかだ」などとも使います。 「二つ返事で」=「即座に快く承知して」と頭にいれておきましょう。 「物議を醸す」で「世間の人々の間に議論を引き起こす」という意味です。 これは「下手(な人)の考え」の意味です。 「下手な」だと上手な考えが浮かぶ余地も残されていますが、この場合は「下手の」で、もともと下手くそな人なので上手な考えなど浮かぶはずがありません。 「法外な値段」など。 例文の場合は「望みもしなかった」「望んだ以上」なので「望外」が正解です。 馬の子どもではなく、いわゆる昔の「馬追い」のことです。 馬をひいて人や荷物を運ぶ人です。 「的」は「標的」のことです。 「標的を弓矢で射たように核心に迫っている、要点をついている」という意味なので「的を射る」となります。 「まなじりを決して」は「カッと目を見開いて」という意味です。 「三日にあげず」で、「毎日のように」。 例文の「三日とあけず」は「三日と空けず」と漢字で書けば表現としては成り立ちます。 慣用句として使うなら、「と」ではなく「に」が正しいです。 したがって「よく聞いておく」の意味で「耳にとどめる」が正解です。 「胸三寸」は「胸の中の考え」。 「君の胸三寸だ」と言えば、どうするかは君の考え次第、ということです。 「目鼻がきく」とは言いません。 役が足りないからもっと重い役を、というわけです。 例文の場合は「役」ではなく「力」が足りないのだから「力不足」です。 燃えさしの杭はまだくすぶっていて、火がつきやすい。 転じて、かつで深い仲にあった者同士が一度別れて、また縁を結ぶことです。 それほど悪い意味で使われる表現ではなく、「処世術に長けている」「大人だ」というニュアンスが強いです。 「横車を押す」は、まるで車を横に押すように道理の通らないことを無理やり押し通すことです。 自分が不利になったり責任を負わされたりするのがいやで、あらかじめ逃げ道をつくっておくことです。

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